アニオタ、ドスケベ大臣の称号を得る

 放課後になった。


 常春とこはるがアニメキャラ缶バッジまみれのスクールバッグを持って、教室を出ようとした時だった。


「よっ!! 停学不意打ち小僧っ!! お前マジで超ヤベェじゃん!!」


 常春の肩を気安く叩いてきたのは、陽キャイケメンの岡本貴輝おかもとたかきだった。


 一見するとキラキラと友好的な笑顔を浮かべているが、そこに内包している嘲りと優越感を常春は濃く感じていた。


「お前よぉ、明日から停学になるそうじゃん!! おとなしそうな顔してマジ超ヤベェじゃんお前、なぁ!?」


 その不自然に馬鹿陽気な声と態度に、常春は微笑して応じた。


「もう聞いたんだ。情報が早いね」


「まぁな! マジで超ヤベェよな、お前。頼子よりこちゃん助けるために通信空手で不意打ち決めたらしいじゃん? アチョー!! ってさ! アチョー!! 通信空手不意打ちキィーック!! ぎゃっははははは!!」


 貴輝はおどけた態度で蹴りを突き出す真似をしてみせる。てんで不恰好な蹴りだった。


 それを見て、下校しようとしていたクラスメイト達がクスクス笑う。


 貴輝は常春の足をげしげし軽く蹴りながら、おちょくるような口調で言う。


「お前ってマジで超ヤベェよなぁ。あれだろぉ? 頼子ちゃんの狙ってんだろぉ?」


「アレって?」


「カマトトぶんなよぉ、ドスケベ大臣! 乳だよ、乳! あのデカパイ目当てで頼子ちゃん助けたんだろぉ? あそこで男見せてポイント稼いどけば、あわよくばあのデカパイにむしゃぶり付けるって魂胆だったんだろぉ? 大人しそうな面して男だねぇ。よっ、ドスケベ大臣!!」


「いや、違うけど」


「とぼけんなよぉ!! 褒めてんだぜ? 男らしいトコあんなってよ」


 常春の答えなど聞かず、己の解釈ばかりを垂れ流し続ける貴輝。


「でも残念だったなぁ? お前はこれから停学二週間。頼子ちゃん攻略に十四日のロスタイムだ。そのロスタイムの間に、俺が一気に攻略してやるからよ。まぁそれが無くても、お前みてぇな気持ち悪ぃオタク野郎に頼子ちゃんがなびく可能性なんざゼロに近いけどなぁ。……あのデカパイをモノにできたらさぁ、感想教えてやるよ。お前は妄想で発散して我慢するんだな」


 笑いながら、常春の背中を叩く貴輝。今度は優越感と嘲りを隠そうともせず、ささやくように言った。


「ま、せいぜい停学期間を楽しんで来いや、キモオタ」


 そんな中、二人の生徒が机から勢いよく立ち上がった。アニオタ三人衆のうちの二人。日野ひの月島つきしまだった。二人は憤然と言った。


「お、岡本殿っ!! 今のは流石に言い過ぎでござるぞ!!」


「そうであります!! 伊勢志摩いせしま殿にどうか謝罪を!!」


「——るせぇよキモオタ共!! テメェらはお呼びじゃねぇんだよ、死ねっ!!」


 貴輝ががなり立てると、日野と月島は一気に萎縮してしまった。


 それを見て溜飲を下げたような笑みを浮かべる貴輝の後方に、人影。


 周囲のざわつきの変化で、貴輝は何かを感じ取り、振り向く。


「おぉ、頼子ちゃんじゃぁん!! うちのクラスに何か用——」


 言い切る前に、頼子は


 突然の一発に、貴輝は痛みと混乱を感じながら仰向けに倒れる。


「——


 そう吐き捨てると、頼子は倒れた貴輝に近づき、ソレを踏みつけ始めた。


「あっ、だっ、ち、ちょ、ま、まって、やめ、やめっ」


 貴輝の途切れ途切れの制止も聞く耳持たず、何度も何度も踏みつける。


「やめ、ゆる、ゆるし、ゆるして、やめっ」


 何度も、何度も、何度も、何度も。


 鼻血を垂らし、涙を垂らし、心身ともに縮こまり、ボロクズとなっていく貴輝を、容赦無く踏みつけ、蹴りつづける。


 助けに入る者はいなかった。


 誰も彼も、常春さえも、その予想外過ぎる光景に唖然としていた。


「な……何をやっているんだぁっ!?」


 そこでようやく止めに入る者が現れた。体育教師の町田まちだだ。


 頼子と貴輝の間に割って入って、強引に止めた。……貴輝は胎児のようにうずくまりながら、ヒィ、ヒィ、と嗚咽おえつのように喘いでいた。


 町田が何かがなり立てようとする前に、頼子が機先を制して突きつけるように言った。


「ごめんなさい先生。ウチ、今この馬鹿を殴り倒しました。


「え……いや、何を言って……?」


「どんな場合でも暴力は禁止、っていうのが校則なんでしょ? だったら今ウチがやったことも停学の対象ですよね? だからウチも伊勢志摩と一緒に二週間停学するんで。自主的に。校長先生に言っておいてくれません? まさか校則破ってお咎め無しにはならないでしょ? ねぇ?」


