第12話 わかんない

 トイレから戻ってきた歌弥さんと、正午近くまで眠りこけた。


「……こんな時間まで寝たの、久しぶりかも」


 スマホに表示された時計を見つつ、軽くぼやく。

 生活習慣は割としっかりしている方で、休日でも朝七時には起きるようにしていた。いつまでも惰眠をむさぼるのは良くないと思っていたのだ。


「なぁにぃ? もう朝ぁ?」


 俺に抱きつきながら、歌弥さんが甘ったるい声を出す。


「もう朝っていうか、とっくに正午ですよ」

「秋夜君、スマホの時計がいつでも正しいだなんて、いつから錯覚していたのー? それ、十二時間くらいずれてるよー。まだ深夜だよー」

「何の言い訳をしてるんですか。そろそろ起きませんか? お腹も空いたでしょう?」

「お腹も空いたし……なんか腰も痛いー……」

「その腰の痛み、たぶん寝過ぎだからですよ」

「秋夜君に抱きついてると心地よくてさぁ。だから、これは秋夜君のせいー」

「……はいはい」


 本当に、そろそろ起きよう。歌弥さんの温もりは名残惜しいけれど、あまりだらだらしていられない。

 俺は体を起こそうとするが、歌弥さんが離してくれない。

 さらには……。


「ちょっとっ」

「おおー、秋夜君、溜まってるねー」


 歌弥さんのふとももが、俺の下腹部の一点をさわさわと撫でる。


「やめてください!」

「……本当にやめてほしいのー?」

「やめてほしいです!」

「ふぅん……? こんなことしてるんだしー、あたしはそれなりの覚悟があるんだよ?」

「そ、それなりの、覚悟……」

「男の子を家に招き入れてー、寝泊まりさせてー、それで何も起きないって思うほど、あたしはうぶでも純情でもないんだよー?」

「それは……つまり……?」


 歌弥さんが言わんとしていることはわかる。わかるのに、頭がぐるぐるして思考がまとまらない。

 歌弥さんは俺の耳元に口を寄せ、妖艶とも言える声で、囁く。


「はっきり言ってほしい? じゃぁ……あたしと、エッチする?」

「しませんっ」


 反射的に答えて、妙な後悔が胸中に渦巻く。


「うえーん、そんなきっぱり拒絶しなくてもいいのにー。ひどーい」


 ぽやぽやした雰囲気に変わって、歌弥さんがぺしぺしと俺の頭を叩く。


「いや、今のは、その……っ」

「もういいもーん。お姉さんがせっかく秋夜君を男の子にしてあげようと思ったのに、そんなにあたしが嫌いだったらエッチさせてあげないもーん」

「その……すいません。別にしたくないとか、そういう話ではなくて、むしろしたいんですけど……でも、俺たち、付き合ってるわけでもないですし……っ」

「肩書きなんてどーでもいいのにさー。エッチしたいなぁって思っている男女がいる。だったらエッチすればいいじゃん。ぶーっ」

「……その貞操観念、危うくないですか?」

「知らない。あたし、もう貞操観念も常識もよくわかんないもん。世間一般で正しいとされることも、倫理とかもあるってのは知ってるよ? でもさー、そういうのってだいたいがただの思いこみじゃんか。一昔前なら、恋愛は男女でするものだー、とか。今だったら、エッチは恋人同士じゃないとしちゃダメー、とか?

 あたしにはよくわかんないんだよ。恋人同士って肩書きがなくたって、したいと思う相手がいればすればいいと思っちゃう。それがセフレとか表現されるものだったとしても、なんか問題あんの? って思っちゃう。

 たまたま町で見かけただけの男の子に声をかけて、その子を気に入って、そのまま家に連れ込んだって、別にいいじゃん、って思っちゃう。その流れで、恋人関係になる前に体の関係を持ったって、別にいいじゃん、って思っちゃう。今は、特定の恋人とかいないんだしさ。

 ……あたしはそんなだよ。頭悪いから、自分の何がダメなのかとか、わかんないよ」


 急にまた雰囲気を変えて、真面目な話をしちゃって。

 コロコロと表情を変えすぎだ。ついていくのも容易じゃない。


「……俺は、歌弥さんほど自由な発想では生きていません。恋愛関係にないと、そういうことはしない方がいいっていう思い込みもあります。でも、歌弥さんが間違っているとも思いません。

 俺は……たぶん、歌弥さんからすると無駄に真面目な部分があって。でも、だからって、それで人生を上手くやれているわけじゃありません。むしろ、上手くやれないことの方が多くて……。

 歌弥さんのように自由に生きられたらいいって、心のどこかで思っています」


 歌弥さんが真面目なトーンで話すから、俺もそれに応えたつもり。

 だっというのに、歌弥さんはまた急にぽやぽやした雰囲気に戻る。


「そーおー? あたし、間違ってない? だいじょーぶー?」

「……大丈夫、だと思います」

「んじゃあ、続けよっか?」

「ちょっと、ふともも動かすのやめてください!」

「えー? なんでー? 今の、しちゃおう、っていう宣言じゃないのー?」

「……違います」

「キスはしたくせに。なんでエッチはダメなのー?」

「その二つは……ま、全く別ものと言いますか……っ」

「そんなに違うもんかなー?」


 うりうりうり、と攻めてくる。

 しかし、それも程なくして止まった。


「まぁ、いいや。無理矢理するのはあたしの趣味じゃないしー。でも……あたし、秋夜君のこと、どんどん壊していくつもりだから、覚悟してねー?」


 最後に、ぽんぽんと手で触られる。それだけのことで、心臓が無闇に暴走した。


「じゃ、秋夜君、ご飯作ってー。なんでもいいから適当にー。冷凍パスタでも可だよー」

「……わかりました。とにかく、作ります」

「よろよろー」


 歌弥さんに解放されて、俺は朝食兼昼食の準備に取りかかる。

 惜しいことをした、という気持ちもある。

 でも、これで良かったという気持ちもある。

 歌弥さんの気持ちはどうか知らないが、俺は、歌弥さんを好ましく感じている。

 そんな相手と、ただの戯れのような形で、初めてをしたくなかった。

 ……俺、純情すぎるのかな?

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