第8話-ご褒美
オフナーマから降りてきた三人の顔には喜びがあった。しかし、静かである。喜びを分かち合うことも、ハイタッチも、雄叫びを上げることもない。
黙っていればこのまま食事を取って、またシミュレーターにでも入りそうな勢いだ。
しかし、ロートはそれでは味気がないと思う。人間の営みには対価が必要だ。勝者には宴を。敗者からは略奪を。模擬戦に略奪も何もないのだが、宴は必要だ。
そこで、ロートは彼女らが戻ってくる間に、報酬を用意していた。
「おめでとう、軍団兵諸君。君らの初勝利を祝って、一つ催しものを用意した」
オフナーマから降り、格納庫で並んでいた三人は僅かに背筋を伸ばした。後ろに手を組んで無表情を装っているが、頬が持ち上がっている。可愛らしいところもあるものだ、とロートは笑いそうになった。三人は十六の少女だ。幼さがある方が自然である。
「君らにはカレーライスを作ってもらう」
ロートがそう高らかに叫ぶと、ティスはポカンとなった。オウカも小首を傾げている。
一緒に料理をして団結を、というのは子供だましすぎたか。ロートが冷や汗を感じていると、テキストメッセージが受信される。
「ヴィダーの生活を調べてみてください」
ウォルからのものだった。ロートは情報を閲覧しながら、自分の浅はかさに気づく。背筋が冷えていく。シェルターで暮らしていると聞いた時点で調べるべきだったと後悔する。
ティスとオウカの反応は至極当然のことだった。彼女らはカレーという存在を知らなかった。そもそも料理という概念がほぼ廃されていた。
ヴィダーではオフナーマのコックピットのように寝て過ごす。彼女らが寝るロッカーのようなものがひたすら並んでいるのだ。
そして仮想現実で生活をする。生身はほとんど寝ていて、数ヵ月から数年交代で僅かな時間だけ動かすことができる。その間の栄養補給や排泄などの生命活動は、ロッカーの中で処理されるため、料理など口にする機会がまずない。
仮想現実でも食事は必要だが、それすら配給のレーションだ。わざわざ仮想現実で食べるというのにである。棒状や玉状で、固さや味もバリエーションがあるが、そればかり食べている。生身、現実でも変わらないらしい。食に無頓着なのだ。休憩時間に趣味らしい趣味がないのも同じような事だろう。そういう文化がないのだ。
ロートは脳裏に残っている人間と、ヴィダーの人々は同じ存在とは思えなかった。自分の体が船になっていることや、記憶がないこと、オフナーマなどの摩訶不思議な存在を数々目にしてきた中で最も衝撃的な事実であった。人間はそれほど資源が不足しているのだ。人の営みが変わりきってしまったことに恐れを抱く。
ロートは船のシステムを管理しているので、ティスたちの食事がレーションなのは知っていた。カレーの材料もレーションの生成装置の数値を弄ったからできたことだ。
だが、主食がレーションだとは知らなかった。訓練中だからと思っていた。ずっとこんなものばかり食べているとは考えもしなかった。何もかもがロートの知っている人間と違った。目の前の少女たちが別の存在に見えてくる。
だが、動揺している隙は作れない。ロートの命がかかった戦いはまだ途中だ。ここで嘘がバレると困る。偽りがあるから、彼女らは団結できているのだ。前提は崩せない。
「カレーライスというのは料理のことだ」
「料理?」
「食材を組み合わせて加工することだ」
「わざわざ加工をするの?」
ティスの声には、なんでそんな非効率なことをするのだ、という疑問が含まれていた。
料理が報酬には結び付かないのである。
「報酬という名の新たな訓練だ、軍団兵。芋虫でなくなったからといって気を緩めるな」
「申し訳ありません」
「謝罪はいい。さっさと着替えを済ませて、もう一度格納庫に集合だ」
「はっ」
三人は右腕で左肩を叩き、小走りで自室に戻っていった。
ロートはその間に、船の掃除ロボにアクセスし、カレーの準備を進めておく。カメラだけでなく、船のプログラムで動くものであれば何でもアクセスできる。
材料はもどきだ。じゃがいものようなもの、にんじんのようなもの、という具合だ。皮はないし、ブロックのように四角い。調理器具もオフナーマの修繕システムを改良したものなので、万全とは言いがたかった。それでも初心者の料理であれば十分だろう。三人が戻ってきたので、ロートは指示を始めた。
「オウカは米を炊け。ティスとウォルはカレーだ。手順はテーブルに記してある」
「了解しました」
