邪悪な横恋慕
目を覚ました
知らない匂い。
重い全身を受け止め、包み込む、ふんわりとした感触。
自分は、ベッドの上で眠っていたようだ。しかも、一度に二、三人眠れそうなほど大きなベッドだ。……自室のベッドは、こんなに大きくはない。
首をよじって横へ向くと、やはりそこは知らない部屋だった。
綺麗にされたカーペット床材、綿麻模様の壁面、ほんのり光る小さな電気スタンド、知らない夜景をさらけ出すテラス。
目が覚めてくるにつれて、そこがホテルの一室であると確信する。
さらに、自分の衣装。
汗で重くなったジャージではない。買った覚えの無い白いワンピース。ブラとショーツも同様だった。しかも紫色のセクシーなやつ。
なぜ、自分はこんなところで、こんな格好で眠っている?
思い出せ……自分は今まで何をしていた?
最後に思い出せる記憶は、
「起きたみてぇだな」
その答えを告げるかのように聴き知った声が投じられ、頼子はビクッとする。
寝ているベッドから見て左の曲がり角。そこから足音も無く現れた安西蓮の声だ。
頼子は掛け布団で我が身を守るように包む。
「な……何よこれっ? ここはどこなのよ? あんたがウチをここへっ? それにこの服もあんたが……?」
「質問が多すぎんぜ。でもまぁ、当然の疑問か。——ここは『
質問への答えを列挙していく蓮に、頼子はまるで怯えた野良犬のように吠えた。
「あ、安心できるわけないでしょ!? ラ、ラブホテルっ? なんでウチをこんな場所に連れてきたわけっ!? 何が目的よ!? まさか——」
ずおっ、と急激に押し迫った蓮に、思わず声を途切れさせてしまう。
頼子のおとがいに指を添えて上を向かせ、己の美貌と間近に対面させる蓮。
「単刀直入に用件を言おうか。——
ぎらりと剣呑に輝く虎目のような蓮の瞳に、怯えと戸惑いを帯びた頼子の表情が映る。
恐怖で喉元が固まるが、かろうじて声を出せた。
「あ、あんたの……おんな?」
「そうだ。お前はこれから、俺のモノになるんだ。俺の隣に立ち続け、俺の血を引くガキを俺の望む数だけ産む。そんな女にな。反論は許さねぇ。これはもはや決定事項であり、我々の「尊き血」を保存するための儀式だ」
何を言われたのかを理解するのに、数秒を要した。それほどまでに常軌を逸しており、かつ、意味不明なものだったからだ。
その意味不明さは、頼子の中の恐怖をさらに掻き立てた。
「な、なにを……なにをいってるのよ。なんで、あんたとウチが……」
「言ったはずだろうが。我々の「尊き血」を、この腐った現代に保存するためだ」
「ふ……ふざけないでっ!!」
やっとの思いで頼子は動くことができた。蓮を突き飛ばして身を離し、壁際に飛び退く。
武器になるものはないかと見もせず横へ手を伸ばす。最初に掴んだのがコンドーム。羞恥でそれを捨て、電気スタンドを掴んでそれを武器として構える。
「何よ、「尊き血」って!? 意味分かんないんだけど! そんなものがウチとあんたの中にあったとして、どうしてそのためにあんたと、その……そういうことしないといけないの!? 気持ち悪い!」
怒りと侮蔑と怯えに満ちた頼子の発言に、しかし蓮はキョトンとした表情で首を傾げた。
何言ってんだこいつ、とばかりに。
「もしかして……自覚がないのか?」
「何がよっ!?」
「……なるほどなぁ。そうかいそうかい。だとすりゃ面倒だが、一から説明してやらねぇといかんか」
億劫げに言うと、蓮はベッドの脇に腰掛けて、語り始めた。
「——前に言っただろうが、俺と
俺達……それは、蓮と常春のみを指す言葉ではない。
我々の尊き血。それを後世に残す相手として、頼子を選ぶ。
そこまで来れば、言いたい事はおのずと察しはつく。
「……まさか、ウチもその『戈牙者』って奴だっていうの? 冗談よしてよ。ウチはあんたや常春みたいな化け物じゃない。拳銃なんて避けられやしないわよ」
