アニオタ、不意打ちを食らう


 その日も、頼子よりこからお昼ご飯をご相伴に預かり、しばらくとりとめのない話をしてから、頼子を帰した。


 今日は、午後に用事があったからだ。


 藍色のバンドカラーシャツに、それとセットである同色の長ズボンという軽い格好に着替えた常春とこはるが向かう先は、武久路ぶくろにある中華飯店『至熙しき菜館さいかん』である。


 料理を食べに行くわけではない。


 そこの「店主」と、今日、会う約束をしているのだ。


 「店主」は、この武久路において「隠れた実力者」とも呼べる存在。常春も師のえん封祈ふうきともども良く知った仲だ。


 


「おっと」


 街中を歩いていた時、狭い路地から飛び出してきた人影。風のごとき接近に伴う正拳を、常春は紙一重で回避。


 その「人影」は舌打ちをし、そこから息もつかせぬ連撃を繰り出してくる。

 盤石な足腰でズンズン前へ踏み出すのに合わせてやってくる肘、肩、拳、双掌の攻撃。

 常春はそれら全てを受け流し、回避してみせた。


 弾むような足捌きで距離を取り、常春はその「人影」の全体像を見て、挨拶を告げた。


「——赵先生好こんにちは趙さん好久没见了ご無沙汰しています


 黒い詰襟の中華装に身を包んだ細身の青年。しかしそのスマートな見た目とは裏腹に、その重心はピラミッドを幻視しそうなほどの安定を持っているのが見て取れる。


 鷹をイメージさせる端正な顔つき。特にその眼差しには、強い矜持きょうじと向上心が鋭利に輝いている。


 その青年——趙凌霄ちょうりょうしょうはそののある瞳をくわっと開き、抗議の声を尖らせた。中国語で。


「——貴様ぁっ! なぜこのタイミングで挨拶など返す!? 俺を舐めているのかぁ!?」


「いや、だって久々に会ったので。今年は受験なんでしょう? 北京ペキンの有名大学を外国人枠で受けるんでしたっけ。勉強大変でしょう?」


「……なるほど、そうか。俺程度を相手するなど、庭の掃き掃除と変わらぬ気軽さで済むと言いたいんだな? ——その慢心、すぐに改めさせてやるぞ! 覚悟しろ伊勢志摩いせしま常春っ!!」


 気迫たっぷりに言うと、凌霄はぐおっ! と急迫。


 一発、二発、三発と素早く突き出される拳を常春は正確に手でさばいていくが、突然凌霄の重心が勢いよく手前へ動き、その動きに右掌が付随する。腹を狙った一撃。


 常春は跳んだ。強烈な震脚しんきゃくに伴って体ごと猛進してきた掌打を回転しながら避け、そのまま凌霄の後ろへと着地。……「避けた」というより、ちり紙が車の風圧に押されて後ろへ飛んだような、そんな軽やかさだった。


「今の『猛虎もうこ硬爬山こうはざん』の応用でしょう? 僕じゃなきゃ食らってましたよ。腕を上げましたね」


 嘘の無い常春の称賛に、


「吐かせっ! 貴様こそ相変わらず化け物じみた軽やかさだな、猿め!」


 凌霄がそう言い返し、再び向かってくる。迅速に前進し、高々と天に伸ばした掌を縦に切り下ろしてくる。まるで鞭のようなその一振りを常春は難なく避ける。しかし凌霄はその瞬間に間近へと肉薄。


 そこから、猛烈な技の応酬が繰り返された。


 軽く鋭い攻撃と重く鈍い攻撃が複合した、凌霄の連撃。常春はさまざまな角度からやってくるそれらを全て正確に防ぎ、避けていた。


 しかし、それにもやがて終わりが訪れた。


 重心ごと突き進む形で急迫してきた凌霄の右拳。まともに当たれば昏倒は免れないほどのちからが込められていた。

 

 常春はその正拳が突き進んでくるのと全く同じスピードで後方へ退がりつつ、凌霄の右腕を取る。それによって正拳の運動エネルギーと同化し、やがて


「うおっ!?」


 踏み込む直前に常春に右腕を大きく引っ張り込まれ、前のめりに体勢を崩す凌霄。


 本来なら体勢を崩して倒れてきた相手の鳩尾みぞおちやら顔面やらに蹴りを叩き込むところだが、大事な友人の弟子であるゆえそこまではできない。……それにこの格闘は、この青年と顔を合わせるたびに行われる「挨拶」みたいなものだ。


