91話目「妹の恋人」
土曜日の昼間、恵麻がリビングでバラエティ番組を見ていたところだった。
いいところでインターホンが鳴り、恵麻は舌打ちをして玄関へと向かった。
ただ、誰が来たかは分かっている。
だから恵麻は軽く息をついてから、満面の笑顔を作った。
「はいはーい、いらっしゃ――――い……」
「あ……、お姉さん……ですよね。……お久しぶりです」
そう控え目な声で言う客人は、美人の少女だった。
あまりに整った顔に恵麻はドキリとした。
「ああ――、うん。久しぶり。……えっと、美人になったね」
「え? そんなこと、ないです」
少女は恥ずかしげに首を振る。
褒められ慣れてはないのか、それとも計算でやっているのか。
いずれにせよ、とてつもなく愛らしい。
「えっと――、まあ、上がって上がって」
恵麻はこれ以上なんと言えばいいのか分からず、ともかく少女を促す。
「はい。お邪魔します――」
少女は控えめに言って、靴を脱いだ。
その滑らかな所作も、既に子供らしさはない。
まだ中学生だというのに。
五年前とは大違いだ。
とはいえ、この少女――色葉と恵麻の接点はごくわずかだ。
恵麻の妹が色葉と友達で、その縁で何度か遊んだことがあるだけだ。
そのため恵麻が中学に上がったころには色葉のことなど頭の片隅にもなかった。
なので、妹が色葉と付き合い出したと聞いたときには、「それ誰?」と恵麻に聞き返したほどだ。
ただ、ほどなくして、それが自分の初恋相手だと気づいたのだが――――。
とりあえず恵麻は色葉をリビングへ案内し、ソファを勧めた。
「あ、妹はいまケーキ買いに行ってるよ。色葉ちゃんが恋人になって初めてウチに来るからって、張り切っててね。ま、しばらくテレビでも見てて。私は自分の部屋にいるから」
恵麻は自分が早口になってしまったと感じていた。
だが、それだけに、できるだけ速く色葉から離れるべきだと思った。
五年前、恵麻が色葉を好きになった理由は、可愛いからだった。
客観的にいえば小学生らしい、それこそ可愛らしい理由ではある。
ただ、だからこそ恵麻は、妹が色葉を家に連れてくると言っても、色葉と再会しても、惚れ直したり、まして緊張することなどないと思っていた。
だが現実はこれだ。
色葉は美少女に育っていた。
あまりに綺麗だから、そういう妖怪か魔物とさえ思える。
これを相手に平静を保てるのは、例え異性愛者の女性でも難しいだろう。
だから恵麻の妹も、付き合うことになったのだろう。
そしてだからこそ恵麻も自制しようと必死だった。
妹の恋人となにかあっては一大事ゆえに、恵麻はホストとしての礼儀を忘れ、自室へと急ごうとした――のだが、
「あ、あの、お姉さん――、せっかくですし、しばらく一緒に話しませんか?」
「……」
恵麻は断ろうとした。
だが色葉は、恵麻の手を握っていた。
色葉も緊張しているのか、汗でしっとりと濡れていた手で。
「ダメですか?」
色葉は、どこか泣きそうな顔で尋ねてきて、恵麻は逡巡しつつも「……え、っと……、いいよ」と頷いてしまった。
「本当ですか? やった――」
色葉は笑うと、本当に嬉しそうに恵麻をソファへと引っ張った。
そして、そのまま二人並んで座った。
ただ座ったからと言って、恵麻が色葉に話すことなど特になかった。
また、どうしたことか、色葉は恵麻の手を握ったままだった。
いや、握り直した。
恋人つなぎになっていた。
恵麻の手に熱がこもる。
「あの……色葉ちゃん……?」
「なんですか?」
「えっと……あのさ、手……、いつまで握ってるの? ……かな……って思って……」
「え?」
色葉は小首を傾げた。
まるで自分はおかしなことをしていないとでも言うように。
「ダメ、ですか?」
「ダメ、じゃないけど……」
「じゃあいいですよね?」
「ああ……、いや……」
良いとは言い難い。
少なくとも恵麻の妹は嫉妬深いタイプだ。
この現場を見られれば、怒りはせずとも不機嫌にはなる。
それに、恵麻の心臓の負担も激しかった。
先ほどから心臓が激しい脈を打っており、さらに顔も熱くなってきていたのだ。
「ふふ……、お姉さんの手、温かいですね……」
「そ……そうかな……?」
「そっちの手も、握っていいですか?」
「え? そっち……?」
「はい……。そっち……」
色葉は、恵麻が言葉の意味を理解する前に、恵麻のもう片方の手を握った。
そして二人は両手を握り合う形となり、自然、向き合う形になった。
色葉の顔が、恵麻の真正面に来た。
綺麗な顔だった。
優しい笑みの顔だった。
恵麻は、さらに緊張した。
「ふふ……、こうしていると、なんだか恋人みたいですね、私たち……」
「いやいや……、色葉ちゃんの恋人は、私の妹でしょ……」
「そうですね……、ふふ」
恵麻は、この少女がなにを考えているのか分からなくなってきた。
ただ久しぶりに会った自身の恋人の姉と、旧交を温めるにしては、少し妙である。
それに色葉だって、恵麻の妹の嫉妬深さは知っているはずなのに。
なんだかこれでは、色葉が恵麻を誘っているかのようで――。
「――――――――――」
「え? あ――、なに?」
恵麻は、色葉がなにかを言っているのを聞き逃した。
と、気づけば色葉は先ほどよりもイタズラっぽい笑みを浮かべていた。
まるで無邪気な子供みたいな。
あるいは魔性の。
「……」
恵麻は、その瞳から目が離せなくなる。
そして色葉は言う。
「お姉さんは、このあと、どうしたいですか?」
「どうしたい――って?」
「私と、一緒に、なにか、したいですか?」
色葉はゆっくりと言った。
だが一方の恵麻の心臓は、先ほどとは比べ物にならないほど速く激しい脈打ちになっていた。
汗も背中に垂れだした。
「いや……、それは……、なにって……、なにも……。ほら、もうすぐ妹も帰ってくるし……」
「あの子は、帰ってくるのに時間がかかります。私が、五キロ離れたケーキ屋さんのケーキが食べたいってワガママを言ったので」
「え?」
「自転車で往復しても、四十分くらいはかかります……」
「……」
「さあ、どうします?」
色葉は言う。
綺麗な顔で。
そう。そういえば五年前もこんな顔を見た。
そして、小学生同士だというのに――――した。
あるいは、だから恵麻は色葉のことを忘れていたのかもしれない。
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