「そりゃ、最近目覚めたばかりだからな。いくら虎でも、生後一ヶ月も経ってない小虎なんざ鹿でも
蓮は懐からスマホを取り出し、数回操作してから画面を見せつけた。
映っているのは、頼子だった。
それは明らかに、一昨日の薬物売買グループとの大立ち回りの動画だった。
最初はぎこちなかった頼子の動きが、徐々に洗練されていき、襲いくる男達を全て沈めていく。
頼子は思わず息を呑む。……これをやっているのは自分だが、映像という客観的な視点から見せられて、ようやく自分の異常性が理解できた。
今までケンカ一つしたことのない自分が、大の男と、しかも十人を超える男達をこんなふうにやっつけていく光景は、そもそも普通じゃないはずなのだ。そこから気づくべきだったのだ。
極めつけに、理恵の突き出したナイフを掴んで奪い取り、それで理恵を刺そうとしている様子。それを常春が止めに入る。
常春がいなかったら、自分は間違いなく理恵を刺していただろう。そう考えると、背中を寒いモノが駆け上る感じがした。
理恵を刺そうとしたのを常春が止めに入ったところで、蓮は動画を止めた。
「伊勢志摩常春は弟子ガチャSSRを引きやがった。まさか『戈牙者』を弟子に取っちまうなんてよぉ。——断言してやるよ。お前はあと数年修行を続ければ、伊勢志摩常春と同じくらい、いや、もしかすっとそれ以上に強くなることができるかもなぁ。この異常ともいえる成長速度…………間違いなくお前は『戈牙者』だよ」
蓮は言いながら、ベッドの周りを通り、壁際で身構えている頼子へおもむろに近づいてくる。
「分かっただろう? お前は俺と同じ「尊き血」を体に宿している。生まれながらに一騎当千の
間合いに入った蓮を、頼子は電気スタンドで殴りかかろうとする。
しかし、それよりも早く、蓮から『気迫』の爆発がほとばしった。
「きゃっ!?」
間近に雷が落っこちたようなすさまじい衝撃に、頼子は大きく身を跳ねさせ、電気スタンドを取り落としてしまう。
その瞬間に蓮は距離を詰め、頼子の左耳のすぐ隣の壁に右手を突いた。
吐息がかかる距離まで、蓮の美貌が近づく。
凄絶に輝く虎のような瞳で頼子を見つめながら、告げる。
「我々には使命がある。六百年以上の間育て上げてきた「最強の血」を途絶えさせぬよう、次世代を産んで未来へ繋ぐ使命がな。——もう一度言うぞ。俺の女になれ、宗方頼子。俺の隣でその力を存分に振るえ。同じ『戈牙者』である俺と血を混ぜて優秀な子孫をたくさん残せ。お前の血と
その眼光の発する魔力のようなものに気圧され、全身が一回り萎縮した感覚を覚える。
「……絶対に、嫌。誰が、あんたなんかと」
それでも頼子は、震えた唇で拒絶を発した。
だが次の瞬間、蓮の右手が頼子のワンピースを掴み、斜めに引き裂いた。左肩から右腰にかけての素肌と黒い下着があらわになった。
勢いよく持ち上がってくるような羞恥と恐怖に、頼子はそれを隠そうとする。だがそれよりも早く蓮がその細い両手首を掴み、力づくで壁に押し付ける。
「おい…………あんま俺を怒らせんなよ? 俺はかなり紳士的にテメェに粉かけてんだ。その気になりゃあ、まだ『戈牙者』として発展途上なテメェのことなんざ、無理矢理孕ませることだって出来んだぞ」
その剣呑に輝く虎目からは、冗談の意思が全く感じられない。
やる。この男は。
「やる」と決めたら迷わず。
「選べ、宗方頼子。自ら俺のモノになるか、無理矢理モノにされるか、どちらか一つを」
内にくすぶる恐怖を悟られまいと、頼子はキッと蓮を睨み据え、侮蔑で限界まで低まった口調で言い放った。
「……最ッ低。あんた、何でも力で解決しようとするのね」
その発言に、蓮は何を当たり前のことをとばかりに
「だから? 力がありゃ、何だって思いのままだ。当たり前の事じゃねぇか。正義? 倫理観? 人権意識? んなもん、力の裏付けが無きゃ全部世迷言だ。そんな事実と一緒に自分の雑魚っぷりから目を背けて、人権だの平和だの平等だの吐かしてやがるような豚どもとは違うんだよ。俺も、お前もよ。俺達はそんな豚どもを好きに飼育し、好きに屠殺し、好きに調理して食う側だ。所詮、世の中は力こそが全てなんだよ」
