第14話 side 歌弥ゆゆ

 side 歌弥ゆゆ


 カラオケに行こうと思っていたら、今から死のうとしているんじゃないか、と思うような男の子に遭遇した。

 男の子にしては長めの黒髪に、陰鬱そうな表情。暗い色合いの服を着ているが、単に地味というわけではなく、あれはあれでスマートな印象。身長は百七十くらいで、スタイルは悪くない。年齢は二十歳前後。陽気に笑顔を振りまいていれば女子にもモテるだろうに、陰気な雰囲気を出しているせいで少し怖い人に見える。

 普段から見知らぬ人に声をかけるほど、あたしも無防備ではない。でも、たまたま気になってしまったし、放っておくと危うい気がしてしまったので、声をかけてみることにした。


 軽く会話をしてみて、悪い人ではないな、と直感した。暗い顔をしていても、他人に危害を加える感じはしない。調子に乗ると何かしらやらかす人という可能性もあるけれど、それはすぐには判断できない。

 そんな男の子を見つけたからといって、あたしの心が平静だったとしたら、距離を縮めてみようなんて思うこともなかったと思う。

 あたしが一人暮らしを始めてから一年半ほど経っていて、その間、あたしはほとんど他人と深く関わることがなかった。編集者さんとか、同じ作家仲間と電話やネットで交流することはあっても、対面で誰かと関わることがなかったのだ。 

 そのせいで、なんだか寂しいなぁ、と思っていた。


 あたしは割と一人でも平気で、一人遊びも得意で、一人で自由気ままに過ごすのが好き。

 そんなあたしでも、ふと、寂しいなぁ、と思うときがある。

 不定期にそんな感情が押し寄せてくることがあって、彼と出会ったその日の朝も、そういう波が来ていた。

 カラオケに行こうと思ったのも、その寂しさを紛らわすためだ。

 そんなことだから、あたしは、すこーしだけ他人に対する警戒心を緩めて、彼と距離を縮めてみようなんて思ってしまった。


 名前を星香秋夜ほしかしゅうやというらしい。たぶん本名だろう。あえて偽る理由もない。

 秋夜君は特に予想を覆すことなく、少々陰気な男の子だった。良く言えばクールということで、クール男子だと思っておく。

 クール男子な秋夜君は、二度に渡る受験失敗で酷く落ち込んでいたらしい。

 青いなぁ、なんて思ってしまう。あたしとそう歳も変わらないのに。

 受験に失敗するくらいで、そこが人生のどん底みたいに思わなくていい。まだまだ人生どうにでもできる。もう少し大人になると誰もが思うだろうことに、秋夜君はまだ気づけていなかった。気づけるのも、あと数年くらい先かな。


 秋夜君と一日過ごしてみて、やっぱり悪い人ではないと思った。本人は無自覚にやっていることで、諸々の所作が丁寧だ。話し方、食事の仕方、ものの受け渡し方、自分の荷物の扱い方、あたしとの接し方。

 特に、あたしと接触するときには、ガラス細工でも扱うかのような気遣いを見せる。馴れ馴れしい女を相手にしても、調子に乗って乱暴な振る舞いをすることはない。


 秋夜君のことが気に入った。

 いきなり恋愛感情が芽生えたわけではない。

 ただ、一緒にいて落ち着く人で、あたしがバカをやっても受け止めてくれる人だから、傍に置いておきたくなった。

 そして……これはあたしの悪い部分なのだろうけれど、良く言えばクール男子な秋夜君が、羽目を外して笑うところを、見たくなった。

 だから、少しだけ、誘惑した。

 あたしの女の部分を使って、秋夜君を変えようとした。

 ネカフェで秋夜君とキスをして、だけど秋夜君はさほど大きく変わらない。

 ささやかな変化はあった。子供扱いされることも、気軽に流すようになった。


 秋夜君を、もっと変えたい。壊してみたい。

 それが秋夜君にとって良い変化になるという保証はない。

 むしろ悪い結果に繋がるかもしれない。

 全ての責任を負う覚悟……なんて持たずに秋夜君を壊そうとしているのだから、あたしも酷い女だ。

 ただ……秋夜君にとって、一度ぶっ壊れることが、悪いことばかりじゃないとも信じている。


 秋夜君は、本当は苦しまなくていいはずのことで苦しんでいる。

 受験失敗なんて大したことじゃない。そもそも、落ちたのだって国立の医学部だとかで、人並み以上の学力は有している。

 あたしは大学中退で専業作家になってしまったから、いわゆる社会を知らない。

 あくまで作家仲間から聞いた話だが、『社会人として普通に働くのに格別に高い学力なんて必要ない』とのこと。

 ただし、学力は色々な仕事の基礎にはなるから、おろそかにするべきではないとも言っていた。

 そういうことだから、秋夜君は落ち込む必要などない。自分になんの価値もないだなんて思う必要は、全然ない。

 早く、それに気づいてほしい。


 でも、それに気づいてしまったら……秋夜君は、あたしの部屋から出て行ってしまうのだろうか?

 秋夜君の隣は心地いい。寂しくない。

 そして、これはあたし独自の見方かもしれないけれど、誰かと一緒にいるときには、プラスの面が大きいことより、マイナスの面が少ない方が大事だと思う。

 秋夜君はクール男子で、あたしを目一杯楽しませてくれるわけではない。人によっては、退屈だと認識するのかもしれない。

 あたしとしては、別にそれでも良かった。プラスの面が大きくなることより、一緒にいるのが苦痛じゃないとか、心が安まるという方が大事。

 あたしが作家だからかもしれない。楽しませてもらうより、楽しませたい気持ちが強い。

 ああ、もちろん、あたしが苦手な家事をしてくれるのは大きなプラスだから、それはとても感謝している。

 そんな秋夜君には、ずっと一緒にいてほしいなと思う。

 秋夜君が変わってしまっても、繋ぎとめておける何かが必要なのかな。


 あたしがもっと深い関係になろうと誘っても、秋夜君は乗ってこなかった。

 性欲盛りのはずなのに。

 自制心の強さも感じたし、純情で可愛いなとも思った。

 あたしの秋夜君に対する気持ちに、まだ恋愛成分はたぶんない。秋夜君の方はどうかな? 意外とあっさり、あたしに惚れちゃった? 女性と縁がない男子は、ちょっと優しくされるとすぐに惚れるというから、そうなのかもしれない。

 あたしが秋夜君に恋をする日は来るだろうか?

 来てほしいと思う。

 その日は、もう少し先になるとしても。




「朝、目が覚めて、誰かが傍にいてくれるっていうのは、とても素敵なことだねー」


 まだ目を覚まさない秋夜君に抱きつきながら、ふふ、と微笑んでしまう。

 秋夜君はとても温かい。手放したくない。

 ただ……この体温に触れていると、いつまでも惰眠を貪っていたくなってしまうのは、少々問題かしれない。


「まぁ、いっか……」


 あたしは自制心の強い方ではない。

 睡魔に身を任せて、またしばし眠りにつく。

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