安西蓮
東京有数の繁華街、『
この街は昼夜を問わず活発であるが、特にそれが顕著に感じられるのは夜である。
建物から発せられる照明が、夜の闇を照らすからである。店の光は暗闇でこそ存在感を表す。
光が強いと、その裏側に差す影も比例して濃くなるものである。
武久路駅南口を出て少し先にオフィス街がある。そこは駅前と比べて暗い。この辺りは接客業のビルが少なく、すでに仕事を終えてオフィスを閉めている場所が多いためだ。加えて建物の商業的用途が偏っているため、マンションなどが少なく、交通の便も悪い。そのため、ある時間帯を境に人が一気に減る。
さらに、そのオフィス街に社を構えている人間は、善良な人間ばかりではない。
そこには去年まで武久路を制していた指定暴力団『
その中の一社のオフィスがある、某貸しビルにて。
けたたましい射撃音が、狭いオフィス内の壁を揺るがす。
その音に合わせて、十五もの銃口から一斉にマズルフラッシュ。それらが向いた一点——黒スーツの少年に向けて、弾丸が音速で殺到する。
しかし、その鉄雨の一滴たりとも、その少年に当たることはなかった。
弾丸の嵐の中、少年はダンスでも踊るように巡っていた。
最初はマグレだと思った。
しかし、二秒、三秒、四秒と続くマグレは、もはやマグレとは呼べない。
銃器を撃ち放つ十五人の青年達は、揃って顔を青ざめさせた。
発射された弾丸を避けるのは、人間の反応速度では到底不可能。そんなものはアニメや漫画、映画の中だけの話だ。
しかし、目の前の少年は、その不可能を可能にしていた。
上下ともに黒いスーツと、
「はははは! なんだぁこのクソエイムは!? よぉく狙えよ、ヘタクソ共ぉ!」
その上、笑いながら煽ってすらくる。
——十五人の青年達は、その事実を信じることができなかった。
彼らは全員、同じ大学のミリタリー研究会の所属だった。
最初はただのモデルガンやサバゲー好きの大学生の集まりだったが、新しく入ってきた会員が「本物の銃を撃たせてくれる場所を知っている」という話にホイホイ付いて行ったことが、すべての始まりだった。
骨格を揺さぶる反動。落雷のごとき激発音。易々と穿たれる鉄板。初めて嗅ぐ硝煙臭……エアガンでは味わえない「本物」の魔力は、彼らの心を虜にした。
しかし、銃刀法で厳しく禁じられている銃器というシロモノを、日本で簡単に扱えるという時点で怪しさを感じて一歩引くべきだった。
そこは久栄会系組織の残党が結成した半グレ組織だった。誘った新入部員はその一員だった。
逃げようとしてももう遅かった。銃を撃つ様子を、動画に撮られてしまっていたからだ。これを
その組織の主なシノギは銃器の売買だったが、銃器だけだと客層がひどく偏るのであまり儲けにならない。なので、怪しげな薬を売るようになった。
どんどん社会のダークサイドに堕ちていく青年達が拠り所としたのが、本物の銃器だった。……日本においてはおおよそ叶わない実弾での射撃。自衛隊ですら慢性的な弾薬不足であるため無闇に使えない銃弾を、撃ちたいと思えば撃たせてくれた。
銃こそ最強の歩兵武器。その最強の力を、自分達は持っているのだ。その優越感で自分を慰めることでしか、社会のダークサイドで生きていくことはできなかった。
そう。銃こそ最強なのだ。
しかし今、その事実が覆されようとしてる。
自分達が今まで縋りついていたモノを否定されようとしている。
そのことへの焦りが、十五人に引き金を引かせ続けた。
だが、どれだけ強力な武器を手にしようと、彼らはしょせん素人だった。
黒スーツの少年が移動する。それに合わせて、自分達も銃口を移動させる。——味方の銃口と自分の銃口が向かい合う。
彼らの撃った弾は、すべからく味方を穿った。
あっという間に、十五人が五人に減った。
「おいおい、自滅してんじゃねぇよ。素人だなぁ」
一方、彼らが集中砲火していたはずの黒スーツの少年は、銃創どころかホコリ一つ付いていなかった。それでいて味方撃ちをした敵の間抜けをせせら笑う。
「あ、あ、ああ……」
残った五人も、銃口を向けつつも、引き金に指がかかっていなかった。味方を撃ってしまった呵責によって、銃を操ることへの自信の喪失を招いていたのだ。
そんな青年の一人に、黒スーツの少年は悠然と歩んでいく。
まるで無防備な歩き方。後方には味方がいない。撃てば当たる。撃て。
撃てない。引き金を引けないどころか、体のどの部位も動かせなかった。息も苦しい。呼吸筋が緊張してうまく動かないのだ。
その端麗な顔立ちに歪な笑みを浮かべ、ゆっくり近づいてくる少年。その歩き方から——とてつもないプレッシャーを感じる。
まるで、少年の半径数メートル先まで、分厚く硬い空気の壁で覆われているような……物理的接触をまだしていないのに押し込まれているような錯覚を覚え、青年の足が勝手に後ろへ退がり、壁に達する。
なんだ、「コレ」は…………!?