その蓮の「嗤い方」を見て、頼子は総身を凍りつかせた。
「そして、今のお前は俺よりも雑魚だ。俺の方が強い。だから俺が「正義」だ。雑魚のお前が言う「最低」が、俺に都合良く聞き入れられるとでも?」
だが、その「嗤い方」を見たことで、頼子の中でずっと残っていた疑問がようやく解けた。
それを悟ると、恐怖でざわつきっ放しだった頼子の気持ちが、一気に冷却された。
「…………ウチ、今、やっと分かった」
「あ?」
「常春が、ウチを謹慎にした理由」
頼子が蓮を見る眼差しには、憐れみが宿っていた。
「ウチも常春に……今のあんたと同じようなことを言った。それだけじゃない。——きっとその時のあたし、今のあんたみたいな嗤い方をしてたんだわ」
そう。あの時の頼子は、蓮と完全に同類だった。
力さえあれば、あらゆる物事が円滑に回る。何もかもが自分の思い通りになる。
自分より大きな男十人以上を倒したことで、己の身に宿った力に酔いしれていた。
しかし、その力を身勝手に振るわれた無辜の人間の気持ちなど、全く考えていなかった。
もしもあのまま武術の指導を変わらず受け続けていたならば、自分は確実にさらなる増長を重ね、間違った成長をしていただろう。
——その末路が、今まさに自分を凌辱しようとしている安西蓮だ。
この男は、きっと「力」しか持っていないのだ。
だから、それを振るって他者を従わせようという発想しか出てこないのだ。
この男は何もかも持っているかのように見えて、実は持っているものがあまりにも少ないのだ。全て「力」ありきで手に入れたものであろうから。
人間として、それはなんと憐れであろうか。
頼子は己の矮小さを恥じ、同時に目の前の蓮を憐れんだ。
「——かっ!?」
瞬間、蓮の右手に首根っこを掴まれた。
「おい……何だよそれは? 何だ、その可哀想なモンを見る目はよぉ……? そんなモン向けられるほど、俺は可哀想に見えたのかよ……?」
何か、ドス黒く強大な激情を押し殺したような、限界まで低められた蓮の声色。
「あ、かはっ……か、あ……!」
その激情が具現化したような握力が、頼子の細い首を圧迫する。
首の柔肌を押しのけて食い込んでくる蓮の指。
「た、たす……けて」
指が今にも頸骨にまで圧迫を進めてくる刹那。
「たす、けて…………とこは、る……!」
頼子の口が、自然とアニオタの名を呼んだ。
ここにはいない。しばらく距離を置くと言われたから、来るはずもない。そんなアニオタの名が、どういうわけか口から出てきた。
「なぜ」以上に、虫が良すぎる。
自分の「血」の衝動に呑まれ、師とあおいでいた彼にまで牙を向いた自分に、彼に助けられる資格などあるのだろうか。
ああ、自分はここで、死ぬのだ。
そんな考えが脳裏をよぎった瞬間——首の圧迫が一気に緩んだ。
拘束が解け、床に落ちるように
咳がしばらくしておさまり、ぼんやり暗くなりかけていた視界が明るくなった途端、頼子はすぐ前の蓮の顔を見上げた。
まるで虚を衝かれたような顔と瞳で、頼子を呆然と見下ろしている蓮。
絞首から解放されたのはいいが、唐突なその変化がかえって不気味だった。
蓮はしばらくぼんやりと頼子を
「ふふふふふっ、ふははははははっ…………」
笑声を、漏らし始めた。
その笑声はすするような声量から徐々に強まっていき、
「はははっ…………ははははははははははははははははははははははははははははは!!」
やがて、哄笑へと変わった。
ラブホテルの内壁がビリビリ痺れるほどの大笑。熱烈に喘ぎながらコトに及んでいた隣室のカップルがびっくりする音と声がかすかに聞こえた。
ひとしきり笑ってから、蓮は愉快そうに言った。
