三 祠の管理人さんの呪い
「よぅ……目が覚めたか?」
どのくらい気を失っていたのだろう。意識が戻り、ゆっくりと閉じていたまぶたを開けると、いつの間にか戻っていた祠の管理人さんが屈んで顔を覗き込んでいた。それも、つまらなそうな顔をして。
「管理人さん……?」
「君、ここで何があったか、説明出来る?」
「いいえ……今、目が覚めたところなので……彼は?黒髪の青年はどこに……」
「君のすぐ傍で、気を失って倒れているよ。ほら、そこに……」
祠の管理人さんからの返答を受けて、アスファルトの路面に仰向けの状態で横たわったまま、まりんはそっと顔を動かした。まりんから見て左隣で、白いダッフルコートを着た黒髪の青年が、うつ伏せの状態で倒れていた。
「私が気を失っている間に……一体、何があったのかしら」
「さぁな……俺も今、戻って来たところだから、状況がさっぱりわかんねーよ」
顔を元の位置に戻して呟いたまりんに祠の管理人さんがそう、つまらなそうに返事をした。再び、祠の管理人さんと視線を合わせながら、まりんは心配そうに問いかける。
「祠は……無事だったんですか?」
「無事だったよ。見た目は……な」
「見た目は……?」
「祠には、誰かが侵入した形跡が残っていた。それはそこで気を失っている青年のものとみて、間違いないだろう。問題は、祠に安置されている堕天使の像だ。見た目は何の変哲も無い、ただの像だったが、像に触れた瞬間、すぐに偽物だと分かったよ。そう、像に宿る堕天使の魂がそっくり抜けていたから」
流石は、祠の管理人と称するだけのことはある。彼の鋭い観察力は、思わず青ざめたまりんを感服させた。
「そ、それじゃ……彼は……」
「罪人……と判断するにはまだ、確たる証拠が不十分だ。今のところは、保留だな。これはあくまで、俺の予想だが……祠に侵入したのは、黒髪の青年だけじゃない。他にも侵入者がいた可能性がある」
黒髪の青年の身を案じたまりんに、祠の管理人さんは真顔で返事をすると、
「質問に答えてくれ。君は本当に、祠には近づいてないだろうな?」
まるで念を押すように尋ねた。
鋭い眼光を放つ祠の管理人さんの視線がまりんを捉え、尋常じゃないほどのプレッシャーを与える。
「はい。祠には、近づいていません」
祠の管理人さんからの、無言のプレッシャーに耐えながらもまりんはそう、ポーカーフェースでしっかりと返答した。
「そうか……」
そう、静かに呟いた祠の管理人さん。徐に、まりんの手を引き、上半身を起こすのと同時にキスをした。
「俺は、君に疑いの目を向けている。黒髪の青年と同じく、祠の中に足を踏み入れた侵入者なのではと。ついさっき、俺はここを離れる直前、ちょっとやそっとの力じゃ解けない頑丈な結界を張って行った。もしもに備えての、堕天使除けの結界をな。
それが解けているってことは、ここにいる君達のうちどちらかがより強い力を使ったことになる。そう、例えば……堕天使にしか扱えない『堕天の力』とかな。そこで、君に呪いをかけさせてもらった。俺とキスをした時点で君は“
まりんの唇にキスをした祠の管理人さんは、鋭い目つきでそう告げると立ち上がった。
「まっ……待ってください!」
徐に体の向きを変え、徐々に離れて行く祠の管理人さんに向かって、その場に取り残されたまりんが慌てて待ったをかける。
「私にかけられたあなたの呪いは……どうしたら、解けるのです?」
まりんに背を向けてすたすたと歩を進めていた祠の管理人さんが静かに振り向くと、
「君の疑いが晴れれば呪いは解ける。それまでは、絶対に解けない。どんな力を使ってもな」
真顔でそう返答すると、再びまりんを背にしてどこかへと去って行ったのだった。
とりあえず……頭の中を整理してみよう。
