第3話
約束の週末になって、鈴はいつもよりも早く目を覚まして準備をした。家族には友達と遊びに行くと嘘をついた。なんだか恥ずかしくて本当のことがいえなかったのだ。
待ち合わせ場所は最寄り駅にある犬の銅像の前だった。少し早めに来たからか事前に聞いていた格好をした男の人はまだ来ていないようだった。
一人で待っていると少しずつ緊張が込み上げてきた。今の自分の格好に不安も生まれてきて、何度も何度も髪の毛をいじってしまう。だけど鈴の髪の毛はショートカットで、前髪も眉上で揃えているため、いじったところで大きな変化は生まれない。それがわかっていても髪の毛をいじったり服の裾を引っ張ったりするのをやめられなかった。
「スズさん、ですか?」
少し経った頃、声をかけられた。声がした方を向くと少し長めの髪の毛を後ろでひとつに括った少しチャラそうな男の人が立っていた。鈴はその人を見て、瞬時にこの人が「ユウ」だと気がつく。
「あ、はい!スズです!……ユウさん、ですか?」
鈴が伺うように顔を見るとユウは笑顔で頷いてくれた。
「そうです。俺がユウです。なんだか、実際に会うってなると緊張しますね。」
ユウが照れたように頭を掻きながら言う。微笑みながら照れるユウはなんだか可愛く感じた。
手馴れてるふうは見えるけど、やっぱり緊張するんだなと鈴は思った。じゃあ自分はどうだろうかと振り返れば、あれほど身だしなみを気にしていたのだから緊張していたに違いない。
しかし実際に会ってみれば少しだけ緊張が解れたような気がした。
「それじゃ、行きましょうか。」
「はい!」
今日の予定はユウに任せて欲しいと言われたからユウに全て任せていた。鈴は張り切ったように返事をしてから、声が大きすぎたと思って顔を赤くさせた。そんな鈴を見てもユウは笑顔を崩さなかった。
結果から言うと初めてのお出かけはお互いにいい印象で終わったのではないか、と鈴は振り返ってみて思う。
ユウは積極的にたくさん話す方ではなかったけれど、その分鈴がよく話していたので気まずい沈黙が続いたりはしなかった。
むしろユウは聞き上手なのか鈴は友達と話しているような感覚で、とても楽しく話ができた。
その日ユウと鈴はカフェを巡りながらお互いのことについて話し合った。何よりも鈴が嬉しかったのは、鈴の大好きな映画をユウも知っていたことだった。
鈴の好きな映画は所謂B級映画と言われるもので、一般的な受けはあまりよくなかった。そのせいか、友人に勧めてもなかなか見てもらえなかったり、みてくれても良い反応が返ってくることはなかった。
鈴は自分の好きなものを認めてもらえないのは悲しくはあったが、人には好みがあるからと共感してくれる人を探すのを諦めていた。
だからこそ、ユウがその映画の存在を知っていて、かつその映画を好きだと言ってくれて、鈴はそれだけでこの人に今日会ったよかったと思ったほどだった。
そして帰宅した後、ユウはまたメッセージをくれた。
『今日はとても楽しかったです。よかったら、またお会いしてくれませんか。』
鈴はそのメッセージをお風呂から出た時に気がついた。メッセージが届いていたのは鈴が家に着いたくらいの時間で、すでに一時間は経っていた。
鈴は髪の毛を乾かすのも後回しにしてスマートフォンに齧り付くようにしてアプリを起動した。
『私も、とても楽しかったです!また会いたいです。』
そう震える手で文字を打ちながら返信をする。返信したことで一息ついているとすぐにアプリの通知が届く。
あまりの速さに鈴は小さな悲鳴をあげた。アプリのメッセージ画面を見ると、ユウからの返信が届いていた。
『やった!次はいつがいいですか?』
メッセージからはユウの嬉しそうな気持ちが伝わった。鈴はなんとも言えない気持ちが込み上げてきて、脱衣所で力が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。
表情筋がうまく働かないのか、にやける顔を止めることができなかった。どれだけそうしていたのかわからないけど、姉がお風呂に入ろうと思ったのか脱衣所に現れた時、気持ちの悪いものでも見るかのような表情をしていたのを今でも覚えている。
