幕間1-1 魔王パパの苦悩

「アリステルの様子はどうだ?」

「相変わらずお部屋に籠もってらっしゃいます」


 宰相の答えに今代の魔王フリエオールは深く息を吐いた。

 あれだけ明るかった娘が、母を亡くして以来ずっと塞ぎ込んだままであることは一人の親として心を痛めずにはいられない問題だった。

 王などという立場であるがゆえに、そんな傷心の娘に構ってやる時間もなかなかとれずにいる。

 不甲斐ない、と歯痒さに玉座を強く掴む。


「歳の近い子供と遊べば少しは気が紛れるかもしれません」

「うむ……」


 来年には初等学院へ入学するので他家の子供との交流はそれからと思っていたが、少し予定を変更するべきかもしれない。

 王家などに生まれると遊び相手すらも自由に選べない。

 自らも通って来た道だが、それが我が子のこととなると不憫につきる。


「確か、イルミナ様のご息女がアリステル様と同い年であったかと」

長耳族ルネースの氏族長の娘か。あまり一つの氏族と懇意にし過ぎるのは避けたいところだが……」


 これまた魔王の立場が邪魔をする。

 五つにもならない子供に親の立場など関係ないだろうと思うのだが、周囲の目が気になってしまう。

 我ながらなんと肝の小さいことだと自嘲せざるを得ない。


「アナスタシアがいたらなんと言うかな……」


 いつも一歩後ろに控えて支えてくれた妻のことを思い出す。

 賢く、強く、誇り高い女性だった。

 彼女であればこう言っただろう。


『失敗したなら、その時はその時です』


 為政者としてどうかと思う発言だが、その怖い物知らずな言葉に背中を押されていたのも事実だった。

 アリステルはまさに母そっくり……いや、それ以上に突拍子もない性格をしている。


「その時はその時……か」

 

 妻の言葉を反芻しながら魔王は腹をくくった。


「近いうちに夜会を催すことにしよう。長やその親族を招き、各氏族の子供たちが交流できるように取り計らうのだ」


 魔王の命に、臣下たちが一斉に頭を垂れる。

 だが、この命令は少しばかり先延ばしにされることになる。


「陛下、姫様が“魔”にお目覚めになられました!」

「なに……!」


 魔王は思わず玉座から立ち上がると、そのままの勢いでアリステルの部屋へと駆けていく。

 愛娘の部屋に飛び込んだ魔王は驚くべき光景を目の当たりにする。

 嵐のような風の渦に、部屋中の調度品が巻き上げられて飛び交っていたのだ。

 五歳にも満たない子供の魔力とは思えなかった。

『魔に目覚める』

 それは真の意味で魔族になったことを意味する。

 子供が魔に目覚めたその日は盛大にお祝いをするのが習わしだ。

 『最も強く偉大な魔王』と呼ばれる初代と同じツノを持って生まれた時からいろいろと覚悟はしているつもりだったが、いざ目の前にするとそんな覚悟も忘れてしまうほどにアリステルの『魔』は強烈だった。


 ──いや、取り乱している場合ではない。まして私は父であり魔王なのだから。

 