上半身を起こしたまま、しばし祠の管理人さんを見送っていたまりんは顔を前に戻すと腕を組む。
事の発端は、まさにまりんがいるこの場所だった。三人の中学生くらいの子供達を背に、狩衣と狩袴姿の、小学生くらいの美少年が祠の管理人さんと対峙していたのがつい先ほどのことである。
結界を張り、祠の管理人さんの攻撃に堪え忍んでいた少年がやや押され気味で、このままでは結界が耐えきれなくなってやられてしまうと思ったまりんが、今は廃墟と化している古い日本家屋の地下室に位置する祠を見つけて、堕天使の封印を解いてしまう。
そして、まりんの手により、封印が解けた堕天使と契約、彼にしか扱えない堕天の力を手に入れた。その後、再びここに戻り、少年に代わってまりんが祠の管理人さんと対峙。黒髪の青年が登場したのは、その最中だった。
祠の管理人さんが、自身が管理をするその場所へと向かったその隙に、黒髪の青年とここから脱出を試みるも、事前に張られていた祠の管理人さんの結界に阻まれ、あえなく失敗。黒髪の青年にまりんが、堕天の力の使い手であることを疑われた時だった。人間の姿に身を変えて、堕天使が現れたのは。そこからの記憶がふっつりとないのは、堕天使が姿を見せてすぐに気を失ったからだろう。
しばらくの間は気を失い、ふと意識が戻った時には祠の管理人さんがここに戻っていて、黒髪の青年は気を失っていた。まりんが気を失っている間に、何かが起きたことは明白だ。黒髪の青年と堕天使の間で一体、何が起きたのだろうか。それともうひとつ、まりんには気掛かりなことがある。それは、祠の管理人さんのことだ。彼は明らかに、まりんを疑っている。
『祠に侵入したのは、黒髪の青年だけじゃない』
たった今、ここを去っていた祠の管理人さんは確かにそう告げていた。黒髪の青年の他にも侵入者がいる可能性があると、そして
気が気でないと言えば……たった今、起きたばかりの出来事について、まりんは改めて振り返る。まりんに疑いの目を向ける祠の管理人さんは、ポーカーフェースで嘘をついたまりんに呪いをかけて行った。それも、不意打ちキスをする形で。若くてイケメンの部類に入る祠の管理人さんとのキスを思い出し、恥ずかしさにまりんの顔が火照った。
「なっ……なに動揺しているのよ、赤園まりん!キスはもう、中学一年生の頃に細谷くんと経験済じゃない。そうよ、ファーストキスを奪われなかっただけましだわ!」
「へぇー……そーなんだぁ……」
屈んだ膝の上に右手で頬杖をつきながら、黒髪の青年が素っ気なく返事をしたのは、まりんが自身に言いかけるように声を張り上げた時だった。
「まりんちゃんが経験者だったなんて、それは知らなかったなぁー……」
つまらなそうな顔をして、間延びした口調で返事をした青年に、びっくり仰天したまりんはめちゃくちゃ動揺。
「なっ……ななななんで私の名前をっ……?!」
「今、自分で言ってたじゃん」
「気を失っていたんじゃ……」
「なに動揺しているのよ、赤園まりん!って、まりんちゃんが自分に言い聞かせている声で目が覚めたよ」
「じ、じゃ……それから前のことは……」
「堕天使と戦ったところまでは覚えているけど、その後のことは気絶しちゃったから覚えてないな」
つまらなそうな顔をした黒髪の青年との会話に区切りがついたところで、まりんはほっと安堵した。中学一年生の時に経験しているまりんにとっては二度目となるラブシーンを、面前にいる黒髪の青年に見られることはなかったのだから。
ギリギリセーフ……じゃないわね?
安堵したのも束の間、すぐにあることを思い出したまりんは再び、動揺する。
聞かれた……黒髪の青年に……私の初体験を……あーもーなにやってんのよ私!
