第一章 赤ずきんちゃんと死神さま

一 乙女なら誰もが胸キュンするだろう例のアレ

 美南川県縦浜市美舘山町みながわけんたてはましみたてやまちょう三十五番地。広大な敷地に、二階建ての大きな洋館を構えたこの地に、赤園まりんが越してきて半年が過ぎた。

 小さな頃からの夢であるフラワーデザイナーを目指し、日本海側の片田舎から、東京湾に面する縦浜市と言う名の都会へと上京してきたのだ。

 現在、まりんが一人暮らしをしている洋館はその昔、母方の祖父母が暮らしていたが、今から五年ほど前に祖母が、その翌年に祖父が他界してからは空き家となっていた。

 この春から高校生となったまりんが一人暮らしをするには大きすぎるが、自宅から徒歩十五分圏内に駅やスーパーなどがあり、通学と日常生活の利便性を考慮すると申し分がないのである。

「さて、ドラマを見終わったし……ちょっと早いけど、夕飯の買い出しに行きますか」

 まだまだ夏の暑さが残る九月中旬。自宅一階のリビングにて、撮り溜めていた恋愛ドラマを見終わり、思い切り伸びをしたまりんは、テレビ横にある置き時計に視線を向けながらそう呟くと身支度をしに、二階の自室へと向かった。

 部屋着からUVカット素材のアイボリーのトップスに焦げ茶色のキャミワンピースを着たまりん。下ろしていた黄土色の髪をポニーテールにして財布やスマホを、少し大きめのトートバッグの中に入れて身支度を整えると駅前のスーパーへ向けて、家を出る。

「っ……!」

 突如として何者かの気配を感じ取ったのは、家の外に出たまりんが玄関を戸締まりしていた時だった。誰かが、この敷地内に侵入している。

 強盗かしら……

 にわかに警戒したまりんは、堕天の力で以て出現した真っ赤なコートを着込み、フードを被った。堕天の力を使い、真っ赤なコートを着た赤ずきんちゃんになったのはあの日以来、半年ぶりである。

 半年前のあの日、まりんは堕天使と契約、そして命を落とした……と思い込んでいたのだが、ただ単に気を失っただけで、実際はこのように生きていた。

 あの時に出会った祠の管理人さん、堕天使、白いダッフルコートを着た黒髪の青年ともそれ以来、一度も会っていない。

 祠の管理人さんと堕天使については氏名など未だに不明な点がいくつもあるが、黒髪の青年だけは去り際に名を明かしてくれた。

「俺の名前は、ガクト・シロヤマ。毎日の激務に疲れて羽を休めに来た、ただの特殊能力者だよ」

 去り際、まりんに名前を尋ねられ、気取った笑みを浮かべてシロヤマはそう返答した。

 悠然とまりんのもとを去って行く彼の背中からは、一仕事を終えた、正義のヒーロー感が漂っていた。そんな彼を見送りながらもまりんは(やっぱり、変な人)と不審に思ったものだ。

 堕天使と契約をしたことで使用可となった堕天の力については、どうしても使用しなければならない時のみとし、それ以外は使用しないようにしている。そして今、私有地に何者かが侵入していることを知り、身の安全を図るため、まりんは半年ぶりに堕天の力を使用したのだった。

 どこからでも来なさい。私が、相手になってあげるわ。

 自宅の、玄関の戸を背にして佇みながら、まりんは警戒を続けた。

 依然として、何者かの気配がしているところを見ると、侵入者はまだ、家の中までは侵入していないようだ。

 一度、戻ろうかしら。家の中が気になるし……

 警戒したまま、まりんが体の向きを変えて、肩に提げているトートバッグの中から鍵を取り出し、玄関の戸を開けようとした、その時。マナーモードにしているスマホのバイブレーションが作動、まりんに着信を告げた。

 一時作業を中断し、トートバッグの中からスマホを取り出すと着信相手を確認、まりんが通う、美南川県立美舘山高校のクラスメートの細谷健吾ほそやけんごからの着信だった。

「逃げろ。死神しにがみが、赤園を狙っている」

 何事かと電話口に出たまりんに、細谷くんは開口一番そう告げた。

「死神って……一体どういうこと?」 

 あまりにもシリアスな口調で危険を告げた細谷くんに、まりんは緊張を覚えながらも冷静に問いかける。しかし、どこからともなく現れた相手が、後ろからひょいとスマホを取り上げたがために、細谷くんからの返答を得ることが出来なくなってしまった。

