第5話 お嫁さんにしてください

 夕陽を小指の先ほどくすねてきたような蝋燭の炎が部屋に大きな影を落とす。

 赤というより、熟した果実の真ん中のようなとろみをもった色だった。

 小さな炎なのに、部屋いっぱいにその存在を知らしめようと、炎はチロチロと燃える。


 その夜、虹子は紅い服を身に着けていなかった。

 炎に照らされるのは、月の光を集めたような白。

 虹子は白い服を来ていた。


「まらさま。虹子を……虹子をまらさまのお嫁さんにしてください」


 虹子は頬を真っ赤にしているのが蝋燭で照らされるだけの部屋でも分かった。

 目は潤み、必死でこちらを縋る様に見つめてくる。

 そのいじらしいすがたは、どんな男であっても彼女を守りたいと思わずにはいられない。

 彼女のために、すべてを投げ出し捧げることを切望するだろう。

 小生だって……それは変わらない。

 どうせ人間でないのだから、そのような感情まで人間とまったく一緒である必要なんてないのに。

 小生は人間の男と同じような感情を虹子に抱いてしまっていることに気づいた。


「虹子……」


 あまりのことに、言葉を失う。

 虹子は小生のすべてだけれど。

 虹子がいなければ小生は存在できないかもしれないけれど。

 だけれど、虹子の人生を小生の物にしてしまうのは別なことのような気がした。


 小生は虹子のおかげで存在しているけれど。

 虹子は小生のすべてだけれど。

 だけれど、虹子のすべてが小生の物になってしまってよいわけではない。


 もし、小生が人間の男だったら……きっと、小生は己の欲望に打ち勝つことができず、虹子を今すぐ自分のものにしていただろう。

 でも、小生は人間ではない。

 必死に己の欲望を殺した。


 いますぐ虹子を抱きしめ、自分のものにしたいという欲望を必死に箱に閉じ込め鍵をかけ、深い水底へ葬った。


 虹子には人間としての人生がある。

 人間の女として幸せになって欲しかった。


 小生のものとなってしまえば、きっとそんな幸せを虹子は永遠に失ってしまうことになる。

 閉ざされた環境で育てられた、美しい彼女が、まだ幼い内にそんなことを決めてしまっていいわけは無かった。


 虹子はそっと小生の隣にすわり、しなだれかかってくる。

 華奢な指が小生の輪郭にそっと触れる。

 桜外のような薄い爪のついた指先が小生の輪郭を触れるか触れないかギリギリの強さでなぞっていく。

 くすぐったいような切ないような気持ちがこみ上げる。

 このまま己の欲望にしたがってしまえばどれほどの満足感をえられるだろうか。

 だけれど、これではだめなのだ。

 ……虹子は小生のすべてなのだから、小生は虹子を幸せにしなければいけないのだ。

 小生はやっとの思いで声を絞り出す。


「だめだ……それはできないよ。虹子」


 思っていたよりも無機質な声に小生自身も驚いた。

 もっと、優しくいいたかった。

 兄のように諭したかった。

 だけど、部屋に響くのは小生の想像以上に無機質で冷たいものだった。


 いわずもがな、虹子は小生よりもっと驚き、そして傷ついた顔をした。

 意地らしいことに、虹子はその傷ついた心を表情からすぐに隠す。

 傷ついた表情を、今にも泣きだしたい心を隠して、虹子は無邪気なふりをした。


「なんでですか? 虹子がおきにめしませんか?」


 虹子は必死に微笑みながら俺にたずねた。

 小首をかしげ、いつも以上に可愛らしい声にくすぐられる。

 無理に明るい声をつくっているが、震えていた。


「虹子のことは大好きだ……」


 小生は必死に言葉を選ぶがつづかない、


「じゃあ、ずっと……ずうっと虹子と一緒にいてくださいませ」


 虹子は必死にすがりつくように言った。

 小生は何も言えなかった。

 虹子がこちらをみつめる。

 うるんだひとみに甘い熟した果実のような唇。

 今の虹子をみればどんな男だって、彼女のとりこになるだろう。

 だけれど、小生はそうならない。

 すでに虹子のとりこだ。

 そして、彼女の幸せを誰よりも願っている。


 己の欲望よりも虹子の幸せの方が大切なのだ。

 だけれど、それを上手く説明できない。


 ただ、その夜は虹子とともに眠りについた。

 虹子は小生をはなさなかった。

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