 魔王は気を取り直すと、暴風の渦中にいる娘に大声で呼びかける。


「アリステル、落ち着いて私の言うとおりにしなさい」

「は、はい!」


 その後、無事に嵐は収まった。アリステルにもケガ一つなかった。

 部屋の調度品はすべて交換することになってしまったが。

 だが、その程度の被害ですんで幸運だったとも言える。

 最初に目覚めたのが<火>であったがために大やけどを負った幼子もいる。

 この先、『魔』に目覚めたアリステルにも同じような危険がつきまとうことだろう。


「『魔』を制御できるように訓練をさせねばなるまい」

「はっ。それがよろしいかと」


 宰相も同意した。

 すぐにアリステルの教育係として何人かの魔族をピックアップした。


豚鼻族イディクフォーリン家のアルフレッド……ダメだ。次」

「なにゆえでしょうか。アルフレッド殿は優秀な魔導師で家柄も問題ありませんが」

「男はダメだ」


 フリエオールの言葉に宰相は「そういうことか」と溜息をつく。


「だいたい、豚鼻族イディクの男は少しばかり軽薄すぎる。なんと言ったか年頃の女性が熱をあげているあの店は……」

「『豚の花園ガーデン』ですか」

「そう、それだ。アリステルが変に影響されてはかなわん」


 豚鼻族イディクは種族的に女性の出生率が極端に低いため他の種族から積極的に妻を迎えようと様々な手段を用いてきた。

 大昔は誘拐など野蛮な手段も用いていたようだが、魔王による統治が始まってからは当然ながら禁止されている。

 そこで彼らは別の手段で妻を得ようとしてきた。

 それが『求愛術』と呼ばれる技術である。

 歌に踊り、そして女性の心を解きほぐす巧みな話術。

 豚鼻族イディクの経営する『豚の花園』は大衆劇場であり接待を伴う飲み屋であり、そして異種族間のお見合いの場として連日の超満員だ。

 様々な種族の女性から親しまれている。

 アリステルに言わせれば──


『誰が考えたか知らないけどアイドルとホストクラブを悪魔合体させたおそろしい場所』


 である。

 だが、おかげでイディク族の嫁不足問題は解決をみた。

 ちなみにイディク族の男はたいへん働き者である。

 結婚後は『豚の花園』を引退し土木建築業に身を投じる者が多い。

 タンクトップにニッカポッカという古の鳶職スタイルのイディク族が建設現場ではよく見られる。

 そして種族的に女性を非常に大切にする意識が強いのでどこの家庭もおおむね円満。

 魔族女性の『結婚したい種族』No.1。それがイディク族なのである。

 とはいえ、男親としてはいろいろ思うところがあるのも仕方ない。

 それは魔王であっても同じこと。

 宰相は同じ男親として魔王の心の内を汲み取ることにした。


「では、姫様の教師は女性のみから選出いたしましょう」

「うむ。そうしてくれ」


 あらためて選出されたアリステル姫の教育係候補は予定通りに女性だけであった。

 そこからさらに年齢、家柄、学生時代の成績、素行や思想などに問題はないかという観点から宰相を含めた魔王の側近たちによって厳選され選ばれたのは『メリッサ・ドラグノア』といううら若き竜人(ドゥムイス)族の娘であった。


「姫様の教育係にお選びくださりありがとうございます。私、粉骨砕身、全身全霊をかけてアリステル殿下をお導きさせていただきます」


 よどみなく言葉を紡いだメリッサは玉座に向かって優雅に一礼する。

 しかし魔王フリエオールは少しばかり困った様子で言葉を返した。


「メリッサ殿。選んでおいて何だが本当に良いのか? そなたほどの女性が幼子の教育係……しかもメイドとして城に入るなど……」


 メリッサ・ドラグノアは高等学院を主席で卒業し、魔導研究の最高峰である『塔』からは「是非に」と研究員として招かれたという逸材だった。

 しかもその姓である『ドラグノア』もまた並の家柄ではなかった。

 なにせアリステルの母であり亡き王妃アナスタシアの実家なのだ。

 アリステルとは曾祖父を同じくする、要するに『はとこ』の関係にある。

 次代のドゥムイス氏族長と期待されるメリッサは、驚いたことにアリステルの教育係を探していることをどこからか聞きつけて自ら名乗りを上げた。そのうえメイドとして側仕えをすることも彼女自身が望んだことだった。


「魔王陛下は私ではご不満でしょうか」

「いや、もちろんそんなことはない。そなたであれば安心してアリステルを任せられる。だが、さすがにドラグノア家に申し訳ないというかなんというか……」

「ご安心ください。実家への根回しはすんでおります。曾お祖父様にいたっては私以外の適任はいないとまでおっしゃってくださいました」


 メリッサの曾祖父とはドゥムイスの氏族長だ。ひ孫であるアリステルを生まれた時から溺愛し名付け親を買って出たほどだ。

 そもそもドゥムイス族全体が初代魔王とよく似た特徴を持つアリステルを神聖視しているフシがある。

 父親として娘が大いに期待されることに悪い気はしないが、変な方向に自信をつけてしまわないかと心配でもあった。


「と、とにかくアリステルのことはそなたに任せる。正しく導いてやってくれ」

「お任せください。姫殿下をお守りしてみせます!」


 そう言ったメリッサに翼はない。

 ドゥムイスは太古の昔、女神にその翼を捧げ空を自由に駆ける力と引き換えに加護をうけたという。

 『翼にかけて』という言葉は竜人族ドゥムイスにとって『女神に誓って約束を果たす』という意味になる。

 おいそれと口にしていい言葉ではないのは当然。まさに最上級の礼をもってメリッサは教育係の任を請け負ったわけだ。

 多少気になることはあるが彼女であれば少なくともアリステルが“魔”の道を踏み外すことはないだろう。

 半ば無理矢理に自分を安心させるようにして、魔王フリエオールはそっと息を吐いた。


「……ついにアリステル様のお側に……毎日お世話をしてツノを磨いて差し上げて……うふふ……」


 安堵からか、メリッサが息を荒くしながらブツブツと何やら呟いていたことに魔王はまったくもって気づいていなかった。

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