「わざわざ警告してくれてありがとう。けれどきみの大切なお友達はもう、僕の手の中さ。残念だったね、金田一くん」

 最後の金田一くんは意味不明だが、気取った口調で静かに応対した相手はそのまま電話を切る。

「さてと……」

 着用している、ダークスーツの内ポケットにスマホをしまった相手は、ぎょっとしているまりんと向き合いながら、徐に話を切り出す。

「突然だが、今からきみに呪いをかけさせてもらう。理由は、あらゆる者たちから、きみの大切なものを護るためだ」

 私の大切なものを護るために、呪いをかけるのね。けどなによ、あらゆる者たちって。

 本人はいたって真面目だが、相手が真面目だろうがなんだろうが、面と向かって意味不明なことを言われたまりんは、引きつった表情でマジないわぁ……と内心思いつつ、どん引きしたのだった。

「そうですか。じゃ私、とても急いでるんで」

 半ば棒読みで、素っ気なく返事をしたまりん。もうこれ以上は関わり合いたくないと不意に視線を逸らし、相手に背を向けた時だった。鍵で以て玄関の戸を開けたまりんに急接近した相手がドンッと、戸を叩いて閉めたのは。

「俺から、逃げられるとおもってんの?」

 仏頂面を下に傾け、振り向いたまりんの目を見据えた相手がそう、どすの利いた声で告げたのだった。

 顔と顔が触れそうなくらいの至近距離。片手で玄関の戸を叩き、行く手を遮った相手。背が高くて超イケメンの若いお兄さんに迫られ、締め切られた戸に固定されたまりんは、完全に逃げ場を失った。

「……脅迫ですか?」

 締め切られた玄関の戸に固定され、身動きが取れないまりんはそう、毅然たる態度で冷やかに尋ねる。

「それに近いかな」

 まりんと視線を合わせたまま、不敵な笑みを浮かべた相手は気取った口調で返答。

「ここできみを逃がすと、手遅れになりかねないからね」

 なんてやつだ。

 相手を睨みつけつつ、まりんは内心、冷やかに呟いた。目的を達成させるためなら、どんなに卑劣になろうと手段を選ばない。そんな嫌な雰囲気が、目と鼻の先にいる相手から漂っていた。

「あなた最低ね。か弱い女の子に、こんな形で迫るなんて」

「そんな憎まれ口を叩いていいのかな?誰もいないこの場所で、か弱い女の子の口を塞ぐのは造作ないんだぜ?」

 壁ドンしたまま、空いているもう片方の手でぐいっと、まりんの顔を上げた相手は、どすの利いた声で再び脅しにかかった。

 目と目が合い、顔と顔の距離がさらに縮まったこの状況。そしてこの角度。このままいけば唇と唇が触れて大変なことにっ……!

「わっ……悪かったわね」

 冷酷な笑みを浮かべている相手とのキス、と言う最悪の事態を回避すべく、不意に視線を逸らしたまりんは、頬を赤く染めるとぶっきらぼうに謝った。

 この時、まりんは気付かなかった。

 ツンデレ女子、最高かよ!!