なお近づく少年。骨を潰されそうなほどの不可視の圧力が、それに合わせてさらに強まる。
やがて至近距離に達し、少年の手が己の顔に触れた途端、その圧力でとうとう意識を失った。
それから流れるように、残り四人へ発砲。一人一発狙いあやまたず眉間に被弾し、倒れる。
「テメェらの死因はこうだ。仲間同士で揉め合って撃ち合って全員死亡。——それでいいよなぁ? 元久栄会系
少年はそのオフィス奥の黒檀机へ歩み寄り、飛び乗る。しゃがみ込み、その下に隠れていた敵の親玉へ、ハイパワーの銃口を向けた。
額に傷、極限まで短く刈り上げられた坊主頭、鬼瓦のような威圧感あふれるパーツの顔立ち。普通にしていればさぞ迫力に溢れる顔つきであっただろうが、今は怯えが表面に現れていて見る影も無い。
その男——蛭田は泣くように問うた。
「だ、誰だよ……てめぇは? 俺らに何の恨みがあるんだよぉっ……!?」
「質問は一つにしろや。が、答えてやるのが世の情けってな。——俺ぁ
そう答えた瞬間、鬼瓦じみた蛭田の顔が、とてつもない驚愕で歪んだ。
最近、この武久路において怒涛の勢いで勢力を拡大している半グレ組織『唯蓮会』。しかもそのトップが、こんなところにやってきた。
ハッタリだとは思わなかった。安西蓮は恐ろしく強いらしい。銃を持った十五人を無傷で全滅させたこの少年が本物の安西蓮だと言われても、すんなり信じられた。
その安西蓮は、またも嗤った。ここからが本題、と言わんばかりに。
「んでぇ、次は「何の恨みがあって俺らを攻めるんだ」っていう質問への答えだ。——こいつだよ」
蓮が懐から取り出して見せつけたのは、チャック袋。その中に入った、微量の紫色の粉。
蛭田はその正体がすぐに分かり、ギョッとした。
「『ウロボロス』っつったっけか? この薬。毒性はほぼ無いに等しいが、その分依存性に全振りしてるから、一回手ぇだすと抜け出すのが難しくなる。銃器を売り出したはいいが、この国じゃ客層がひどく限られてるから儲からねぇ。だから金策として仕入れて売り始めたってとこか? 確かにヤクは商売になるよなぁ。一回でもやらせれば、あっという間にお得意様の一丁上がりだ。おまけにあちらさんは微量でも欲しがるから、値段を好き勝手に吊り上げられる。おまけにシャブやヘロみてぇな既存のヤクじゃねぇ、新型のドラッグだったら警察の旦那も網にかけるまでに時間かかるしなぁ。全くもって素晴らしいビジネスだ。……反吐が出るくれぇによぉ」
蓮は、その虎のごとき瞳に侮蔑の光をにじませた。
「俺はなぁ、ヤクがデェ嫌ぇなんだよ。俺の統治してるシマの中じゃ、こんな腐ったモンは一粒たりとも売らせねぇ。売った奴には償いをしてもらう。「死」をもってな」
「ま、まってくれ、話せば分か——」
銃声と閃光。
一発で蛭田の脳天を穿った。
「これ良い銃だなぁ。戦利品として貰っとくぜ」
蓮はハイパワー拳銃を懐に納め、事務所のドアから出た。
「……また随分と派手にやったな。レン
ドアを出てすぐ、貸しビル内の狭い通路の壁に背を預けていた一人の男に声をかけられる。
細面で長身の男。銀縁の眼鏡が似合う、一見すると知的な顔立ちだが、そのレンズの奥で光る切長の瞳は昏い殺気を常に宿しており、極め付けは額に付いた細い傷跡だ。長身痩躯に纏う紺のスーツはビジネスマンのごとく整然と着こなされているが、ドア一枚の隔たりの先が銃撃戦の現場であったにも関わらず、まったく浮き足立った感じはしない。暴力や銃声に慣れている証拠だった。
蓮は、十歳以上は歳の離れたその男へ、友達のような気さくさで声をかけた。
「おぉ、
その男——神野は呆れが礼に来るといった様子で言った。
「大丈夫だ。それよりも……何度も言うがな、お前は『唯蓮会』のボス。俺達の旗印なんだぞ。嬉々として先陣切って鉄火場に飛び込む旗印がどこにあるんだ?」