それから鈴とユウは何回か逢瀬を重ねた。
その間に鈴はユウが優輝という名前であることを知ったし、今は社会人でそれなりに忙しくしていることも知った。
会社の同僚から彼女を作らないのかとせっつかれ、鈴と出会ったアプリを同僚に勝手に入れられたことも知った。
鈴は今大学生であることを話し、周りの友達に彼氏がいなくて心配されていることなど、大学のことを中心に色んな話をした。その中で、最近の映画の話だったり、好きなマンガや本の話も沢山した。
優輝はそのどの話にも真剣に聞いてくれて、一緒に笑ってくれることもあれば、次に会う時までに教えたことを調べたりしてくれた。
鈴は異性とこんなに長い時間を過ごすのは生まれて初めてであったため、今どきの男の子はみんなこんなに優しくしてくれるのだろうかと錯覚を起こすほど、優輝は鈴に優しかった。
その話を大学の友人にすると友人は砂糖を丸呑みしたかのような顔をした。
「もうそれ惚気じゃん。」
「惚気じゃないよ。だってまだ付き合ってないもん。」
そう返すと友人は驚きで目を見開かせた。
「本気?本気でまだ付き合ってないの?!」
ぐいっと顔を近づけて鈴の目の前で大きな声を出した。鈴は友人の顔を押して元の場所に戻しながら頷く。
友人は深くため息をついて、「その彼がなんだか可哀想になってきたわ。」と小声で言った。鈴は何が可哀想なのかよく分からず首を傾ける。
「どうして可哀想なの?」
鈴が思ったことを口にすると友人は眉を釣りあげた。
「どう考えたって、その男は鈴に気があるんでしょうが!それなのに鈴がにぶちんのせいで生殺し状態なのよ!」
鼻先に指を突きつけられる。その勢いに鈴は引き気味になりながらも友人の手を鼻先から退ける。
「生殺しって……でも彼が私の事好きなのかどうかはまだわかんないでしょ。だってそんな話、なった事ないもん。」
鈴の言葉を受けて友人はわかってないなと言うように首を横に振った。
「普通の男は下心もなく何回も同じ相手に会うわけないでしょ。ちょっとは男心も理解なさい。」
「でもやっちゃんも男心理解出来てないじゃん。だからこの間振られちゃったんでしょ?」
「その話は今はしないで!…あんたの素直さは美徳だけど今の鈴の一言は私のガラスのハートを撃ち抜いたわ。」
友人は何も聞きたくないと耳を塞いでそっぽを向く。鈴は頬をふくらませて納得いかないことをアピールする。
「第一、あんたはどうなのよ。彼のこと好きなんじゃないの?」
「うーん。どうなんだろう。」
「何よ、その曖昧な返事は。」
「だって好きって何か、わかんないんだもん。」
ぐーっと体を伸ばして全身の力を抜く。
鈴はこれまで一度も恋というものをしたことがなかった。だから好きという感情もいまいち理解出来ず、好きになったらどうなるのかもよく分からないのだ。
もちろん優輝は優しくて、鈴の話もよく聞いてくれて、色んな楽しいことを鈴に見せてくれる。
でもそれは目の前に座る友人だって、同じことをしてくれるのだ。
なら目の前で座る友人を好きだと思う気持ちと、優輝に対する気持ちはきっと同じもののはずだ。そう考えると、異性として好きというのはどういうことか鈴には分からなくなってしまう。
「一緒にいて、でももっと一緒にいたいとか、帰りたくないとか、ほかの女の子を見て欲しくないとか…そういうのは無いわけ?」
友人が宇宙人を見るかのように鈴を見ながら言う。鈴は小馬鹿にされていることを肌で感じながら、むっと口を尖らせる。
「わかんないよ…」
鈴だって優輝とのことは色々考えている。
きっとずっとこのままというわけにはいかないんだろうということも分かっているつもりだった。
でも、出来るならこの曖昧な関係のまま、ずっと続けばいいと思っているのも確かなのだ。
「わかんないよ…。」
もう一度呟いた弱々しい声は周りの喧騒に紛れて消えていった。
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