 内心、そう叫んだ相手の顔が若干にやけていることに。

「きみ、本当はとっても素直でいい子なんだね」

 ポーカーフェースで以てまりんに返事をした相手は不意に顔を近づけると、まりんの唇にキスをした。

「素直に謝ったご褒美だよ。同時に、俺との契約をさせてもらった。これできみに呪いがかかり、あらゆる者たちから護られる――って、なんで泣いてるのォ?!」

 気取った笑みを浮かべて説明する最中、きょとんとした顔でぽろぽろと大粒の涙を流し始めたまりんに気付き、ぎょっとした相手がおろおろし出す。

 契約と称し、初対面の相手に唇を奪われたうえ、得体の知れない呪いをかけられて、まりんは底知れぬ恐怖から泣き出したのだ。

「ご、ごめんよ?そんなにショックを受けるとは……思わなかったんだ。だから、機嫌を直して……ね」

 取り繕った笑みを浮かべてまりんを宥める相手。と、その時。相手の背後に歩み寄った男子高校生が、どすの利いた声で相手を威嚇。

「おまえ、なに泣かしてんの?」

 まりんのクラスメートの細谷くんだった。

「強引の壁ドンにあごクイ、それに伴う泣かせる行為……あんたが侵した罪は、これで三つだ。その罪、その身をもって、しっかり償ってもらうぜ」

「分かったよ。だから……俺の背中につきつけている、物騒なものを下ろしてくれないかな」

 徐に両手を上げ、平静を装いながらも相手は、気取った口調でやんわり応じるとかけ合った。相手を信用したのか、一歩下がった細谷くんがすっと、相手から離れる。

「まったく……平和なこの国に銃なんて物騒なもの、必要ないだろ?」

 おかげで命拾いしたわ。

 と、ぶつくさ文句を言う相手に、薄ら笑いを浮かべた細谷くんが一言放つ。

「おまえ、死神のくせに、めっちゃびびりなのな」

 冷やかに言い放った細谷くんの言葉が、相手をきょとんとさせる。表情、声色ひとつ変えず、細谷くんはとどめを刺す。

「俺はただ、銃に見立てた指先を、おまえの背中につきつけてただけだぜ?」

 んナッ……んだ……とォォォ?!

 右手親指と、人差し指で銃の形を作りながらとどめを刺した細谷くんに、驚愕した相手はものすごい衝撃を受ける。

「ひ、卑怯だぞぉ!ただの指鉄砲に、新聞紙を被せるなんてぇぇぇ!!」

 どこぞのハードボイルド漫画に出てくる、凄腕スナイパーのような真似しやがって!

 大声を張り上げた相手のつっこみ……いや、怒号が飛ぶ。

「卑怯もなにも、こんな子供だまし、普通の人間だって騙されないぜ」

 フンッとお言葉を返した細谷くん。最後に軽蔑のまなざしで、

「よっぽどの妄想好きか、びびり以外は」と言葉を付け加えた。

 これが最後のとどめになったらしい。口をあんぐりと開けて絶句した相手は、そのまま石化した。

「赤園……大丈夫?」

 相手が怯み、石化している間に、細谷くんはまりんの方に歩み寄ると、具合をく。心配するその声に、まりんは手の甲で涙を拭うと、笑顔で応じた。

「うん、細谷くんが来てくれたからもう大丈夫。でも……」

 急に顔を曇らせたまりんは、真顔で見詰める細谷くんに、相手から呪いをかけられたことを打ち明けた。キスをされたところは伏せて。

「……ごめん。怖い思い、させちゃって」

 まりんはきょとんとした。

 なんで細谷くんが謝るの?謝んなきゃいけないのは、あの男なのに。

「俺が、呪いを解いてやるよ」

 そう言うと細谷くんは、徐に向き合うまりんの両肩を掴んだ。

「ほ、細谷くん……?」

「ごめん。赤園にかけられた呪いを解くには、こうするしかないんだ」

 いきなり両肩を掴まれ、もしやと顔が火照るまりんに、真剣な面持ちで詫びた細谷くん、そっと顔を近づけ、まりんとキスをした。

 唇と唇が重なり、柔らかな感触がまりんと細谷くんの両方に伝わる。まりんにとっては不意打ちとなる行為だ。けれど……

 さっきはあんなに嫌だったのに、相手が細谷くんだと安心する。やっぱり私は、細谷くんのことが好き。好きすぎて胸の鼓動が止まらない。恥ずかしいけれど嬉しい。好きな人とするキスって、こんなに気持ちがいいものなんだ。

 異性として好きと感じる細谷くんとのキスは、予想外にもまりんに幸福を与えたのだった。この幸福がもっと続けばいいのに……とまりんが思った矢先のことだった。

「ハイ、そこまで!」

 いつの間に元に戻ったのか。強引に割って入った相手が、いいムードの二人を引き剥がしたのは。

「俺が石化してる間にイチャつきやがって……そこのきみィ!」

 憤慨した相手が細谷くんの前に立ちはだかり、ずびしっと指さしながら大声を張り上げる。

「なんてことしてくれたんだ!あれは、彼女を護るためのものだったんだぞ!」

「おまえに護れるもんか。赤園を狙ってるくせに」

「彼女を狙っているのは、きみも同じだろう?」

 相手を睨みつけ、凄みを利かせる細谷くんに、フンッと気取った笑みを浮かべた相手は静かに言葉を付け加える。

「彼女にかけた呪いは、呪いをかけた俺じゃないと解けない。なのにきみは強力な呪いを、いとも容易く解いて退けた。きみは一体、何者だい?」

「さぁ、何者だろうな。俺は」

 不敵な笑みを浮かべた細谷くんがそう、余裕を見せつけながら言った。

「余裕でいられるのも、今のうちさ。そう……今から俺が言う言葉できみは、余裕がなくなり冷静でいられなくなる」

 気取った笑みが浮かぶ、ポーカーフェースで告げた相手に、いささか警戒した細谷くんが強く出る。

「そんなこと、あるわけねーだろ」

「どうかな。なにしろきみは……赤ずきんちゃんの彼女を通して、俺と間接キッスしたんだから」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべて放った相手の一撃に、ぎょっとする細谷くんとまりん。

 予想外な発想――?!