カレーライスを作るだけで、ずいぶんと元気のいい返事だ。そんなことを思いながら、ロートは三人の作業を観察する。オウカは手順通り米をとぎ、水を量って火にかけた。じっと火にかけられた飯盒の代わりとなった缶とにらめっこしている。肩の力を抜け、と言おうとした時、ズトンという重い音がした。
「ティス、よせ」
「なによ。材料を切るって書いてあるでしょうが」
ナイフをもったティスをウォルがなだめていた。どういうことだ、とロートは思ったが、すぐにウォルの正しさを理解する。ティスは包丁を握った右腕を真っ直ぐ頭上に伸ばし、九十度振りかぶってまな板のジャガイモを叩き切った。
こんなベタな料理下手はアニメーションだけだろう、とロートは呆れる。流石にこれは口を挟まねばならない。そう思ったが、先に言ったのはウォルだった。
「ああ、そうだ。材料を切る。それは正しい。だがね、そうやって切るものじゃない。万が一手元が狂ってみろ。君の指はおさらばだぞ」
「あんたね、あたしがそこまで下手くそだと言いたいの。前衛の、あたしが、ナイフの扱いすらできないって?」
「そうじゃない。食材の切り方があるんだ」
「切り方ぁ?」
胡散臭そうに繰り返す。この二人はどうしてこうなのだ。まだ二人だけでは円滑にはならないらしい。戦闘中はいい具合に連携が取れていたではないか。このままでは喧嘩が続くだけだろう。そう思ったのか、オウカが止めようとする。が、その前にティスが呟いた。
「なら、教えてよ」
「あ、ああ、もちろんだ」
素直なティスにウォルは驚いているようだった。彼女だけでなく、ロートもオウカも驚いていた。本当に成長しているらしい。二人三脚は本当に効果があるのかもしれない、とロートが混乱し始める始末だった。
そこからは順調に進んでいった。切り、炒め、煮るという基本的な行程なので危ういということもなかった。
各自、自分の皿に盛り付け、テーブルについたところで、ロートが口を開いた。
「同じ釜の飯を食う、と昔の人間は言った。どういう意味かわかるか、オウカ軍団兵」
「その、カマノメシというのからわからないのです」
「そうきたか。釜というのはご飯、ライスを炊いたりする金属製の器のことだ。同じ釜の飯を食うという言葉は、仲間として寝食を共にした親しい間柄という意味なのだ」
言わんとすることがわかったのか、疑問符を浮かべていた三人の表情が変わる。
君たち三人はずっと生活を続け、勝利を収め、こうして食事を作った。これで仲間だ云々という臭いスピーチでもロートはしようと思ったが止めた。
「さあ、食え。いつ敵が来るかわからんからな」
頷きで応え、三人はカレーを掻き込んでいった。皆、良い食べっぷりで完食する。料理という文化が廃れただけで、不必要になった訳じゃない。美味しいものは美味しいし、楽しいことは楽しいのだ。これで終わりと部屋に戻ろうとした三人をロートは呼び止めた。自信をつける機会だ。肯定感を互いに高めあってほしい。
「待て待て。勝利したんだ。喜びを分かち合うといい」
「分かち合うですか」
「そんなの簡単だ。まずハイタッチ」
「はいたっち?」
「両手を挙げて叩き合う。お互いよくやったという念を込めて」
三人は一人ずつ叩いて行ったが、今一掴めていない様子だった。
「ほら、次は全員で肩を組め。二人三脚みたいに」
三人は怪訝な顔をしたままロートの指示に従う。
「それで歌でも歌う」
「歌ですか」
三人はそれぞれ顔を見合わせた。全員眉をひそめている。どうも知らないらしい。
「じゃあ、ゴー、ナナって掛け声を繰り返す」
「ゴー、ナナ」
「そして体を揺する。ティス、そうじゃない。掛け声のリズムに合わせてみんなと同じ方向にだ」
掛け声が続くにつれ、三人の顔がほころぶ。ロートはホッとした。滑稽なことをしているように見えるだろう。肩を組んで、体を揺する。何がしたいのだという話だ。
しかし、彼女らには必要なことだと考えた。自信や肯定感のない彼女らにとって、喜び合う仲間の存在は互いの自信を育むだろう。模擬戦や訓練以外で顔を合わせない。そんな関係は寂しすぎる。
歌うように楽しく叫び続ける彼女らは純真無垢な子供に見える。ロートは自分も混じりたくなったが、鬼教官ということになっているのでそれは難しい。
残念ではあるが、悲しくはない。彼女らが勝利を掴んで、それを喜んでいる。思えば、三人が心の底から楽しそうにしているのは初めて見たかもしれない。
年相応にはしゃいでいる姿を見ると、心が満たされる。やはり彼女らは別の存在などではない。同じ人だ。思いやりがあって、共感ができて、友情を育める。煌めくような個性もある。それを人と言わずして何と言うのだ?
