アニオタ、四階から飛び降りて美少女の和食弁当をご馳走になる

 三限目が終わり、昼休みになるやいなや、常春とこはるは教室を出て特別教室棟に走った。

 

 この時間帯はみんな購買か自分の教室に戻るため、この区画には人がめっきりいなくなる。たまに二人きりでランチしていたり、不純異性交遊に汗水流しているカップルを見ることがあるが、あれは例外なので数えなくていいだろう。


 家庭科室に入り、窓を開けると、常春は


 軒にふわりと着地。それから一段下の軒へ飛び移り……それを数回繰り返すことで、あっという間に校舎裏へと着地した。非常口に近い場所だ。


 常春がよく使っている秘密のショートカットコースだ。普段はここから非常口に入って昇降口へ向かい、購買のレア品を一番乗りでかっさらうために使っている。今からでも行こうと思えば買いに行ける。


 しかし、今回は購買に行く必要は無い。


 お弁当……しかも、校内一の美少女お手製だそうだ。


 日野ひの月島つきしまには何があったのかと訊かれまくったが、常春ははぐらかした。


 校舎の壁に背中を預けて待つことおよそ三分後、待ち人は現れた。


「……なんか、来るの早くない?」


 びっくりしたような、呆れたような顔をした頼子よりこだ。その手元には、風呂敷に包まれた重箱。


「そりゃ、宗方さんみたいな美人さんの手料理だもの。男として、足がいてしまうのは当たり前さ。悲しい生き物だと笑っておくれよ」


 さすがに「いつものクセで四階から飛び降りて来ました」なんてことを言うのは気が引けたので、常春はそれっぽい事を言って誤魔化した。


「…………なにいってんの」


 頼子はぶつくさ小言を言うようにそう返すが、ぶすっと頬を膨らませたその顔は少し赤い。なんか可愛いと思った。


 常春は、校舎裏に置いてある錆びたベンチを示す。


 二人でそこへ座った。開いた二人の間に、風呂敷から解かれた重箱が広げられる。


「すっご……」


 思わず常春はそうこぼした。


 和食オブ和食。重箱の全てが和食だった。


 しかも一品一品、どれも手が込んでいて、自然と手が伸びてしまいそうだ。


「食べていい?」


「当たり前じゃん……そのために持って来たんだし」


 常春は手を合わせていただきますをし、箸を貰う。


 まずは、日差しで黄金のように輝く、里芋と根菜類の煮物に目をつけた。


 レンコンを摘み、口に入れ、咀嚼し、飲み込み、一言。


「美味しい!」


 煮込み加減がちょうど良い。硬すぎず柔らかすぎないレンコン。それでいて味がちゃんと染み込んでいる。


「……ありがと」


 頼子はそっけない感じで言うが、その口元は微かにほころんでいた。


 あっという間に全部食べ切り(もちろん頼子も食べたが、常春に比べると少なめだった)、手を合わせてごちそうさま。


「ありがとう。いやー、めちゃくちゃ美味しかった。お代を払いたいくらいに。上手なんだね、料理」


 幸福感に満ちた声で常春が感想を述べると、頼子は唇を尖らせてほんのり赤くなる。


「あ、ありがと…………まぁ、レパートリーは和食ばっかりだけど。おばあちゃんから教わったんだ」


「おばあさんから? へぇー。僕は父さんから料理を習ったんだ。まぁ、僕は宗方さんほど上手じゃないけど」


 頼子はきょとんとした様子で質問してきた。


「伊勢志摩んちはお父さんがご飯作ってるんだ? お母さんは?」


「いない」


「えっ?」


「僕に母親はいないって話。僕が小さい頃、僕とお父さんを置いて蒸発しちゃったから」


 まずい事を聞いたとばかりに、頼子が後悔の表情を浮かべた。


「…………ごめん。嫌なこと思い出させて」


「いいよ。今更会いたいとも思わないし。僕の家族は父さんだけだよ」


「昨日の……あのナントカ拳法も、お父さんから教わったの?」


 常春は「ううん」とかぶりを振って否定した。


「僕に蟷螂拳を教えてくれたのは、えん封祈ふうきっていう中国人。武術界じゃ有名な人だったんだ」


「知らない」


「そりゃそうだよ。普通の人には知られてないんだから。普通の人が知ってるのは世界的ボクサーとか、運動選手とか、そういう「テレビに出る人」でしょ? 僕の師匠が有名なのは、テレビじゃ絶対に出せないような世界……裏社会でなんだから。僕はその人から、八歳から十四歳まで武術の英才教育を受けたんだ」


