アニオタ、毒蛇に襲われる

 「敵」の攻撃は、ここが日本であることを何度か一瞬忘れるほどえげつなく、過激なものだった。


 車で猛スピードで突っ込んで来るのは挨拶代わり。

 車ですれ違いざま、窓から発砲。

 どこからともなくやってくる狙撃。

 街中で煙幕をたいて視界を遮った上での一斉攻撃。

 その他いろいろ。

 

 常春でなかったら、とっくにあの世に行っていてもおかしくはなかった。


 しかし、それでも常春は敵の正体を掴んでいた。


 街中で襲いかかってきた集団を一人だけ残して叩き、その一人を脅して背後関係を聞き出した。


 自分を狙っている敵の正体は——『唯蓮会ゆいれんかい』。


 常春は耳を疑った。彼らと争う理由に、心当たりが無かったからだ。


 いや、争うどころか、ボスである蓮からは好意的に接されている。勧誘までしてきたくらいだ。


 ……勧誘を断ったから、殺しにきている?


 いや、それだったらとっくに殺しにきている。


 ……武久路の覇権を握るという野望の脅威になるから?


 可能性は無くはない。しかし、それが目的だったとしても、だとしたらとっくの昔に攻撃を仕掛けてきているはずだ。


 分からない。どういう理由だ? 何が目的だ?


 ——そういえば、今は「どういうタイミング」だ?


 そう。自分にとって、最近何か変化が起きたりしなかっただろうか?


 少し考えて、思い出す。


 ——


 偶然だろうか。


 やはり分からない。


 だけど、『唯蓮会』が自分を抹殺するために動き出した。それだけ分かれば十分だ。


 これで常春と『唯蓮会』の……蓮との曖昧な関係性が、明確に「敵対」へと変じた。


 余計ないさかいを恐れて遠慮せずとも良い。もう「コト」が起こってしまった後なのだから。


 彼らは今や、自分の『日常』を侵した脅威だ。


 自分の全能力を使ってでも除かねばならない。


 しかし、そうはっきり決められたのは良いものの、一つ困ったことがある。


 


 話し合うにせよ、叩き潰すにせよ、まずは彼の居場所を知らなければ始まらない。


 それも下っ端を脅して訊いてみたのだが、誰もが「知らない」とのこと。


 ついでに自分を襲ってきた理由も問うたが、やはり「知らない」。


 どうやら、蓮や他の幹部達の溜まり場は、一箇所に固定されていないらしい。一定期間を過ぎるたびに別の場所に変え、警察の目を翻弄しているのだ。その時の溜まり場の場所を知っているのは、蓮と、その直属の配下である幹部達のみ。


 ——確か、東恩納ひがおんなじんもその幹部の一人だ。


 しかしながら、彼の居場所を自分は知らない。


 やはり、頼みの綱は、武久路に住む中国人達の情報網しか無いようだ。


 であれば、やはり自分の行動方針は、情報が届くまで逃げ続けること。


 ただ逃げるだけではダメだ。相手は街中で平気で銃を撃ってくるような連中だ。巻き添えを極力出さないよう、少しでも人気の少ない場所へ逃げなければ。


 すでに夜のとばりは降り、周囲には仕事帰りのスーツ姿のサラリーマンらしき人々が、一定の方向へと流れていた。——オフィス街から退勤してきたのだ。あの辺りは今、他の区画に比べて人通りが少ないはずだ。


 常春の足が、オフィス街へと向かう。


 軽身功けいしんこうの俊足を活かし、足早にたどり着いた。


 建ち並ぶ数々のビルディング群の中に、直角を描きながら広がる隘路あいろ。その中の十字路の中心に、常春は立ち止まる。


 前から、誰か来る。二人の人影。


 照らしている街灯が少なく、沈殿物のような闇が溜まった隘路の中に、二人の影。それが前からこちらへ歩いて来る。


 近づくにつれて、詳細な容姿が明らかになってくる。


 浅黒い肌。ハイビスカス柄の半袖ジャケットとショートデニム。やや濃い感じのパーツで構成された面立ち。


 知っている顔だった。


「東恩納、仁……」


 常春は思わずその名を口にする。


 以前の勝負の後、比較的誠実で好意的な態度であった仁。しかし彼もまた『唯蓮会』。つまり……常春の敵だ。


 けれども目の前の仁は、今から自分を殺しにきているとは思えないほど、冴えない、殺気に乏しい表情だった。


 彼は、常春を済まなそうに見つめ、一言。


「伊勢志摩常春——


 次の瞬間、背中の細胞がいっせいに痺れるような、強烈な悪寒を覚えた。


 震える背中の細胞の、特に脇腹の部分がチクチク感じる。考えるよりも速く、常春の身が前へ跳んだ。


 一瞬後、常春の脇腹のあった位置を、ナイフの銀閃が通過した。


 ——そのナイフの持ち主を一言で形容するならば、「特徴の無い男」だった。


 肌の色、鼻の高さ、美醜など、あらゆる顔面の数値を徹底して「中庸」に寄せたような顔。髪も坊主頭。体型も多少長身だが中肉中背に見え、上下ともに灰色のジャージを着ている。どの国であっても、違和感無く群衆にまぎれて消えてしまいそうな、どこまでも「特徴」を排した容貌。それがかえって「特徴」として強く印象付ける。そんな年齢不詳の男だった。