今のロートには自分の命が繋がれた安堵はほとんどなかった。それよりも、目の前で輝く少女らに目を奪われていた。
そして、ティスの表情だけ少しずつ曇っていくのを見逃さなかった。
はしゃぎ終えたあと、ティスが後片付けを買って出た。そんなものは自動で片付くのだが、ロートは許可した。オウカとウォルも手伝うと言ったが、ロートが帰した。ティスに聞きたいことがあったのだ。
ティスが洗った食器をロートは受け取って、拭きながら話しかけた。
「初勝利おめでとう」
「あたしはポンコツだから囮だけどね」
自虐する風にティスは言った。
「そんなことない。ティスにしかできない仕事だった。君は無茶な戦いを繰り返してきたから、回避することはこの隊一だ」
「回避だけでも買ってもらえて光栄だわ。毎度毎度、出しゃばったかいがあるもの」
「そんなことはない。前衛としての能力は十二分にある。シミュレーターでの成績を他の隊と比較してみればわかることだ。今やこの軍団内でトップクラスの実力だよ」
ティスは模擬戦が始まった当初の個人成績は百六十八位と最下位の成績だったが、この模擬戦が始まる直前に四十番台まで上がっている。前衛用のシミュレーターの成績だけ見れば、十位に入る実力まで成長していた。どれくらいかロートは具体的に言ってもよかったのだが、どこがティスの怒る導火線かわからないので止めておき、褒めるだけにしておいた。いつもと違って大人しいのも気になる。
「そうかしら」
口元に微笑を漂わせていたが、ティスの顔は浮かないものだった。初戦が終わってから彼女だけずっとこの調子だ。喜びがあまりに薄い。勝利だけでなく、世辞が全くない褒め言葉も届いていないようだ。三人の中でティスが一番感情的だと、ロートは思っていたから驚きである。そのことが引っ掛かってオウカとウォルを帰したのだった。
「さっきの訓練が気にくわなかったのか?」
「そんなことはないわ。うん、楽しかった。本当に報酬だったのね。それに、毎日楽しい。話せるだけで、これだけ分かり合えるなんてね。前までは話すなんて出来ていなかった。私が曇っていたから、二人の気持ちに気づけなかった」
ティスが勝手に暗くなっていくので、ロートは慌てて言葉を挟む。それにしても、話せる、という事を皆どうして特別視するのだろう?
