第11話 言葉

 部屋の片づけには二時間ほどかかった。そもそも部屋のどこに何があるのかもわからず、ゴミ袋などを見つけるのも一苦労。これは事前に訊いておけば良かった。

 また、単純に放り出されているもの全てをゴミとして処理すればよいのかもわからず、明らかなゴミ以外はとりあえずまとめることにして、その分別にも時間がかかった。

 他にも色々と時間を取られる要素はあって、片づけが終わる頃には空が白み始めていた。


「部屋の掃除、こんなにまともにやったのは初めてかな」


 ここまで散らかすことがない、というのもあるとして、自分の部屋を何時間も掛けて掃除したことはなかったはず。

 一度始めてしまうと、掃除するのも楽しい。部屋が綺麗に整っていくのが目に見えるのも嬉しい。


「……ま、とりあえずこんなもんだろ。俺一人じゃ、どうしていいかわからないものも多い」


 落ちていた服も、洗濯するべきなのか、クローゼットやタンスに入れるべきなのかわからない。ひとまず畳んで、一カ所にまとめておいた。


「他にすることはあるか……? 朝ご飯でも作る……?」


 難しい料理はできない。せいぜい、パンを焼くとか、目玉焼きを作るとか。それで良ければ準備をするところ。なお、片づけをしながら冷蔵庫内も覗いていて、軽い食事の準備ができそうなのは確認している。


「……まだ起きない、か」


 歌弥さんはだらしない顔でスピースピーと寝息を立てている。大人なのか子供なのかよくわからないその寝顔に、心がほっと和むのを感じる。

 一方で、視線はその桃色の唇に行ってしまい……あの唇に触れたことがあるのだと思うと、また体が熱を持った。


 起こさないようにと気をつけつつ、歌弥さんの側に行き、その寝顔を近くで眺める。これは失礼だろうか。歌弥さんからすると、覗かれたくはないよな。

 わかっていても……近くで眺めていたいし、もっと言えば、またキスをしたい。

 この衝動の源はなんだろう? 恋愛感情? ただの性欲?


 そっと右手を伸ばし、歌弥さんの頭を撫でる。派手な色の髪は艶やかでさわり心地がいい。女性の髪って、なんでこんなに綺麗なのだろう?

 ちゃんと手入れをしているからだよー、とか、歌弥さんがのんびり答える様が想像できた。


「んに?」


 俺の手の感触に気づいたか、歌弥さんがうっすらと目を開ける。


「……おはようございます」

「おはよー……。今何時ー?」

「今は……六時過ぎです」

「なんだ、まだ夜かー」

「……どちらかというと朝です」

「あたしはまだ太陽様を拝んでないからセーフ」

「何がセーフなんだか……」

「あ、妖精さんはお部屋の片づけをしてくれたのかなー?」


 歌弥さんがのそのそと半身を起こし、室内をざっと見回す。


「おー! すごい! 床が広い! 余計なものがない! 一年ぶりくらいにお部屋が片づいてる!」

「一年ぶりって……」


 結構ずぼらな人なんだな……。全然意外ではないよ。


「ありがとー、妖精さん。でも、疲れたでしょー? ちょっとゆっくりしていきなさいよー。ほらほらー」


 ぽんぽんと歌弥さんが隣を叩く。ゆっくりって……一緒に寝るってことか?


「……ゆっくりするにしても、床で十分です」

「十分じゃなーい! ほらほら! シングルベッドでも、くっつけば二人で寝るくらいできるんだから! おーいーでー!」


 譲らない雰囲気。こうなると、俺はただ従うしかない。


「……着替えなくていいんですか?」

「そういうのもいーから! 早くおいでー!」

「……わかりました」


 歌弥さんの隣に腰掛けると、そのままベッドの上に倒された。

 同じベッドで、女性と並んで横になっている。しかも、歌弥さんは俺を抱き枕のように抱きしめている。こんな状況でゆっくりはできない。心臓が痛む。


「うへへー、人肌は温かいねぇ」

「……ですね」

「あー、また眠くなってきた。これはあと十時間くらい眠れる」

「流石にそれは眠りすぎです」

「くかー……」

「くかー、って口で言ってるじゃないですか」

「……秋夜君、だいしゅきー……」

「……寝言風に、何を言っているんですか」


 俺に対して恋愛感情を抱いているわけではないと、歌弥さんは明言していた。それはそうだ、と俺も納得している。それでいいとも思っている。

 でも……そういうことは、冗談では言わないでほしい。


「ねぇ、秋夜君」

「なんですか?」

「おしっこしたい」

「それは自分で勝手に行ってください!」

「やばい……一ミリ動いただけでこぼれる……っ」

「え、ちょ、本気ですか?」

「かくなるうえは……秋夜君、ペットボトルを……っ」

「ふざけてないで、さっさとトイレに行ってください!」

「んへー……ダルい……。秋夜君、今度尿瓶しびん買っといて……それならいいでしょ……?」

「健康な若い女性が、そういう器具を頼ろうとしないでください! 恥じらいってもんがないんですか!」

「恥じらいを捨てるだけで、この苦難に満ちた人生を楽に生きられるなら……っ。そんなものは、捨てるっ」

「かっこよさげぐだってないで、早く行け!」


 歌弥さんがようやく体を起こして、とてとてとトイレに向かって歩いていく。

 流石に今すぐ漏れそうというのは冗談だったようで、不意にこちらを振り返り、にへらと笑った。


「敬語の抜けた秋夜君も、いいと思うよー?」


 そんなセリフを言い放ち、歌弥さんがトイレに入っていく。

 そういえば、最後は、とっさに敬語が抜けてしまっていたな。それの、どこがいいのだろう? 歌弥さんは年上なのだから、どんなときでも敬語を使うべきではないのか?


「……変な人。なのかな」


 歌弥さんの人間性は、俺にはまだ、わからないことだらけだ。

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