「——блядьブリャーチ


 その口から軽い舌打ち気味に出てきたのは、ロシア語。


 常春の脳裏にがチラつくが、今はトラウマを気にしている暇は無い。


 すぐに次なる殺気を感知し、身を瞬時に横へズラす。その残像を、そのロシア人が投擲した細い針が貫き、壁に深く突き刺さる。


 右手のナイフが陽炎のような残光を引き、その主と共に常春へ急迫。


 巧妙かつ、力みの無い太刀筋で、常春の命を一撃で刈り取る角度で次々と殺到するナイフ。それらを紙一重で回避しつつ思う。——ナイフさばきだ。


 かと思えば、いつの間にやら唇に挟んでいた針が吹き出され、矢のごとく常春へ迫る。回避。壁に刺さった。目を狙ったわけでも無い攻撃だ。比較的殺傷能力の低い針という武器で急所を狙わないということは……


(毒か……!)


 その尖端に塗られたのソレが、最大の武器。


 であれば、あのナイフの刃にも毒が塗ってあると考えても大袈裟ではないだろう。そして、その可能性がある以上、少しでも肌に擦過さっかすることすら死を意味する。


 さらに、左手にだけ被せられた手袋……アレにも不安を感じる。


 毒だけではない。古今東西の群衆に紛れられる実用的無個性さ、この無駄の無い身のこなし……明らかに殺しの訓練を長年積んだ人間の動きだ。


 くさむらの内に潜んで敵に近づき、必殺の毒牙で確実に殺す——まさしくガデューカ


 その『ガデューカ』に対し、常春は防戦一方に追い込まれていた。攻撃は今のところかすりもしていない。しかし、こちらからうまく攻めることができない。少しでも攻撃がかすったら死ぬかもしれないのだ。


 逆手に握られた『ガデューカ』のナイフの外から内への太刀筋を、常春は大きく後退して回避。これによって、スイングの次にすぐやって来るであろう刺突の間合いから遠ざかる。


 しかし、ナイフの間合いから大きく逃れてもなお、常春の胴体へ向かう「気」は消えなかった。


 その理由をすぐに察した常春は、全身を捻って、その「気」のベクトルから瞬時に我が身を逃した。


 瞬くほどの時間の後、『ガデューカ』のナイフの刀身が、ボウガンのごとき速度で自販機に突き刺さった。——「弾道バリスティックナイフ」。柄に内蔵された発条バネの弾力によって刀身を撃ち出すナイフだ。「スペツナズナイフ」という俗称で有名な武器である。


 それも思わぬ伏兵だが、それもまた「おとり」であった。


 すでに『ガデューカ』は、常春の眼前まで迫っていた。……黒い手袋を脱いだ左手を鋭く先んじて。


 その左手の皮膚は、薄い紫色に変色していた。


 それを見た瞬間——常春の体は、発射式ナイフ以上の危機を是が非でも回避すべく、勝手に動いた。


 真下から跳ね上げた蹴り足。それによって『ガデューカ』の左手前腕部を的確に蹴り上げ、その勢いで持ち上げさせた。


 決め手級の一撃を叩き込もうと考えるも、『ガデューカ』の唇に咥えられていた毒針を見た瞬間に再び飛び退く。一瞬前まで軸足があった位置を針が通過。


 再び遠間の関係になった双方。


 『ガデューカ』は柄だけになったナイフを用済みとばかりに投げ捨てた。紫に変色した左手を前にし、ボクシングの構えをとった。


(なんて邪悪なモノを……)


 常春は嫌悪と危機感を同時に抱き、敵を睨んで出方を伺う。


 あの左手は知っている。


 『毒手』だ。


 特定の毒草や毒蟲をすり潰した粉を混ぜた砂の中に何度も手を突っ込む。そんな鍛錬を長い年月行うことによって、その手の皮膚に猛毒を染み込ませる。その『毒手』によって人を打てば最期、打たれた人間は骨髄と臓腑を腐らせて早々に死に至る。


 武術家達から「邪道」と蛇蝎だかつの如く嫌われた、習得も使用も極めて危険な悪魔の技術。


 幽鬼じみた質量感に乏しい足取りでスッと距離を詰め、鋭い左ジャブを何度も繰り出してくる。質量的には軽い、しかし高致死性の毒を帯びた蛇のひと噛みのごときパンチを、常春は紙一重で回避。回避。回避。