「甘やかすわけはないだろう。言い間違いだ。訓練だ。まあ、何でもいいのだがね。私が生きていられるなら」
「生きていられるならですか?」
ティスは大きな声で訊き返した。
「ああ。私は君らと違って、ここに本体がある。負ければ死が待っているからな。私のためにキリキリ働いてくれ」
ティスはロートに皿を渡さず、彼をじっと見つめた。水が流れ続ける。排水管を伝う音が響く。これらがなかったら時が止まったのではと錯覚するぐらい、ティスはロートを凝視していた。彼女はしばらくして皿を渡し、可愛らしくはにかんで歯を見せた。
「うん、隊長のことわかった気がする。あたしと少し似ている気がする。します」
カレーを作り、食べるという行為を報酬として見ることができる優しさにロートは頬を緩める思いを感じる。敬語を忘れてしまうぐらいリラックスしてしまうところも微笑ましい。
「でも、自分の不甲斐なさがよくわかったわ。同じ思いを持つ隊長はこれだけ上手くできて、私はてんで駄目だった」
「何がだ?」
「みんなとの関係。特にウォルに対しては酷かったわ。しょうもない誤解をずっとしていたんだもの。今はウォルの人となりがよくわかったから余計に、悪いことをしたと思う。私はポンコツなの。だから、報酬じゃなくてもっと訓練を受けたかった。強くなれるから。そうしないと、あたしは駄目だから」
焦りから失敗を繰り返していたのはわかったが、何故ウォルにだけ噛みつくのかは明らかになっていない。誤解というが何を誤解していたのだろうか。
それに性分というにはやけに自己評価が低すぎる。ロートがそれらのことを尋ねようとすると、ティスが謝った。
「ごめんなさい。忘れて」
その言葉は囁きだった。小さい声で短いものだった。はにかみも消えていた。
だけど、ロートには忘れられそうになかった。ティスのその言葉や声が叫びのように聞こえたのだ。彼女はどうすればいいかわからぬ幼児のような戸惑いを顔に浮かべている。
しかし、何を訴えているのかロートにはわからなかった。そして、そのことを問い詰めることもできなかった。わかるのは、まだ誇りを持つ段階には至らないということだ。
ぼんやりと思い出す。オウカが言っていたティスが遠いというのはこういうことだろうか。そして、ロートの胸は痛んだ。存在しないはずの胸が締め付けられたのだった。
無事白星を勝ち取った五十七小隊だったが、訓練を止めるわけにはいかない。
自信がつくのはよろしいことだが、過剰だと困る。慢心に変わってしまってはいけない。
ロートの置かれている状況も、行き当たりばったりに考えていた初めとは全く違うものだ。あくまで仮想現実の世界で行われている模擬戦だが、ロートだけはこの世界の体しかない。敗北は死を意味する。ロートはもう一度、過去の模擬戦の映像を再生する。今度は一つずつじっくりと見るつもりだった。
一本目の終盤、ロートはやはり水着姿になった三人を見つけた。前回はここで止めたが、そのまま再生する。黒のビキニスタイル水着を着て、三人はジャズダンスを踊っていた。
可愛らしいがやり過ぎのような気もする。というか模擬戦の映像で、何故水着でダンスなのだ?
ロートも船の体に慣れてきたので、誰かに尋ねる前にデータベースにアクセスする。
そこでお仕置きという項目を見つけた。水着はロートの幻覚などではなかった。
訓練小隊の仕事の範疇に水着を着ることがあった。決して逸脱していたわけではない。
理由は金策だ。この世界では財政難に苦しめられていた。
戦争も訓練学校運営もタダじゃできない。軍備にさえ満足にお金をかける余裕がないようだ。そのため、政府は政策として、軍を見世物にした。訓練学校の課程の一部を国営放送として世界に流したのだ。
面白ければ面白いほど視聴率が上がり、財産が増え軍備が増す。そのため軍団同士でコンテンツの競争が激化し、個性が出てきた。ここでも競争競争である。
その一貫として始まったのが、お仕置きと称される模擬戦中に勝った者が負けた者を生け捕りにした場合に行える懲罰だ。
どの軍団も訓練学校は三年制で、一、二年に基礎課程、三年次に模擬戦課程となっており、模擬戦課程が一番人気のコンテンツだ。
生徒たちの戦闘というのも見どころだが、視聴者のお楽しみはお仕置きだった。
若い生徒たちが辱められるところを見るのが娯楽らしい。ヴィダーの皆さんはいい趣味をしている。ロートはそう皮肉った。
もちろん、視聴者へのサービスだけではない。訓練校の生徒たちにとって生け捕りにするのは評価される項目だった。三人のパイロットを生かしたまま捕獲をすれば、優秀と評価される。そのため、積極的に生け捕りにしようとするらしい。
そして、お仕置きをする権利を得るのだ。お仕置きは何でもいいというわけでなく、その軍によってある程度決められていて、そこから選ぶ形になっているらしい。三人が水着でダンスを踊っていたのはそういうことだった。
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