アニオタ、憤慨する
その後、
教室へ急ごうとしたが、体育教師の
かくして、職員室へと連れてこられた。
来客用のソファーに横並びで座らされる常春と頼子。
膝くらいの高さのテーブルを挟んだ対面位置には、同じくソファーに座した初老の校長と、まるで衛兵のごとくその隣に仁王立ちした体育教師の町田。
求められた通り、常春は「詳しい説明」をした。
聴き終えたそれを、校長が疲れたようなスローペースでそらんじる。
「なるほど。つまり、こういうことだね。——
「はい。間違いありません」
かなり端折っているが、概ね間違ってはいない。リーダーと戦って倒した事に関しては……まぁ「言わない自由」ということで。
頼子も口を挟まない。異論は無いようだ。
校長はふぅぅ、と疲れたように一息つくと、その気力に乏しい乾いた目を常春へ向け、問うた。
「話は分かりました……ですが一つ気になる文脈があります。伊勢志摩くん、君が宗方さんを助けた、という文脈です。どうやって助けたのですか? まさか、絡んできた連中を叩きのめして……ではありませんよね?」
——なるほど。そこを突っ込んできたか。腐っても元国語教師というわけだ。
「その通りです」
常春があっさり肯定すると、校長以外がみんな目を見開いた。
構わず、常春は説明を始めた。嘘が少し混じった、けれど最終的な帰結は間違っていない説明を。
「僕は一時期通信空手を習ってたことがありまして。なので、宗方さんに絡んでいた連中をその空手の技で不意打ちして、それで悶えている隙に宗方さんを連れて逃げました」
蟷螂拳を「通信空手」などという単語に置き換えたのは、平和的響きにするためだ。人殺し専用の武術である蟷螂拳より、大衆化されたスポーツの一種である通信空手という単語の方が剣呑さが薄いと思ったのだ。
「不意打ち」という嘘は、常春の華奢で小柄な見た目と、「叩きのめした」という説明とのバランスを持たせるためだ。世間は大柄な人間の方が強いという認識に支配されている。なので「不意打ち」ということにして、常春の説明の説得力と
「僕も、校則で暴力行為が禁止されているということは承知しています。だけど僕は、一人の男として、彼女を助けるために闘ったことを少しも恥じてはいません」
その上で、自分の正当性を主張する。
こうすれば、教師も多少は情状酌量の余地ありと考えるかもしれない。注意はされても、停学になることはないはずだ。
しかし、常春は教師の頭の硬さを甘く見ていた。
校長は呆れたように言った。
「……そういうことではないんですよ。伊勢志摩くん。君は確かに宗方さんを助けたかもしれない。でも、そのために暴力を振るったという事実が問題なのですよ。君は、校則で禁止されていることを破ったのですよ。みんなが律儀に守っているルールから、君ははみ出したのですよ。よって、それ相応の扱いは受けてもらいます」
目を見開いた。常春がではない。頼子がだ。
「伊勢志摩常春くん——君を二週間の停学処分とします。ただし今日の授業は全て受けても構いませんよ」
頼子が勢いよく立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんなのってない! 伊勢志摩はウチを助けてくれたんだよ!? それなのに停学って——」
「文句を言うな!! あと、教師には敬語を使いなさい!!」
生徒指導も兼ねている町田の一喝に、頼子は息を呑んですくみ上がる。……校門前で尻餅を付いて萎縮していたとは思えない威勢の良さだった。
停学を受けた本人である常春は、この場の誰よりも静かだった。——こうなることを、心のどこかで予想していたからであった。
校長は、世の道理の分からない子供を諭すような口調で言った。
「いいですか、伊勢志摩くん。暴力はいけない事です。暴力は人を傷つけます。人を傷つけることはいけない事です。これは、社会で生きる上で大切な事です。人を傷つけたり、殺したりすれば、逮捕されてしまうからです」
だが、世の道理が分かっていないのは果たしてどちらか。
常春は静かに問うた。
「……ならば、どうすればよかったのでしょう」
「助けを呼ぶとか」
その時、周囲には自分以外、人はいなかった。
「あと、警察を呼ぶとかどうでしょう」
警察が来る前に全てが終わってしまったらどうする。
「もしくは、警察を呼ぶ真似をして、逃げさせるとか」
そんなギャンブルみたいなやり方にどうして頼らなければならない。
「それでもダメなら、宗方さんを無理やり引っ張って逃げるとか」
それができるならとっくにやっていた。
「ちょっと……あんまり好き勝手言わないでよ! 何も知らないくせに……!」
「お前は黙っていなさい!!」
校長に食ってかかろうとする頼子を、町田が怒鳴って封殺する。
ふぅぅ、と疲れたようなため息を吐いてから、校長は改めてご高説を述べた。
「いいですか。何度も言いますよ。暴力はいけない事です。どんな物事も、暴力を用いず、平和的な手段で解決するのが最良の選択で——」
「寝惚けるな」
常春はたった一言、そう発した。
それだけだ。
しかし、その「たった一言」だけで、体育教師も、校長も、頼子も、そして職員室にいる全ての人間がいっせいに静まった。
そうさせてしまうほどの「何か」が、常春の「たった一言」に宿っていた。
無音の空間と化した職員室に、常春が発言を投じた。普段の温厚さなど名残りも感じられない、絶対零度の語気で。
「つまり、あなた方は宗方さんにこう仰りたいわけですね。——抵抗などせず、大人しくされるがままになれと。殴られようが、レイプされようが、抵抗をいっさいするなと。…………あなた方は、自分がどれだけ残酷な事を口にしているのか、自覚しておいでか」
これまで疲れたような態度しか見せていなかった校長が、泡を食った様子で反論してきた。
「な、何を馬鹿な。そんな事、私は一言も——」
「校長先生、あなたは以前、国語教師だったそうですね? であれば、言葉にしていないからその主張をしていないというのが通用しないことぐらい、分かっていてもいいはずです。あなたはただ教科書に書かれた文章を無思考にそらんじているだけか? ——だったら教師など早々にやめてしまえ。まして、生徒に残酷な事を平気な顔して教える教師など、邪魔でしかない」
体育教師の町田は反論しようとする前兆を見せたが、常春の
「だいいち、見ていないどころか、その場に居もしなかったあなた方に、僕の判断を腐されるのは
今、この職員室を支配しているのは、ただ一人。
伊勢志摩常春という、一人のアニオタだった。
誰一人として、自分に
この世に絶対的な正義など無い。
しかし、「絶対的な間違い」は存在する。
目の前にいる大人達は、それを金言のごとく生徒に吹き込んだのだ。
それを許してはならなかった。
「暴力を極力使わないという意見には同感だが、あなた方は際限無く暴力を否定している。侵す暴力だけでなく、守る暴力さえも。——仮にも教師を名乗るなら、その程度の区別くらいつけられるようになったらどうだ」
言いたいことを全て言った常春は、「気」を納めた。
途端、張り詰めていた職員室の空気が一気に弛緩する。
室内の全員が、いっせいに脱力する。
「…………申し訳ありません。言葉が過ぎました。校長先生が停学だとおっしゃるのなら、僕は甘んじてそれに従います。ですが覚えておいてください。僕は今回の自分の行動を、少しも恥じてはいません。……失礼しました」
常春はすっと立ち上がると、自然な歩行で職員室を後にした。
頼子も遅れて、それについて行った。
常春が去った後も、職員室はしばらくの間静まりかえっていた。
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