「いいんだよ。旗ってのは乗っ取った土地に突き刺すもんだろ? それに、こうでもしなきゃ俺ぁただのお飾りの旗印じゃねぇかよ。基本的に唯蓮会の細けぇ数字勘定や書類系との睨めっこは、ほとんどお前に押し付けちまってるようなモンだからなぁ。ホントさ、お前には感謝の言葉もねぇんだよ。……元久栄会直系組織「神野組」組長さんよぉ」
神野は銀縁眼鏡をすっと整え、またもため息。
「まして、あのクズ共はヤクなんてクソみてぇなモン
「それで、綺麗に皆殺しか。……まぁ、お前がヤクを憎む理由は分かるがな。何せ母親が——」
「——おい、その話はノータッチで頼むわ」
蓮から不可視の圧力が膨れそうになるのを感じた神野は「すまん」と謝罪。
神野は確認のため、事務所のドアを小さく開いて中を覗き込む。……地獄絵図がそこにはあった。
「ダイジョブダイジョブ。こいつらを殺すのに俺の武器はいっさい使ってねぇ。全部奴らの銃弾だよ。そもそも素手の一人が銃持ち十五人を殺しました、なんて話されても、サツどもは眉に唾つけて聞くはずだぜ。あいつらは所詮、常識の範囲内でしか動くことが出来ねぇんだからよ」
はははっと笑う蓮に、化け物を見るような目を向ける神野。
確かに、このガキは非常識の権化と呼べる存在だ。生まれも。育ちも。力も。その身に宿る血も。
このガキに命を狙われて、生き残った奴はいない。その中には、裏社会において殺しで名を馳せた人間も少なくない。みんな例外なく殺された。
我らがボスは、まごうことなき化け物だ。
こいつが負けて地を這う姿は、どんなに頑張ってもまったく想像できない。それくらいの。
「んじゃ、帰ろうかね。……ん。スーツにもワイシャツにも血痕は無し。じゃあこれからどっか食いに——」
行こうかね、と続くはずだった蓮の言葉を、ポケットのスマホの着信音が途切れさせた。三味線で奏でられる沖縄民謡。
「
蓮は着信音からそう確信し、スマホを取り出して通話モードにした。……蓮は各部隊隊長からの着信音を別々に分けている。音だけで電話の相手を判別できるようにするためだ。
『すまないな。こんな遅くに電話をかけて』
「構わんよぉ。堅物クソ真面目な三番隊隊長、
『堅物で悪かったな。……今日、面白い奴にあった』
「面白い奴だと?」
『ああ。蟷螂拳という中国武術を学んでいる小僧でな。……言うのは気が引けるが、俺は今日、やりあって負けた。手も足も出ずにな』
蓮はカッと目を見開く。
「マジかよっ? お前ほどの奴がボロ負けしたってのかよっ? しかも、中国武術だと? まさか『
『弟子、ではないと断言できる。
聞けば聞くほど、蓮は己の内を流れる血がたぎるのを実感する。
『俺には分かる。あの小僧の目と、醸し出す気配から。……アレは、間違いなく「こちら側」の人間だ。それに——』
「それに?」
『あの小僧は——お前と同じ『
蓮は、我知らず破顔した。
体の芯が、甘美に打ち震える。
居ても立っても居られなくなる。
急かすように仁へ問うた。
「おい、その小僧の名前は何て言うんだ!?」
『
「オーライ。心得た。素敵な情報サンキューなぁ! 愛してるぜ! んじゃな!」
半ば強引に通話を切った。
蓮はバッと神野へ振り向き、興奮気味に言った。
「伊勢志摩常春!」
「は?」
「伊勢志摩常春ってガキの情報を今すぐ集めろ! 可及的速やかにな! 冨刈の教師ん中に、ウチの傘下の金貸しに借金してやがるパチンカス野郎がいたはずだ! そいつから聞き出せ!」
——面白くなってきやがった。
これから始まるであろう「
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