「……練習、大変だったの?」


「それはもう。過酷だったよー。馬の尻尾を手のひらに乗せながら馬の後ろを延々と追いかけさせられたり、対練の時に受けた老師せんせいの突きで前腕部の肉がとめくれて尺骨が剥き出しになったり……」


 ひえっ、と青い顔をして飛びすさる頼子。


 あー大丈夫だから、ほら見て腕、と常春は右袖をめくって前腕部をあらわにする。無傷だった。


「でも……老師せんせいには本当に感謝しているよ。あの人が厳しく叩き込んでくれたから、今の僕がある。武術っていうのは中途半端に身につけるほど、危ないものだから」


「……そっか」


 頼子はうつむくと、数秒間を置いてから、優しい響きを持った声で言った。


「その……昨日はさ、ほんとにありがとね。伊勢志摩」


「……ん」


 常春は感謝を頷いて聞き入れた。


 現在の時刻を確かめるため、常春はスマホを取り出してスリープ画面を見る。まだ昼休みは三十分以上も残っていた。表示された日時の背景は、和装美少女のアニメ画像。大人気日常系アニメ「お茶立て町のお茶目なお茶屋さん」の主人公にして常春の推しキャラ「やぶきた」の画像だ。


 それをチラ見した頼子が尋ねた。


「伊勢志摩、アニメ好きなの?」


「好きだよぉ? とくに「日常系」がね」


 アニメの話にシフトしたことで、常春の口調が少しはずむ。


「ニチジョウケイ、って何?」


「可愛い女の子たちが、ただただ平和な日常を過ごすだけのアニメさ」


「何それ、あんまり面白くなさそう」


「えー? そんなことないよ、面白いよー!」


 常春が心外だと抗議の声を上げる。


「「日常系」は確かに大きな変化はないんだけど、その分、争いも戦争もなくて平和なんだよ。それに、変化にはとぼしくても、それはまったく彩りがないって意味じゃないんだ。その何気ない日常の中にいろんな発見や宝物が転がっていて、それを一つ一つ見つけていくようなところが面白いんだよ」


 頼子は数秒きょとんとした顔をしてから、クスクスと可笑しそうに笑った。


「伊勢志摩、必死すぎ」


「そ、そう?」


「ん。でもちょっと安心した。伊勢志摩って、別にケンカが好きってわけじゃなさそうだね」


「まあ、武術の技術交流は好きだけど、無意味な争い事は好きじゃないよ」


 そこでふと、常春の表情が引き締まった。


「——だけど、現実は「日常系」とは違う。この現実はひたすら不条理だ。いくら平和な『日常』を過ごしたい人が多くても、必ず争いを起こす人がいる。残念ながら、世の中に争いというモノがなくなる日は、たぶん永遠に訪れない」


 頼子はそう語る常春を見て、気分がざわつくのを感じた。


 普通の人が今のセリフを言えば、「ちょっと立派なこと言ってるな」程度にしか感じられなかっただろう。だが常春の言動からは、「実感」のような生々しさが含まれている気がしたのだ。


 瞳からも、さっきまでとは違う、ひどく冷たい感じがした。


 それからしばらく、無言の時間が続く。常春も頼子も、次に話すべき話題が思い浮かばなかったからである。


 一言も喋らないため、ざわざわとした他の場所のざわめきが大きく聞こえてくる。


 それは主に、校門の方角からが濃い。


「——校門?」


 常春は違和感を覚え、思わず声に出す。


 今はまだ昼休み。学校外のコンビニに買いに行く生徒もいないことはないとはいえ、校門に生徒が集まって賑わうような時間帯ではないはずだ。


 頼子が反応する。


「校門がどうしたの?」


「いや……校門の方角が、なんか騒がしいなって」


 頼子も耳をすますように数秒黙ってから、常春に同意する。


「行ってみる?」


「……うん。ちょっと気になるし」


 まだ三十分も残っている。その余裕が、二人に弁当箱を片付けさせ、校門へ向かわせたのだった。

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