第2話 見知らぬ人

 家を出て、三日が経った。

 手持ちの資金は、今まで貯めていた二十万円ほど。なるべくお金を使わないように気をつけていたら、一ヶ月か、二ヶ月くらいは現実逃避ができるはず。

 資金が尽きたら、きっと俺は家に帰ろうとするのだろう。これで人生満足したから死ぬ、とはならない。俺は本当にしょうもない人間だから。

 ぎりぎりの瀬戸際になれば、親に頭を下げて謝罪するくらいのことはできるのではないだろうか? それを考えれば、一度死にかけてみるのも悪くないのかもな。


「はぁ……。家を出たところで、心が晴れるわけじゃないんだよな……」


 とある駅前の広場にあるベンチに座り、深く溜息を吐く。

 自宅からは百キロ以上離れた土地にやってきていて、この三日間は適当にその辺をぶらついた。軽い観光気分ではあったものの、お金を節約しなければならないという気持ちも強かったので、大々的に遊び暮らすこともできていない。

 ただ、延々と見知らぬ土地を歩き回るのも、そう悪いことではなかった。鬱屈した気持ちも少しは紛れた。


「……まだ帰るつもりはないけど、どこに行きたいってのもないんだよな……」


 時刻は午前十一時過ぎで、空は無駄に快晴。

 快晴の日はあまり好きじゃない。何か活動的で有意義なことをしないといけない気分にさせられて、それができない自分にうんざりしてしまう。

 天気は、少し曇っている方がいい。いっそ雨でもいい。まぁ、三月の末とはいえ、雨が降ると寒いから、多少曇っているくらいがちょうどいいか。

 今の気温は、二十度は超えているだろう。ジャケットを着ていればそう寒くもない。


「……お金がかからなくて、時間を潰せる場所。そんなところあるか? っていうか、そんなことしてていいのか?」


 ポケットからスマホを取り出し、ぽちぽちといじってみる。お金をあまりかけずに遊べる場所なんて限られていて、公園とか古本屋だとかになる。

 でも、何を眺めていても、どこに行こう、という明確な決定が下せない。

 俺はただ家を出たかっただけで、どこに行きたいとか、何をしたいとかは考えていなかったから、仕方ない。

 ちなみに、スマホを持っては来たけれど、家族から特に連絡は来ていない。俺としてはありがたい話だ。

 意味もなくスマホを眺めていると。


「そこの君ー、絶望に打ちひしがれた顔しちゃってどったのー? 財布なくして電車に乗れないとかー?」


 軽い調子で声を掛けられて、視線を上げる。当然ながら知らない人で、ピンクアッシュのロングヘアが強烈なインパクトを与える、二十歳前後くらいの美人さんだった。

 髪はリボンで一つにまとめられているのだが、その髪に縁取られる顔の輪郭は緩やかで、優しい感じがする。にへら、というどこかだらしない感じの笑みも、彼女が浮かべると癒し要素になっていた。

 服装は、ゆったりしたベージュのワンピースと、その上にブラウンのカーディガン。肩にはトートバッグ。


「あ、いえ……財布は、あります。そういうのじゃ、ないです……」

「そーおー? お金に困ってるわけじゃなければいいけどねー」


 ぺたぺたとこちらに歩いてきて、俺の隣に腰掛ける。何故?


「君ー、どこから来たの? 荷物は少ないけど、地元の人じゃなさそうだよねー?」

「ええ、まぁ、そうですね。っていっても、自宅は県内ですけど」

「そっかそっか。じゃあ、一人旅の途中って感じ? これからどこ行くのー?」

「……特に行く当てはないですね」

「へぇー、そうなんだぁ」


 誰だか知らないが、妙に馴れ馴れしい。酔っぱらっているのか?


「じゃぁさぁ、今は暇ってこと?」

「そうですね……」

「じゃさじゃさ、お姉さんとちょっと遊ばない?」


 誘いに乗って大丈夫なのだろうか? 見知らぬ他人を遊びに誘うなんて、まともな人のすることじゃない。何か裏があるのでは?


「……遊ぶって、具体的には? 俺、お金に余裕ありませんけど」

「お金はあたしが出すからだいじょーぶ。とりあえずカラオケでも行こっか? 一人で行こうかと思ったけど、どうせならツレがいた方が面白いじゃん?」


 純粋に遊び相手を求めているのか、裏があるのか。俺には判断がつかない。

 俺に冷静な判断力が残っていたら、こんな怪しい女性とお近づきになろうとはしなかっただろう。

 でも、今の俺は、冷静じゃなかった。人生なんてどうでもいいやと、半ば自暴自棄になっていた。


「カラオケ……。いいですよ」

「おおっ、ありがとー。いやぁ、あたし、遊ぶ友達とかほとんどいなくてさー、カラオケもいつも一人だから寂しいのよー」

「……でも、見知らぬ男性と二人でカラオケって、危ないんじゃないですか? 外から中が覗けるとはいえ、個室ですよ?」

「危ない感じになったらすぐ逃げるってー。ドア側の席はあたしねー」

「……いいですよ」

「んじゃ、早速行こー! 久々に誰かとカラオケだー!」


 一人ではしゃいでいるお姉さんとは対照的に、俺は彼女のことを信頼できていなくて、盛り上がれない。

 女性と二人きりのカラオケなんて初めてのことなのに、彼女を疑う気持ちで一杯だ。いわゆる美人局みたいな奴で、ついて行ったところで厳ついおっさんに脅されるのではなかろうか?


「ほらほら、さっさと行くよー! すぐ近くにカラオケあるからさ!」


 お姉さんが俺の右手首を掴み、ぐいっと引っ張る。抵抗する気力も沸かず、流れのままに立ち上がった。

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