 思いがけない衝撃を受け、まりんと細谷くんは心の中で同時に叫んだ。

 長身で、ダークスーツがよく似合うイケメンだが、毛先を遊ばせた茶髪といい、どことなくホストの雰囲気漂うチャラに見える相手。

 堕天の力を使う時だけ、真っ赤なコートを着て、頭からすっぽりとフードを被るまりんを童話の赤ずきんちゃんにたとえて、間接キスをしたと言い出すとは……

 彼の発想は、口をあんぐり開けて茫然と佇むまりんと細谷くんにとって、予想外にぶっ飛んでいたのであった。


「どうだい?思わずどん引きするくらい驚いたろう」

 腕組みをしながら、ふふんと得意げに尋ねた相手。してやったりと言いたげに、にやりとするその言動が何故か、放心状態からめたまりんと細谷くんをイラッとさせる。

「驚くもなにも、おまえ……」

 冷や汗の浮かぶ真顔で細谷くんは、そこで一旦区切るとすかさず、

「気色悪いな」と冷やかに賤視せんしした。

 嫌悪感丸出しの細谷くんに向かって、フンッと冷笑を浮かべた相手は、開き直ったように反論。

「気色悪くて結構!だがね、この世の中には『イケメン同士の危険な恋』だってあるのだよ。きみも体験してみないか?刺激的で、燃えるような男同士の危険な恋を」

 やっぱりこいつの発想ぶっ飛んでやがる。

 もはやつっこむ気にもなれないまりんと細谷くんは心の中でそう思うに留まった。

 完全にキャラ変わってるし、怪しさ倍増だし、一体なにを考えてるのか分からない。嘘か本当かさえもさっぱり分からない。面前に佇む相手と向き合う細谷は、身の危険を感じた。

「そんなに怖がることはない。初めは優しいところから、ちょっとずつステージアップして行けばいい」

 急に変なスイッチが入ったらしい。そこまで言い終えた相手のボルテージが最高潮に達した。

「さぁ、始めよう。男同士の燃えるような、新感覚の禁断の恋を!今こそ!大人の階段を上ろうではないかぁ!!」

 一気に上昇した相手のボルテージに追いついて行けず、細谷くんが声を張り上げ、捲し立てる。

「そんなんで大人の階段上りたくねぇし!つか、無垢でピュアな女の子の前でナニ語っちゃってるの?!おまえそんなキャラだっけ?!なんかもう別の意味で怖いわ!」

「細谷くん……だったね」

 徐に、気取った笑みを浮かべた相手が細谷くんに視線を向けて尋ねる。

「きみなら受けと攻め、どちらを選ぶ?」

「聞けよ!人の話!!」

 もはやキャラ崩壊寸前の相手に、細谷くんは一段と声を張り上げてつっこんだ。この時点で、細谷くんの横で放心状態と化すまりんには、男同士の会話がまるで理解できていなかった。ふと真顔になった細谷くんが、冷静沈着に自分の想いを告げる。

「真面目な話……俺は、普通の恋愛をしたいと思っている」

 そこで言葉を切り、まりんの方に向き直った細谷くんは断言。

「俺が本気で好きなのは、赤園まりんだけだ。もし、この場に恋敵ライバルがいるとすれば、絶対に渡さない」と。

「それは、彼女に対する愛の告白……と受け取っていいのかな?」

 背を向ける細谷くんに、相手が真顔で尋ねる。まっすぐ前を見据えたまま、細谷くんはびしっと返答。

「そう取ってもらって構わない」

「それと最後の言葉は、きみからの宣戦布告として受け取っておくよ」

 冷やかな視線を、細谷くんの背中に投げかけた相手は静かにそう告げると言葉を付け加える。

「彼女を愛するきみにとって俺は、強力な恋敵ライバルだから」と。

 細谷くんが、私のことを……

 面と向かって告白されたまりんは、頬を赤く染めたまま、しばし茫然としたのだった。

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