第3話 不思議

 手を引かれて歩きながら、尋ねる。


「……お姉さん、名前はなんて言うんですか?」

「あたしは歌弥うたみゆゆ、だよ。歌は歌で、弥は弥生の弥。ゆゆはひらがな。君はー?」

「俺は、星香秋夜ほしかしゅうやです。星の香りに秋の夜」

「おー、なんだか詩的な名前だねぇ。いいね、いいね」

「……どうも」

「ちなみにあたしは二十一歳! 秋夜君は?」


 いきなり名前呼びか……。距離を詰めるのが早い……。

 そして、平日に午前中から暇してるということは、大学生かな。春休み中?


「俺は今十九歳で、今年で二十歳になります」

「おーおー、まだ十代か! わっけー!」

「歌弥さんだってそう変わらないじゃないですか」

「いやいや、十代と二十代の間には、大きな壁があるのだよ!」

「つっても、俺も十月で二十歳ですよ」

「まだ十代ってのが大事なの!」

「はぁ、そうですか……」


 何が大事なのかは知らない。特に意味もないのかもしれない。

 歌弥さんの後をついていくこと、五分弱。確かにカラオケはすぐ近くにあった。

 歌弥さんが諸々の手続きをしてくれて、ワンドリンクの飲み物について話す以外、俺はただぼうっと突っ立っているだけだった。

 二階の一室に通され、歌弥さんは入り口ドア側、俺は奥のソファに座った。


「よっさー! 歌うぞー! フリータイムだからいくらでもいけるぜー! 秋夜君もじゃんじゃん歌ってねー!」

「……わかりました」


 早速、歌弥さんがデンモクを操作して曲を入れる。アニメ映画の主題歌になっている有名な曲だ。

 なんとなく聞き流すつもりだった。それが、歌弥さんが歌い始めると、その綺麗な歌声に魅了されてしまった。

 俺は特に音楽に詳しくないので、その歌をプロ並だと思ってしまう。

 ゆるゆるな雰囲気に似合わず、澄んだ力強い歌声が心を揺さぶる。

 一曲歌い終わって、歌弥がこてんと首を傾ける。


「秋夜君、まだ入れてないの? 実は歌うの苦手だったー?」

「あ、いや……歌声が綺麗だったので、聴き入ってました……」

「あ、そーおー? ありがとうー。そんな反応をもらえるのは嬉しいね!」


 にへら、とだらしない笑みを浮かべる。綺麗な歌声とのギャップが激しい。


「歌弥さんって、バンドでもやってるんですか?」

「やってないよー。歌うのが好きなだけ」

「もったいないですね。バンドとはいかなくても、動画投稿とかしたら人気出そうなのに」

「んー、かもしれないけど、あたし、歌うことは純粋な趣味にしておきたいんだよねー。人気がどうとか、再生数がどうとか、収益がどうとか言い出したら、なんか上手く楽しめなくなるじゃん?」

「それは、そうかもしれませんね……」

「歌は息抜き! ただ楽しむだけの行為! お金のことは考えない! あたしにとってはそれが大事なことなのさ! というわけで、秋夜君も歌ってよ!」

「というわけで、になってませんが、俺も歌いますね」


 俺も曲を入れて、特に上手くもなく、下手でもない歌声を披露する。歌弥さんの後だと少々気恥ずかしい。

 歌弥さんは俺の歌声に特に文句を言うことなく、酔っぱらって気が大きくなった人みたいにはしゃいでいた。歌弥さんは、もしかしたら純粋に他人と一緒に過ごすのが好きな人なのかもしれない。

 歌い終わったら、歌弥さんがぱちぱちと拍手。


「上手くもないし、下手でもない歌声だったねー! いいよいいよ!」

「無難な歌声に対して、いいよいいよ、はおかしくないですか?」

「そんな細かいこと気にしちゃダメだってー。大事なのはノリと現実逃避だよー!」

「現実逃避って……」

「知らないの? 人間ってね、常に現実と向き合ってると、精神崩壊して死んじゃうんだよー?」

「それは……まぁ……そう、かも?」


 どういうつもりで言っているのかは知らない。

 ただ、俺は確かに現実と向き合いすぎて精神崩壊している気がするので、間違っていない気がする。


「さぁ、秋夜君も、薬物キメてるつもりになって盛り上がろー!」

「それは流石にやりすぎです。薬物キメ状態のイメージも沸きませんし」

「真面目か! もっと適当に生きなさい! クソ真面目に生きてていいことなんて、案外ほとんどないんだから!」

「……かも、ですね」


 本当に、歌弥さんはどういう人なのだろう? 適当な発言なのか、俺の何かを看破して、あえて意味深なことを投げかけているのか。


「若いんだから、もっと若気を至らせないと! ほらほらご一緒に! ラブアンドピース! ラブアンドピース!」


 今度は何を始めたんだ? と眺めていたら、歌弥さんが手足をばたつかせた。


「あたしを一人にするなー! 恥ずかしいだろうがー!」

「恥ずかしいならやめればいいのに……」

「奢ってあげてるんだから付き合えー!」

「えー……」

「えー、じゃない! ラブアンドピース! ラブアンドピース!」

「ラ、ラブアンドピース、ラブアンドピース……」

「テンションひっくいわ! 酒か? 酒が足りないのかー!?」

「俺、二十歳超えてないので酒はダメです」

「真面目か! もっと若気を至らせろ! 十九も二十も対して変わらんよ!」

「はいはい」

「あ! なんか相手するの面倒くせぇって顔した! もういい! 歌ってやる!」


 歌弥さんが次の曲を入れて、歌い出す。

 意味不明でふざけたやりとりから一転、歌うときは真剣で、歌声も、歌う姿も、とても美しかった。


「……不思議な人だ」


 今まで出会ったことのない人種。理解の及ばない何かを宿した人種。

 混乱もしつつ、だけど。

 歌弥さんと一緒に過ごすことに、存外心地よさを感じていた。たぶん、この破天荒な感じを見ていると、現実を忘れられるからだろう。

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