 回避と同時に必ず拳の届きにくい後方の立ち位置へ移動しているものの、『ガデューカ』は瞬時に体の向きを変えてジャブを仕掛ける。


 それでいて、別の攻撃も忘れない。


「ちっ……!」


 隙を見つけたと思った矢先に毒針を口から吹き出され、常春は舌打ち混じりに回避。


 それは毒手を当てやすい位置へと常春を追い込むための囮であることは無論承知だ。避けて間髪入れずに迫った左手に常春は注意を払い、


「っ——!?」


 を、胴体に食らった。


 しまった、毒手に気を取られ過ぎた——己の迂闊さに舌打ちしながら、百六十センチ弱の常春の軽い体がアスファルトを転がる。


 受け身を取り、しゃがんだ体勢へ持ち直す。


 しかしその時すでに、『ガデューカ』と、その毒牙たる左手は目と鼻の先まで達していた。


 絶体絶命。


 ——しかし、常春の体は、そこに「活」を見出すことのできる動きを自然に行った。


 地にしゃがみ込んでいた両足が、急激に跳ねた。


 根のごとく地面を掴む片腕を支点にし、両足が左右交互に、天へ向けて矢のごとく伸ばされた。


 一蹴り目は、毒手を持った左腕の前腕を蹴り上げ、


 二蹴り目は、『ガデューカ』の顎を貫くように蹴り上げた。


「——っ!?」


 『穿弓脚せんきゅうきゃく』——蟷螂拳の蹴りの一種を食らった『ガデューカ』は、声にならぬくぐもった声を漏らし、全身を大きく反らす。


 よろけた足、しかしまだ立つ敵。常春は地を蹴って瞬時に近寄り、ダメ押しとばかりに正拳を叩き込んだ。


 人間という数十キロの物体の重みと、それを風のごとく運ぶ軽身功の速力。それらを累算して生まれたけいのこもった拳は、『ガデューカ』の胴体の真ん中に撞木しゅもくのごとく衝突した。

 

 大きく吹っ飛び、転がり、そして仰臥ぎょうが


 今度こそ『ガデューカ』は、動かなくなった。


 死んでいるのか生きているのか、この位置からでは分からない。だが今はそれよりも。


 常春は、道の端で傍観していた仁へと視線を移した。


 仁は、怯えも、敵意も、まして戦意も見せなかった。


 代わりに、己の内で何か葛藤しているような、硬い表情を浮かべていた。


 ——話が通じるかもしれない。


 そう悟った常春は、おもむろに歩み寄る。訊いた。


「なぜ、僕を狙うんですか?」


 その声に非難の響きは無かった。これほど大規模で攻めているということは、音頭をとっているのは十中八九ボスである蓮だ。仁などの幹部はその手足に過ぎない。


 仁の、葛藤するような表情の硬直はさらに強まる。


「——もし言わないのなら、僕は


 それは「拷問をしてでも情報を搾り取る」という意味を暗に秘めていた。仁とてそれを解したはずだ。


 そう。痛みに耐えられる人間はそうは居ない。人間の精神など簡単に壊れる。


 自分で口を割るか、他人の手によって口を割らされるか、その二択しか無い。そしてどちらを選んでも


 観念したように、仁は答えた。

 

「……宗方頼子むなかたよりこだ」


 その答えはしかし、常春の想像を超えるものだった。


「蓮は……『戈牙かがもの』の女を、己の伴侶にと欲していた。しかしそうそう見つかるはずの無かった『戈牙者』の女が、突然現れた。そう、宗方頼子がな。奴は彼女を幽閉し、自分のモノにしようとしている」


「……それでなぜ、僕を狙う?」


「己の力を、宗方頼子に示すためだ。……『戈牙者』は本能的に、強い異性を欲する。それを示すために、同じ『戈牙者』であり、かつ蓮に匹敵する力を持ったお前という存在は、願ってもないターゲット。……こんなところだ」


 常春は、己の体の奥底が、震えるのを自覚する。


 憤怒か。奸計へのおぞましさか。


 両方だろう。


 その震えの赴くまま、きびすを返し、走り出そうとした。


「待て!!」


 それを、仁が止めた。


 振り向いた常春の表情に、仁は凍りついた。——触れた者を構わず殺しかねない、冷たい剣呑さを秘めた表情だった。


 それでも、気を引き締めて訴えた。


「俺は、蓮の居場所を知っている。そこに宗方頼子もいる」


 居場所と。


 そして、己の希望を。


「どうか、一発ぶん殴って、蓮の目を覚まさせてくれ」


 一発殴るだけでは済まさない。常春はそう思った。

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