 うつ伏せに転んだ凌霄の右肩に膝で体重をかけて地面に縫い止め、後頭部に拳を寸止めさせた。


「……俺の、負けだ」


 悔しさのにじんだ一言。


 それを聞くや、常春は拘束を解いた。立ち上がった凌霄へ笑いかけ、賛辞を送った。


「いえ、前にやった時よりも、危なげがなくなってますよ。その場面場面で、最もベターな攻撃ができていました」


「世辞は無用。貴様に勝てなければ意味がない」


「お世辞じゃないのに……」


 しょぼんとしながら言う常春に、凌霄は背を向け、気を取り直したしっかりした声で告げる。

 

「——ついて来い。我らが「老師」がお待ちである」










 宗方頼子むなかたよりこは、空っぽのエコバッグを片手に武久路の街中を歩いていた。


 昼過ぎ。常春の家を後にした帰りだ。


 このまま帰宅するという選択肢もあるが、せっかくなのでどこか帰りに寄っていくのも悪くないと思って街へ出てみた。今、どこへ行こうか、視線で建物を物色中だった。


 最近は、一人で寂しい場所へは行かず、人の多い場所を使って移動している。人気のない場所だと、また以前のように絡まれるかもしれないからだ。自分は常春から拳法を学んではいるが、まだ習い始めて七日目では付け焼き刃にすらならないだろう。


 春物のセーターの下には、じんわり汗が滲んでいた。もうそろそろ衣替えの時期かもしれない。いや、都会の人口密度の濃さゆえか。


 衣替え、という単語でピンと来た。……服でも見ていこうかな。


 今はお金が無いが、店の服を見て回って、どういう服をこれから買おうかという参考にはなるだろう。


 そう決めるや、頼子は現在地の一番近くにあった、大きなブティックへと入った。


 夏物のコーナーへと立ち寄り、ハンガーに掛けられた衣装たちを視線でたどる。時々「いいな」と感じた服を手に取って姿見の前に来るが、胸囲が足りない、もしくは足りても目立ちすぎると分かるや気落ちして衣装を戻す。


 ホント、これ邪魔だわ……頼子は自分の胸部に豊かに実った二房を一揉みし、ため息をつく。


 女友達はみんな羨ましがるが、頼子はこの胸でいい思いをした記憶があまり無い。


 サイズの都合で可愛い下着を選ぶのが大変だし、走るたびに胸が揺れて変な反動がかかるし、夏は胸の谷間に汗が溜まって気持ち悪いし……男の目が嫌だし。


 大きくなり始めたのは小四の頃からで、六年生の頃にはすでに大人顔負けだった。デリカシー皆無な小学生男子からは「巨乳」とか「ミルタンク」とか言われてからかわれ、中学時代は男子からじろじろ見られたり、高校になったら明らかに体目当ての男子に近づかれたり……


 その点、常春は他の男より紳士といえた。


 いつもアニメキャラTシャツばかり着ているようなアニオタで、部屋にはスカートの中まで精巧に再現された美少女フィギュアで埋め尽くされていたし、推しキャラ? の声を務める声優さんからのサインを飾って崇めるなど、ちょっと引く部分はあったけど……それでも、今まで見てきた男性の中で、一番紳士的で、かつ大人に思えた。


 一方で、彼が一度も自分にを向けてこないことに、頼子はもやっとするモノを感じていた。

 代わりに彼がという顔を向けるのは、画面の向こうにいる推しキャラである。……ウチは非実在美少女に負けているのかと、少ししゃくな気持ちになる。じろじろ見られるのが嫌だと思っていたのに、我ながら勝手なものだと思った。


(……よし。夏は「ちょっと攻めた」のを選んじゃおうかな)


