アニオタ、いつもの朝+αを迎える
——令和某年。五月十一日。朝八時二十分。
東京都立
「——いやぁぁぁ、昨日の「
教室の一箇所で固まって座るアニオタ三人衆の一人、
「毎話ごとに魅せてくれる神作画は言うに及ばず、思わぬ形で果たされた伏線の回収! 何より…………百合ッッ。あれだけ
ひょうたんみたいに恰幅の良い体格が特徴である日野は、百合アニメを偏愛するオタクだ。
ちなみに彼が今語っている「清刃神姫」とは、女性にしか使えない特殊な体術「
「しかし、斬魔巫女というのは、平安時代から千年間も人間の品種改良を行なってきた者達の末裔ゆえに、遺伝子的な理由で短命であるという設定であります。……おまけに清刃は百合描写だけでなく、ゴア表現や悲劇的展開にも富んだ作品であります。ゆえに、最終回でふうなぎ死別エンドという展開もあり得るのでは……?」
三人衆のもう一人、
「ぬおー!! それを言わないでほしいでござるよ月島殿ぉ!? 「清刃神姫」はオリジナルアニメゆえに先の展開が全く分からぬでござる! その予想が当たってしまうことを拙者含むネット上の全ファンが危惧しているのござるよぉ!! 「風子死亡説」の考察動画のサムネイルが目につくたびに震えが止まらなくなるでござるぅ!!」
「まぁまぁまぁまぁ」
頭を抱えて苦悩している日野を、三人衆の最後の一人、
彼が立ち直るまでにしばらくかかるため、常春は月島へと話を振った。
「そういえば、月島さんも清刃観てたんだ? 守備範囲はBLだけじゃないんだね」
「ふふん、小生、清刃は百合アニメとして見てはおりませぬ。バトルアニメとしての観点から見れば、あの作品はかなりの完成度。まぁ「女性にしか使えない体術」というのが、いかにも百合豚に都合の良い設定だとは思うでありますがなぁ」
月島がせせら笑う。
「百合豚とは失敬でござるぞ!!」
日高はガタッと椅子から立ち上がり、月島へ反論する。
「それを言うならば、ホモの方が無意味な試みではござらぬか! 男同士が乳繰りあったところで、腐臭しか生まれぬでござる! しかし百合からは花の香りがするでござる!」
月島も立ち上がり、すかさず
「何を言うでありますか!! 今の発言、全世界のBL愛好家への侮辱と受け取ってよろしいか!?」
「ああいいでござるよ! 何度でも言うでござる!! 百合は尊い!! ホモは汚い!! 千古不易の真理でござるよ!!」
「ホモではありませぬぞ!! BLと呼んでいただきたい!!」
「そんなものは欺瞞でござる!! 毒薬を糖衣で包むがごとき欺瞞!!」
「ならば百合もレズではありませぬか!! レズレズレズ!!」
「ふはははは!! 効かぬ!! 効かぬでござる!! 百合をレズに変えたところで、よりエロさと潤いが増すだけ!! むしろどんとこいでござる!!」
「それもまた欺瞞であります!!
「まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁ」
そこでようやく常春が止めに入った。
「百合でもBLでもいいじゃない。どっちも歴史は古いんだよ? 中国の漢代くらいからあったんだからさ。どっちも二千年の歴史だよ? すごいじゃないか」
いつの間にか同性愛の議論にすり替わっていた二人の論争を、そのようになだめにかかる。
日野と月島は落ち着きを取り戻した。
——これがこの「アニオタ三人衆」の中での、常春のポジションであった。
百合豚とBL狂い。価値観の違うこの二人の議論がヒートアップしすぎたら、なだめて落ち着かせる役割。
常春がいてこそ、この相反する趣味を持った二人が離れずにいられるのだ。
——そして、常春には「もう一つのポジション」があった。
「キモッ。あんたら朝っぱらから何キモい声でキモい事叫んでんの? ウザキモいんだけど。キモい」
軽蔑に満ちた女子の声が、端から聞こえてきた。
見ると、そこには染めた金髪ロングが特徴的な、華やかな見た目の美人がいた。
この二年二組のクラスカーストの上位に位置する女子生徒、
程よく化粧の乗った端正な顔立ちを侮蔑で歪めて見下ろしてくる光子に対し、常春は座ったまま謝罪する。
「あ、ごめんね山田さん。うるさくして」
「あんたさぁ、前もそう謝ってなかった? 学習しないの? 数秒で忘れる魚なの? マジキモくて邪魔。キモい騒音とキモい迷惑しかまき散らさないキモオタはとっとと出てってよ。廊下か校庭に。あ、校舎から出てってもいいわよ」
「いや、もうすぐホームルーム始まるから無理だよ。少なくとも今はもううるさくしないから、ここにいさせて欲しいな」
常春はそう言ってへらっと笑う。
光子は舌打ちしたものの、それ以上何も言わなかった。
「よーう! 光子! 何してんのぉ? そんな掃き溜めの近くでよぉ! 病気になっちまうぜぇ?」
馬鹿陽気な男子の声が、一気に近づいてくる。
光子の隣にやってきたその男子は、光子と並んでクラス内カースト最上位に君臨する陽キャイケメン男子、
光子は常春達と接した態度とは百八十度違う甘やかな態度と声色で、貴輝に訴えた。
「聞いてよ貴輝、こいつらがね、マジキモいの! ホモだのレズだのキモい言葉撒き散らして、ホントキモいのよ!」
