88話目「お隣」

 オレンジ色の太陽がカーテンの隙間から、マンションのリビングに差し込む。

 おかげでリビングは綺麗ではあるけれど、少し不気味と言えなくもない橙と黒の強いコントラストで支配された。

 もっとも、そんなのは日常の風景ではあったが。

 そのリビングに、よく知らない不良の少女がいることを除けば。

「悪いな、上がらせてもらって」

「あ、うん……、べつに……。えっと……、麦茶ならあるけど……?」

「いいっていいって、どうせ一時間もすりゃ帰るし」

 一時間も居座るつもりなのか――。

 この家の娘である莉子は内心で溜め息をついた。

 なぜ、こうなったのだろうか――。

 この不良の少女――奈美は、莉子のクラスメイトであった。

 友達ではない。

 莉子は一般少女だし、奈美は不良なので生きる世界が違うし、また話したこともなかったので、知人と言えるかも怪しい間柄なのだ。

 ただ、一ヶ月前に、奈美は莉子のお隣さんになった。

 教室の席が、ではなく、家が。

 マンションの部屋が隣同士になっていたのだ。

 莉子はまさかとは思ったが、新しい隣人はどんな人だろうと野次馬で外出したところを奈美に見つかり、

「うわっ、マジか! やっべぇ、これ運命だろ! ちょっとオヤジ、見てくれよ! こいつ私と同じクラスの莉子! ほら、オヤジもよろしくって言えよ! あ、私が言ってなかったな! 今日からよろしくな、莉子!」

 そんなことを言われ、まるで前世の恋人に会ったかのようなハグをされた。

 そしてそれ以降は、朝の登校時、夕方の下校時ともども一緒にいることが増えてしまった。

 莉子がいろいろ事情を見つけて時間をずらしたり、寄り道をしても、なぜか奈美は莉子と一緒にいることが多かった。

 しかも、そして、今日である。

 当たり前のように奈美は莉子と一緒に下校し、家の前まで来たのだが、

「あ――、今からお前んち、行っていいか?」

 最初は「は?」と思わず声に出してしまった。

 だが莉子は不良の提案を断るコミュ力を持たず、結果として奈美が莉子宅に上がることを許してしまった。

 いったい何が目的なのやら――。

 少なくとも莉子の家は不良が喜びそうなものはない。

 しいて言うならテレビゲームがあるが、どれもRPGや恋愛シミュレーションなど、人の家で遊ぶものではない。

 対戦系は十数年前に兄が買ったものしかない。

 その上、最低限のもてなしとして提案した麦茶は断られてしまった。

 ひょっとして奈美は金をせびりに来たのか、それともタバコか薬を勧めに来たか、はたまた莉子を手籠めにしに来たか。

 莉子としては、いち早く奈美には帰ってほしかったが、そう言う勇気も出ず、ただ無言で奈美の隣に座るしかなかった。

「……」

「……」

 自分の家だというのに、これほど緊張感を持ったのは初めてだった。

 いつもなら奈美が雑談を振ってくるのに、それもなし。

 もしや本当に金や薬や手籠めという展開になるのか――。

 手籠めの可能性はナシにしても、金や薬というのは、奈美の不良エピソードからして充分にあり得る話であった。

 もしそうなったとき、莉子はどうするべきか。

 両親の帰りはいつも遅いし、兄は今日バイトだけど七時までには帰ってくるはずなので、それまで抵抗できれば――

 莉子は必死に頭の中で防衛プランを考えた、が、

「――ヒッ――」

 思わず小さな悲鳴を上げてしまった。

 奈美が、莉子の手を握ってきたのだ。

 しかも力強く。

 もしや手籠めに――。

 莉子は慌てて防衛プランの練り直しを始め、まずはこの手をどうするべきか考えた。

 だが、奈美の顔を見て、思考が止まった。

 なにかに怖がるような顔を見て――。

 また莉子はさらに気づく。

 隣――壁の向こう――奈美の家のほうから、言い争うような声が聞こえてきたのだ。

「――やめろ――――。――は、――――な! ――――!」

「――っさいわね! ――――私の――――なのよ!」

 男と女の声だった。

 男は、たぶん奈美の父親だろう。

 引っ越しの際にも見かけた、奈美の父親とは思えない物腰柔らかな人である。

 そして女のほうは母親――かもしれないが、思い返せば莉子は奈美の母親を見たことがない。

 また、このように隣の声が聞こえることは、今までもたまにあったが、この女の声は初耳だった。

 そして、この女の声が聞こえるたびに、奈美は肩を震わせ、莉子の手を握る力が強くなっていた。

「……あの……?」

 莉子が恐る恐る声をかけると、奈美は小さく息を吐き、笑顔を見せた。

「あはは。驚かせて悪い――。ウチの親、離婚してるんだけど……、あ、離婚そのものは私が小さい頃にしてて、私はずっと母親と暮らしてたんだけど……」

 奈美は語るが、その笑顔はあっという間に萎んでいった。

「まぁ……、いろいろあってさ……。私はオヤジと暮らすようになったんだけど……」

「……」

 莉子は黙って奈美の言葉を聞いていたが、奈美はそれきり口を閉ざしてしまった。

 そして奈美は意識的なのか、無意識的なのか、自身の腹をさすっていた。

 それは、ただ病気等で腹痛を患っているのか、両親の喧嘩でストレスが溜まったのか、それとも――

 なんにせよ、莉子は意を決する。

「えっと――、ゲームしない?」

「――――――。おう、しようぜ」

 莉子の提案に、奈美は面食らった様子だったが、再び笑みを見せた。

 そして二人は、莉子の兄が十数年前に買った古い格闘ゲームを三時間に渡ってプレイして、

「また来てもいいか?」

「うん、いいよ」

 莉子は奈美の問いに即答した。

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