 頼子が冷笑する。


 町田が驚愕で押し黙っていると、


「ちょっと…………待てよ宗方むなかたっ!! あんた、よくも貴輝を殴ってくれたわねっ!!」


 ずっと傍観し続けていた光子みつこが、憤慨しながら頼子に近づく。


 振り上げた平手で頼子を打とうとするが、


「あんたも停学になるよ?」


「っ……!」


 頼子がそう淡々と告げると、光子はためらって動きを止めた。


「よかったね。。……行こ、伊勢志摩」


 冷笑とともに皮肉を言い残し、頼子は常春の手を引いて教室を出た。











「あああああっ、もうっ、ほんっっとムカつくっっ!!」


 頼子は、内に秘めた鬱憤を発散するように叫んだ。


 学校からの帰り道。常春と頼子は並んで歩いていた。


 常春は、今なお憤懣ふんまんやるかたないといった感じの頼子に苦笑する。


「まぁまぁまぁまぁ。他の人が見てるから、あんまり騒がない方が……」


「だって!! あいつらあんなに馬鹿ばっかりなんだもんっ!! 伊勢志摩は何も悪くない! 悪いのはウチに絡んだ連中! そんなの分かりきったことじゃん!! そんなことすら分からないんだよあいつら!? ああもう、ほんっと最悪っ!! 理不尽!!」


 もっとクールな子かと思ってたけど、結構激しやすい子なのかな……常春はそんな感想を抱く。


「ありがとう」


 常春はそんな頼子に、心から感謝を告げた。


 思わぬ反応だったのか、頼子は一気に怒りを引っ込めて目をぱちぱちしばたたかせた。


 その反応に、常春の口元が優しくほころんだ。


「僕のために怒ってくれて、ありがとうって、そう言ったんだよ。……宗方さん、やさしいね」


 頼子はまたも数回まばたきしてから、その白い頬をさぁっと朱に染めた。ぷいっと顔を背け、口の中で転がすような声で小さく言った。


「……別に。ウチがムカついただけだし」


「そっか。……でも、よかったの? 宗方さんまで停学になって」


「いいっ。あんただけ停学になって、ウチだけお咎め無しなんて、不公平だもんっ。それに、あの馬鹿にムカついたのはウチの本心だし。あんたの事馬鹿にしたし、それに、デ、デカ……っ、ウチが気にしてること、無神経に何回も言いやがったしっ」


 頼子が怒りと羞恥で頬を赤熱させる。「あの馬鹿」とは、貴輝のことだろう。


 胸の大きさを、という表現を省いて、常春は訊いた。


「気にしてるの?」


「う、うん。合う下着とか服見つけるの大変だし、重みが前に偏るし、夏場は胸の下に汗かきやすいし……って、何話してんだウチっ」


 男子に巨乳事情を聞かせている事実に羞恥する頼子だが、常春は平然としていた。


 そのことに少しムッとした頼子は、軽い意趣返しのつもりで言った。


「……もしかして伊勢志摩って、彼女いたりするの」


「へ?」


「なんか、今の話聞いて随分落ち着いてるんだもん。もしかして、女慣れしてるのかなって」


「……いたよ。昔」


「ええっ!? 彼女いたのあんたっ!? 嘘ぉっ!?」


 叫んでから「しまった」と思った。あまりにも失礼な反応だと思ったからだ。


 ほら見ろ。なんか少ししょぼんとした感じがするじゃないの。


 頼子は慌てて謝ろうとした。


「いたけど……もういない。


 しかし、予想外の続きに、謝罪の言葉が喉元で引っかかった。


 代わりに口から出てきたのは、我ながら無神経だと思う追求の言葉。


「……何があったの?」


「それは…………僕のせいなんだ。僕が、不甲斐なかったから」


 いつの間にか、常春の微笑は、自嘲のソレに移ろっていた。


 その反応を見て、頼子はこれ以上追求するのをやめた。


「なんか……ごめん」


「ううん。いいんだ。もう四年も前の事だから。僕もいい加減ふっきれなきゃ」


 それからしばらく、お互い無言で歩き続ける。


 頼子はその間、考える。


 ——確かに、今回の一件で一番悪いのは『唯蓮会ゆいれんかい』三番隊の奴だけど、そもそもウチがキチンとあいつらをやっつけられる力があれば、伊勢志摩に迷惑かけることは無かったんだよね……


 女だから非力でもいい。暴漢と出くわしても逃げて、警察に駆け込めば大丈夫。暴力に頼らず、平和的に解決するのが一番。


 そんな常識が、いかに「その時」において役立たずであるのか、頼子は昨日と今日の経験で思い知った。


 まして、そんな役立たずな常識を押し付けてくる大人達の無責任さにも、腹が立った。


 今後も、ああいう経験をしないとも限らない。……まして今、この武久路はなんだか物騒になってきている。去年に『久栄会きゅうえいかい』が解散してからずっとそうだ。


 であれば、どうすればいいんだろう。


 ——自分で自分を守れる力を身につける。


 今まで一度も考えたことがなかった。


 しかし、もう自分はのだ。


 「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」という言葉があるが、経験からすら学べない人間は愚者以下だ。


 自分には、身を守るための「すべ」が必要だ。


 そして、そのためのは、今、隣を歩いているではないか。


「あのさっ、伊勢志摩」


 頼子は立ち止まり、常春に呼びかけた。


 常春も止まり、「何かな?」と言った。


 図々しい頼みではないかと改めて思いつつも、頼子は意を決して言った。




「——ウチに、あんたのやってる拳法、教えてくれないかな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る