第10話 あたしんち
午前四時前。外はまだ暗くて、空気も冷たい。ひんやりした空気は、歌弥さんと触れあうことで熱をため込む俺にはちょうどいい。
「さーむーいー。助けてー」
熱を求めてなのか、歌弥さんが俺に横から抱きついてくる。二の腕辺りに、柔らかなものが当たる。
「ちょ、歌弥さん、やめてくださいっ」
「寒いのー。あっためてー」
「寒いからって……。少し歩けば体も温まります。それまで我慢してください」
「いけずー」
「……俺にどうしろっていうんですか。抱きしめ返したところで、寒いものは寒いですよ」
「わかってねーなー」
「……そうですよ。俺には歌弥さんの考えていることがわかりません」
「仕方ねー。とりあえずおんぶしてー。こんな寒い中歩くの無理ー」
「……寒いから歩いて体を温めるんでしょうが」
「そんな屁理屈は聞いてなーい」
「屁理屈じゃなくて、まっとうな理屈です」
とはいえ、歌弥さんは本当に自分の足で歩くつもりはないらしい。
背負っていたリュックを前に持って行き、腰を低くする。
「……乗ってください」
「やったー」
歌弥さんが俺の背中に乗り、体重を預けてくる。華奢な体はさほど重くもない。俺はあまり運動もしないタイプだが、問題なく背負えた。
「重いとか言ったら殺すー」
「言いませんし、思ってもいません」
「おっぱい気持ちいいー?」
「意識的に考えないようにしているので、そういう発言はやめてください」
思い切り背中に押しつけられる膨らみ。下着越しとはいえ、意識しないわけにはいかない。ついでに、脚に触れていることも、なるべく考えないようにする。
「秋夜君の背中、温かいねー」
歌弥さんの腕に力が入り、俺の首をほんのりと締め付ける。俺としても、歌弥さんの体温が温かい。
「んじゃ、あたしの家に行こうか。まずは道なりにまっすぐ行ってー、それからあの信号も渡ってねー」
「……わかりました」
本当に、歌弥さんの家に行くのか。いいのか? 昨日出会ったばっかりなのに。
指示に従って歩くこと十分ほど。俺の体は程良く温まっている。眠気もどこかへ行ってしまった。
「そこの三階があたしんちー」
四階建てのマンション前にて、歌弥さんが言った。
「……なら、もう降りてください。この状態で階段を上るのは危ないですし、そもそもエントランスのオートロックも開けられません」
「そこを気合いでなんとかするのが男ってもんでしょーがー」
「階段は気合いでどうにかなっても、オートロックを気合いで解除できてしまったら大問題です」
「正論ばっか言うんじゃねー。もっとあたしのバカに付き合え、バカなんだからーっ」
むぎゅ、と首を絞められる。痛くないし苦しくない。正直言えば……歌弥さんの滅茶苦茶な言動は、少し可愛いとも思っている。
「仕方ないから降ろしてー」
「わかりました」
屈んで、歌弥さんを降ろす。並んでエントランスへ。歌弥さんはトートバッグから鍵を取り出し、それでロックを解除。マンション内へ。
狭い階段を上って三階に至り、その角部屋が歌弥さんの自宅。こちらも歌弥さんが鍵を開けて、ドアを開けた。
「どーぞー」
招かれて、室内に入る。女性の部屋に入るのも初めてのことだ。変な好奇心を発揮してしまって申し訳ないが、女性の部屋がどうなっているのかは気になる……。
「お邪魔します。……って、部屋の中、とっちらかってるじゃないですか。よく平然と人を中に入れましたね」
一人暮らし用の一室なので、短い廊下の先には七畳程度の部屋が一つあるだけ。家具はベッド、机、本棚、小さなタンスくらい。そして、床には色々なものが散乱している。主に書籍だが、他にも服やら段ボールの空き箱やら食料品やらもある。女性の部屋はもっと小綺麗に片づいているものだと思っていた。全然イメージと違った。
「あたしが悪いんじゃないよー。あたしは普通に暮らしてるだけなのに、何故か気づいたら部屋が小汚くなってるの。あたしじゃなくて、妖精さんが部屋を散らかして去ってるに違いないんだよー」
「……はいはい。そうですね」
「あー、呆れた顔したー! 付き合いが悪いんだよ、バカのくせにー!」
ゲシゲシとすねを蹴られる。痛いからやめてほしい。
「もういい! あたし不貞寝するもん!」
歌弥さんがベッドにパタリと倒れる。
「寝て起きたときに、妖精さんが部屋を片づけてくれてると嬉しいなー!」
その妖精さんとは、俺のことなのだろう。
……部屋に寝泊まりさせてもらえることになっているらしいから、部屋の片づけを請け負うくらいはしてもいい。むしろ、それくらいはさせてほしい。
「そうですね。きっと、目が覚めたときには綺麗になってますよ」
「そっかそっか。素敵な妖精さんに期待! おやすみ!」
「……布団はちゃんとかけてください。っていうか、着替えないんですか?」
「着替えるのダルいー。着替えさせてー」
「……自分でやってください」
「もういい。無理。寝る」
「だから、せめて布団はちゃんとしてくださいって」
「妖精さん、宜しくー」
「……はいはい」
溜息を一つ吐いて、掛け布団を歌弥さんに掛けてやる。
にへら、と歌弥さんが笑った。
「やーさしー」
「普通ですよ。明かり、点けたままでいいですか?」
「へーきへーき。あたし、明るい部屋でも平気で寝られるもん」
「そうですか。では、おやすみなさい」
「おやすみー」
歌弥さんが目を閉じて、そのまま動かなくなる。一瞬で眠りについた? わけではないよな?
「……とにかく、俺は部屋を片づけるか」
ふぅ、と溜息を一つ。
やれやれ、と思っている。
でも、随分と軽い溜息だな、なんてことも思った。
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