アニオタ、ダビングの邪魔をされる

 令和某年五月二十一日——停学期間十日目。


 


 現在、午後五時と少し。


 マンションの一部屋である伊勢志摩いせしま亭のベランダの向こうに見える風景は、すでに茜色の夕空だった。日を追うごとに、陽の長さも増している。気温も上がっている。


 まだ電灯のついていないその部屋を照らすのは、日常系アニメ「橋の下の橋下さん」を流している液晶テレビのみ。


 常春とこはるはそれをソファに一人座って観ていた。そのシャツはテレビの中と同じ「橋下さん」のプリントTシャツ。


 現在、常春はダビング作業中だった。レコーダーのハードディスクに録画してある「橋下さん」の一話〜五話までを、空っぽのDVDに焼き付けている。


 今やネット配信が主流になりつつあるアニメだが、常春は今でもテレビ放送とDVD円盤を中心にしてアニメを楽しんでいる。テレビ放送は録画してダビングするし、お布施としてDVDも買う。それらの作画やアイキャッチの違いを比較して楽しむのも、日常系アニメ愛好家のたしなみである。


 一度見た回とはいえ、それでも常春は楽しめる。日常系アニメは何度見ても良いモノだ。


 しかし今の常春は、目で映像を見ていても、その内容も可愛さも尊さも全く頭に入ってこなかった。


 頭の中にあったのは——昨日、謹慎処分を言い渡した頼子よりこのことだった。


(……少し、厳しく当たりすぎたかな)


 こんな悩みを、昨日頼子と別れてからずっと抱いていた。


 誰かにモノを教えることは初めてではない。過去の何度か教え子をとり、短い期間ながら武術を教えたこともあった。


 しかし、今回はこれまでの経験はアテにできない。


 ——なぜなら頼子は『戈牙かがもの』なのだから。


 同じく『戈牙者』である自分を育てた師、えん封祈ふうきも、自分を育て上げるのに神経質なまでに心を砕いたことは想像に難くない。まかり間違えれば、強力な闘争本能を持つ『戈牙者』は簡単に修羅道へと堕する。


 ゆえに、最初は師のやり方をもって頼子を教え導けば、正しい成長をしてくれると思っていた。


 しかし、それはすぐに誤りだと気づいた。


 同じ『戈牙者』であっても、


 教育とは、マニュアルが必ずしも通じない世界だ。

 人間というのは多少共通点があっても、結局は全員が「違う」のだ。量産された電子機器のように、形状やパラメーターが均一化されていないため、一つの方法論で万事どうにかなるわけがない。学校教育の落とし穴も、そのあたりに潜んでいる。


 だからこそ、本来、教育は手探りなのだ。言語的ないし肉体的コミュニケーションを通して、教える相手の人格や体質などといった要素を少しずつ掘り下げていき、どういった教え方や接し方が適当であるかを考え、それを時間をかけてブラッシュアップしていくものだ。


 今まで常春が教えてきた相手は、常春の「技術」のみを教えていた。ゆえに、教えた後の事は考えなくてよかった。その技術を振るうことの責任は、良くも悪くも学んだ人間が負う。


 しかし、何度も言うが、頼子は『戈牙者』だ。


 それも、まだ『戈牙者』としての「血」に目覚めたばかりの、な。


 ゆえに「技だけ教えてハイさよなら」という今までのやり方は、あまりに無責任だ。頼子が白か黒かのどちらに染まるかは、今、常春の手腕に問われている。


 責任重大だ。ゆえに、師の教え方という名の「教科書」に、しがみついてしまった。


 まだまだ自分は未熟であると、思い知った。


 とはいえ、頼子を甘やかして褒めちぎるだけというのもまた、適当な教え方ではない。


 昨日の頼子は、間違いなく『戈牙者』の闘争本能から来る「おごり」に取り憑かれていた。


 驕りや自信過剰で命を落としたりになったりした例は、武術の世界にはたくさん転がっている。驕りは忌むべき感情だ。


 しばらくすれば、頭も冷えて、その驕りの熱も冷めるだろう……そう思いたい。しかし保証が無い。


 保証が無いのが教育なんだってば——常春はそう自戒するが、自戒したところで良い策が思いつくわけでもなく。


 それに今にして思えば、師の教育方法はめちゃくちゃ強引だった。暴力の恐ろしさを教えるために、銃弾や巡航ミサイルや自爆ドローンが飛び、その辺に遺体が転がっているような戦地へ引きずり込む……トラウマになっていないのが不思議なくらいだ。