顔から火が出る思いだ。独り言の形で自分の体験談を相手にバラしてしまうとは……
「まりんちゃんに聞きたいことがあるんだけどさぁ……」
依然として、つまらなそうな顔をしながら、黒髪の青年が平然と尋ねる。
「俺が気絶している間に、祠の管理人さん、ここに戻ってこなかった?」
「戻って来ましたよ。私も気を失っていたから、状況を詳しく説明は出来なかったけれど……」
まりんは真顔で返答をすると、様子を見に行っていた祠の管理人さんがここに戻って来たことを黒髪の青年に話して聞かせた。祠の管理人さんに呪いをかけられたことは伏せて。
「罪人と断定するには証拠が不十分だから、今のところ保留……ね。しかも、祠に侵入したのが俺だけじゃなくて、他にもいる可能性があると、あの人は疑っているわけか」
「管理人さん、言ってました。祠には、誰かが侵入した形跡が残っていたって。そこに安置されている堕天使の像に宿る魂が、そっくり像から抜けていたそうですよ。それで、像が偽物だってことを見抜いたそうです」
妙に冷静沈着なまりんの言葉に、屈んだまま真顔で考え込んでいた黒髪の青年が、頬杖をついていた右手で頭を抱えると厄介そうに呻いた。
「うげっ……マジかよ。あの人、なんでそんなことまで見抜いたんだか……」
「なんだか、心当たりがありそうな口振りですね」
クールを装い、妙に勘が鋭いまりんに、いささか動揺した黒髪の少年は頭から右手を離すと、まりんに視線を向けてあっさり白状した。
「さっき、俺が祠に行った時には、堕天使の像が消えていたって話をしただろう?実はその時……俺は、この身に宿る特殊能力で以て、復元したんだよ。忽然と姿を消した、堕天使の像をな。完璧に復元させたと思っていたのに、像の中身まで復元出来なかったがために偽物だと見抜かれてしまうとは……あの人、疑っているだろうな。堕天使の像を復元させたのが、この俺だって」
「よく分かりませんね」
腑に落ちない表情をしながら、まりんは疑問を口にする。
「侵入しただけならまだしも、なんで、堕天使の像を復元する必要があったのでしょうか」
「それは……」
なかなか鋭いまりんの疑問に、黒髪の青年は真顔で返答。
「俺より先に、祠に侵入した誰かを、
何か理由があってのことなんだろうけど……もしも、俺の勘が当たっていたら、祠の管理人の逆鱗に触れて、重罪人扱いされかねない。最悪の事態になる前に、堕天使と侵入者を捜し出さないと……」
いつになく真剣な面持ちで予想と目的を口にした黒髪の青年。その姿をしばし見詰めていたまりんが不意に口を開く。
「あなたの勘……当たっていますよ。私が、あなたよりも先に祠に侵入して、堕天使の封印を解いたのだから」
「えっ……?」
まりんの不意打ち発言を受け、黒髪の青年に緊張が走る。
「ついでに白状しますけど私、堕天使と契約したんです。そのおかげで堕天の力が使えるようになって……」
「それで、祠の管理人が張った結界を破ることが出来たのか。きみが……堕天使にしか扱えない、堕天の力を使ったから」
表情がにわかに険しくなった黒髪の青年はそう、言葉を繋げると、
「きみから、使い方によって変化する、特殊能力を使ったって聞いた時にそうじゃないかって思ったんだ。そんな特殊能力は、堕天の力以外に考えられないから。けれど、どうして……そんな大事なことを、得体の知れない俺に告白してくれたんだい?ひょっとしたら俺は……きみにとっては敵になるかもしれないのに」
疑問に感じていたそのことを問い質した。黒髪の青年から問い質されたまりんは真顔で返答。
「なんとなくですけど……私は、今のあなたが敵に思えなくて。例えそうだとしても、私が気付かないうちに味方になってくれそうな、そんな気がするんですよね」
なにげにふと、優しく微笑んだまりんの目をまっすぐ見詰めたまま、黒髪の青年は目を見張った。
明らかに俺よりも年下の女の子が気遣って、いま抱えている素直な気持ちを打ち明けてくれた。俺は、事の成り行きによっては味方どころか、きみにとって敵になるかもしれないのに。
状況に応じて平気で嘘を吐くし、見た目は優しい人間だけどその気になれば冷酷な人間になれる一匹狼だ。そんな俺を、面前にいる彼女は、信用でもしたのだろうか。もし、そうだとしたら……
「俺は、赤ずきんちゃんのきみが思っているほど、優しい人間じゃないよ」
ふと、優しく微笑んで否定した黒髪の青年は、
「けれど、そんな俺に本当の事を打ち明けてくれたのは嬉しいよ。ありがとう、俺を信用してくれて」
率直に気持ちを打ち明けたまりんに
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