 心に決めるや、頼子は先ほどより気合いを入れて探り始めた。


 これはちょっと地味過ぎ、これ良さげだけど胸がキツ過ぎ、あっこれいいかもああでも高過ぎ……といった感じで物色しているうちに、いつしか三十分経過していた。


 お金も無いのに何やってんだウチ。いい加減疲れてきたし、それにだいぶ暇つぶしにはなっただろうから、そろそろブティックを出ようと考えた時だった。


「——あっ! 宗方さんじゃん! 元気してたぁ!?」


 自分の名を呼ぶ、明るさの強い女の子の声が耳に届いた。


 振り返ると、そこには「ザ・キラキラ女子」がいた。


 艶やかなセミロングの黒髪に、化粧が程よく乗ったオーソドックスな顔立ちの美少女。年は頼子と同じくらいだろう。


 ベージュ色のスーツっぽいジャケットに同色のタイトスカート。それだけ見ると仕事着っぽくてお堅い印象を与えるだろうが、開かれたジャケットの下に着た黒いインナーシャツはジャケット袖からちょっとはみ出しており、さらに素足の末端に履いているワインレッドのショートブーツが、どことなく「遊び心」があって堅い印象を感じない。


 まさに「ザ・キラキラ女子」。


「え、えっと…………どなた、ですか」


 ニコニコ笑顔のキラキラ女子に、頼子はたじろぎながらそう尋ねた。キラキラっぷりに圧倒されたのもそうだが、そんな見知らぬ女子が自分の名前を呼んだのが警戒を誘発させた。


 ——いや、待って。この人、どこかで見たことがあるような。


 ぼんやりした既視感を覚えていた頼子をよそに、謎のキラキラ女子は頬を膨らませ不満げに言った。


「えぇーっ? 忘れちゃったのあたしの事ー? ほら、中二の頃! 同じクラスだった!」


「え……同じクラス? ごめんなさい、覚えてないです……」


 頼子がそこで、ようやく記憶の倉庫の中から引き当て、ハッとする。


 そうだ。ファッション誌。この前コンビニで軽く立ち読みした「チェルシー」っていうファッション誌だ。あそこで、1ページを独占するほどデカデカと乗った、読者モデルの女の子……確か、名前は…………


「……牛久保うしくぼ理恵りえ


 頼子がそうそらんずると、目の前のキラキラ女子——牛久保理恵は呆れと嬉しさが同居したような苦笑を浮かべた。


「なんでソレで思い出すかなぁ。まぁ、中二の頃のあたしは芋っぽくて、今とは全然違うかもしれないけどさぁ」


「え……うそ。ホントに牛久保理恵さん? その牛久保さんが、中学時代、ウチとおんなじクラスだったと……?」


「だからさっきからそう言ってるじゃん。……牛久保理恵はあくまで読モとしての名前。あたしの本名は牧田まきた理恵。これで思い出せない?」


 頼子はその名前を聞いた途端、ようやく思い出した。


「牧田さんなの!? あの!? おかっぱ髪のっ!?」


 中二の頃、頼子は確かに理恵と同じクラスだった。しかし、当時の理恵はおかっぱ頭で化粧もしていない、悪い言い方をするなら「地味め」な子だった。今目の前にいるキラキラ女子とは似ても似つかない。


「メイクとかファッションとか、いっぱい勉強したのよ! 高校に入ったら読モになって、今のあたしの出来上がりって感じ?」


「いやもう……ホント、別人みたい。まるで、魂を別の体に入れ替えたみたいな……あ、ごめん。今のは失礼だった。頑張ったんだよね、牧田さん。めっちゃ美人」


「そういう宗方さんは、中学時代から全然変わってないね? 相変わらず美人。だけど……パイは中学よりでけぇですなぁ、ぐへへ」


「ちょ、もうぅ」


 わざとらしくオヤジみたいな笑い声を出しながら指をわきわきさせてくる理恵に、頼子は恥ずかしそうに胸元を隠す。


「そうだ、これから記念撮影でもしない? 再会の印にさ」


「え? うん、いいけど」


 言うや早いや、理恵はずいっと頼子の隣に密着し、自分のスマホで自撮りした。


「ありがとー! あとさ、これから暇? もし暇ならさ、あたしと遊ばない? ここ以外にも良い店たくさん知ってるからさ。ファッションのセミプロが宗方さんに似合う服見繕ってあげちゃうぜ?」


 頼子は少し考え、どうせ家にいてもやることが無いと思ったので、


「……うん。それじゃ、遊ぼっか」


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