「そういうことかよお前よぉ!! なるほどなぁ! お前、伊勢志摩常春に惚れてやがったのか!! なるほどなるほど! ははははははっ!!」
なんて言われたのかを理解するまで数秒かかった。
ややあって、頼子はサッと顔を朱に染め上げた。
「ち、ちがうわよ!! 何言ってんのよ!? ウ、ウチっ、別に常春に惚れてなんか——」
「否定しなくてもいいぜ? さもありなんだ。……『戈牙者』っていうのは本能的に、武人として強い異性に心惹かれるもんだ。お前の顕在意識は否定しても、潜在意識は伊勢志摩常春のことを「繁殖相手」だと認めているのさ。……なるほどなぁ、どうりで俺に
「は……は、はん、はんしょく……って…………! ば、ば、ばばばばかじゃないのっっ!?」
揶揄するような蓮の言葉に、もはやリンゴみたいに真っ赤っかになった頼子の顔。今にも煙が出そうなほどだ。
死ぬほど恥ずかしくて腹立たしい一方、明るい見通しを感じていた。
さっきまでの殺伐とした空気ではない。まるで異性の同級生に色恋でからかわれているような、そんな雰囲気になっていた。
蓮も、頼子が常春に
事あるごとに力にモノを言わせる乱暴者だが、それでも、他人の恋路を邪魔しないくらいの良識はあるのかもしれない。
だが、次の蓮の言葉によって、その考えがあまりにも希望的観測に過ぎなかったことをすぐに悟る。
「だったら——お前の中の伊勢志摩常春の顔を、俺の顔に塗り替えてやるよ」
さも名案のごとく、蓮は弁舌する。
「お前の中の「最強のイメージ」は、伊勢志摩常春なんだろう。そりゃそうだ、お前の師なんだからなぁ。その「最強のイメージ」ゆえに、『戈牙者』の本能が奴を好くんだろうよ。だったら……その「最強のイメージ」を、俺に変えてやる」
それは、悪魔のごとき発想だった。
「この俺が持つ全能力を使って、伊勢志摩常春をぶっ殺す。そうして空っぽになったお前の「最強のイメージ」の欄に、俺という存在を刻み込む。そうして、お前を手に入れる。……俺も出来ることなら強姦みてぇなマネはしたかねぇ。紳士的なやり方で済むってんなら、それを選ぶね」
「ど、どこが紳士的よ!? このヤクザ者!」
「紳士的だぜ? 『戈牙者』としては。かつての『戈牙者』の里では、懸想する異性に許嫁がいたら、そいつを武力でぶっ殺して略奪するっていうのがスタンダードだったんだぜ? その異性も、武人としてさらに強い異性が現れたら、そいつに乗り換えるのが当たり前だった。な? 犯すよりよっぽど紳士的だろ? だって合意なんだからよ」
壊れている。
そんなの、まるで獣だ。人間の生き方ではない。
そんな連中の血が、自分の中にも流れているという。頼子はそれがたまらなく穢らわしいと思った。
心底蔑みきった感情を、言葉として蓮にぶつけた。
「……そんなことをしたって、ウチはあんたのモノにはならない。常春はあんたなんかに絶対負けないけど、もしも常春を殺したりなんかしたら……ウチはあんたを一生恨み続けるから」
「恨むだろうなぁ。でもそれも一時期だけだ。すぐに俺に対する恋慕に変わるだろうさ。『戈牙者』の本能には逆らえない。——今まで築き上げた全てを捨ててでもお前をモノにしたい、そう本気で思っている今の俺が良い証人だ」
言うと、蓮は頼子へ向かって手を突き出す。
「ウロチョロされっと邪魔だから、悪りぃけどまた眠っててくれや。——目覚めた頃には、お前の大好きな常春クンは死骸になってんだろうがな」
その手から『気迫』が爆発的に膨れ上がった。
十喜珠神社でやったのと同じように、ソレは頼子の意識を闇の中に突き落とした。
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少ないですが、連投は終了。
そろそろ佳境に入るので、最後までよろしくお願いします(・∀・)
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