 いや——


 美しい白金の髪、青金石ラピスラズリのような紺碧の瞳、花弁のような桜色の唇、石膏のような白皙はくせきの肌、甘香あまこうばしい体臭、手指や口付けを柔和に受け入れてくれる乳房や臀部の感触…………最愛で最悪な記憶を想起し、常春の心の深いところがズキリと痛む。


 もう、あんなことは、二度とくりかえしたくない。


 あんな邪悪なことを平気でするような人間には、絶対になるまい。


 そう。なんだかんだ無茶苦茶でも、自分はこうして『日常』の尊さを知るアニオタになっているではないか。


 では、頼子も同じように戦地へ引きずり込む? ……いや、無理だし、やりたくない。


 どうしたものか。


 常春はため息をつき、ダビング中のテレビ画面に視線を移す。


「……?」


 ふと、を視認した。


 ベランダの向こう側に見える、青と茜色のコントラストを見せる夕空。


 その夕空の一箇所に、数分前まで無かった「黒い点」が見えた。


 飛行機か? と思ったが、マストを引いて横へ動く感じがしない。ずっとその場にとどまっている。


 いや——大きくなっている。


 「黒い点」は、徐々に大きくなっている。


 


 接近するにつれて、夕焼けに照らされたその姿が明瞭めいりょうになってくる。


 犬の鼻にも似た丸みを帯びた先端のフォルム。その横に広げられた、一対の固定翼。


 そのわずかな特徴だけで、常春はそれらの条件に該当する記憶を想起した。


 あれは昔、イエメンとアルメニアの空で何度か見た——


「っ!!」


 常春は勢いよくソファから飛び出し、玄関へと全速疾走した。


 軽身功けいしんこうによる俊足にモノを言わせて一秒弱で玄関ドアへ到達。チェーンとロックを素早く外してドアを押し開き、半開きの段階でその隙間から野外へ転がり出た。






 次の瞬間——凄まじい轟音とともに、玄関ドアが内側から膨れ上がるように外れた。






 爆轟による高熱と衝撃波が、常春の住み慣れた部屋を一瞬にして廃屋同然の有様へと変えた。


 当然ながら、アニメのダビングも機器の破損で中断されているだろう。最近買った「やぶきたフィギュア」も高熱か衝撃波で無事ではないだろう。人気声優の仁科透華にしなとうかのサイン入り色紙など、もはや推して知るべしだ。


 家が崩壊した事の次に、それらの損失を悔やむ。


 だが、今はそんな場合では無い。


 先ほどの「黒い点」の正体は——


 ざっと見た感じ、軍用ではない安っぽい外観だった。おそらく、安価な市販ドローンに爆薬を積んだものだろう。


 そんな手の込んだモノが、野球小僧がバットで打った硬球が民家の窓に直撃するような偶然性で飛んでくるわけがない。


 ——命を狙われている。

 

 理由は分からないが、そう察するには十分過ぎた。


 結論に至るや、常春はその場から走り出した。


 家を狙うということは、「敵」の次なる刺客もまたここへやって来るだろう。自分一人だけなら助かる自信があるが、周囲の人間が巻き込まれる可能性があった。それはなるべく避けたい。


 さらに、走りながらスマホを操作し、リダイヤルで電話を掛ける。


 発信先は、劉秀りゅうしゅうけん

 

 彼を長とする武久路ぶくろ在住華人たちのネットワークを拝借し、今回の「敵」の情報を集めてもらう。彼らの情報網は強力だ。


 常春は未だ姿の見えない「敵」を相手に、孤独な戦いに身を投じた。





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