「マジかよ、超ヤベェじゃん。ったく、このクラス分け考えた奴マジ死ねよ」
貴輝は常春達を見下ろすと、蔑みを含んだ笑みを浮かべて言った。
「お前らも死んだら? ほら、そこに窓が開いてんだろ? 四階だから余裕で死ねる高さだぜ? どうせこのまま生きてたって童貞処女のまま子孫残せずに終わるんだからよ、いっそ人生リセマラしたらよ? 劣等遺伝子くん」
周囲からクスクスという笑声が聞こえてくる。
それでも常春はただ笑みを浮かべ、
「考えておくよ」
「……チッ」
貴輝は舌打ちして、光子と一緒に離れていった。
その様子に、日野も月島もホッと胸を撫で下ろした。常春と違って、この二人は陽キャグループが近くに来ただけで尻込みして押し黙ってしまうのだ。陽キャへのクレーム対応も常春のポジションであった。
さて、今は騒がないと言った手前、もうアニメの話は避けた方がいい。まぁ、ホームルームはもうすぐだし、黙って解散っていうのもアリだけど——
「なぁ知ってる? 『
陽キャグループが固まって、声高に、おまけに手まで叩いて雑談している。——あらまぁ。こっちに「騒ぐな」とか言ったのに、自分たちは騒いでるじゃないか。
「都合が良いでござるなぁ」
「まったくであります」
日野と月島が静かに憤慨する。ここでだけは両者の主張が一致したようだ。
「おい、見ろ……」「あれ……
そこで突然、クラスメイト達、特に男子がざわつき始めた。
彼らの視線は、一様に教室前方の出入り口へと向いていた。常春もそれらに倣って同じ方を向く。
「あ」
そこには、
しかも頼子は、明らかに常春の方を向いていた。……昨日の帰り、常春は頼子に自分の名前とクラスを教えてある。
常春が手招きすると、頼子がおずおずと教室へ入ってきた。常春の前で止まる。
「どうしたの? 宗方さん」
問いかけると、周囲(主に男子)がざわつきだした。「なんであんなオタクの所に……?」とか、「どういう関係だ」とか口々にしゃべっている。
頼子は、周囲には聞こえない声量で話しかけてきた。その顔は少し恥ずかしそうだ。
「……あのさ。今日さ、伊勢志摩……お昼ご飯、用意してきてる?」
「へ? いや、購買にでも行く予定かな。もしくは学校近くのコンビニ」
常春がそう言うと、頼子は表情を明るくし、すぐに「しまった」とばかりに慌てて神妙っぽい顔を作って言った。
「じゃ、じゃあさ……ウチさ、今日、お弁当いっぱい作ってきたんだ。昼休み……校舎裏で、どう?」
「いいの?」
「うん……昨日のお礼」
「ありがとう。じゃあ、ご相伴に預かろうかな」
常春の感謝に、頼子は安堵したように小さく微笑を作る。
何か言いたそうにしている日野と月島を見ないフリしていると、
「よぉう頼子ちゃぁん! そんなオタク野郎と話してたらさ、変なバイキンもらっちゃうぜぇ? マジで超ヤベェぜ? そいつらはさ」
陽キャグループから
頼子は視線だけをそちらへ向ける。
貴輝の馬鹿陽気な弁舌は続く。その瞳は、ちらちらと頼子の豊かな胸部に向いていた。
「そいつらはさ、画面見てハァハァすんのだけが青春っていう、マジで超ヤベェ惨めな奴らなんだよ。こんなくっせぇ奴らなんかシカトしてさぁ、俺らとお話しようぜぇ?」
教室の周囲から、微かな笑声が聞こえてくる。
それに対し、
「——は?」
頼子は低まった声で、たった一声発した。
しかし、そこに込められた絶対零度の響きと、鋭めな瞳をさらに細めた眼差しが、そのたった一声に強い拒絶と
万年馬鹿陽気な貴輝も、その氷の刃じみた冷遇には胆を冷やした様子。何も言わず動かずのまま硬直した。
「どいて」
頼子が低くそう告げると、貴輝はほぼ反射的に頼子に道を開けた。
後方の出入り口から、教室を出ようとする頼子。
「——待ちなよ」
それを、光子が阻んだ。静かに憤然とした態度で。
「あんたさ、何あの言い方? せっかく貴輝が誘ってやったっていうのに。ちょっと顔が良くて胸デカいからって調子乗ってない?」
うわ、こんな台詞リアルで言う人いるんだね。常春は思った。
「頼んでないし。むしろ迷惑だし。あんたが代わりに誘われてあげれば」
対して、頼子はそっけなく切り捨てた。
だが、最後の一言が余計だったのか、光子は紅潮し、
「っ——このブス」
頼子を真っ直ぐ睨み、右手を振り上げた。
(あ、マズい)
そう思った常春は、今まさにビンタを実行しようとしている光子に焦点を当てた。
遠くにいた常春の手は彼女に届かないし、モノを投げたわけでもない。ただジッと力強く見つめただけだ。
「——っ!?」
だが、光子はまるで、服の中に氷水を流し込まれたようにビクッと身を震わせ、硬直した。
その場にへたり込み、今なお震える手足を訳も分からず見つめている光子に怪訝な目を向ける頼子だが、すぐにチャンスと思ったのか彼女の横を通り過ぎた。
出入り口を出て、常春から見えなくなる寸前、頼子は小さく手を振った。
常春もまた、手を振り返したのだった。
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