第5話 いつか見た幻
次に目が覚めた時、私はぼやけた世界の中にいた。
身体の感覚が鈍くて思うように動けない。
それなのに音だけがやけに鮮明で大きかった。
右も左も上か下かもわからない。まるで音の洪水に飲み込まれているかのような気分だった。
なんだこれ! めちゃめちゃ怖い!
私は思わず声をあげた。
ところが、ノドから出たそれは思った通りの言葉にはならなかった。
「ふぎゃあ! ふぎゃあ!」
まるで赤ん坊の泣き声だった。
いや、実際私は赤ん坊だった。
「おお、生まれたか!」
誰か、自分ではない男の人の声がした。
声の調子からしてずいぶん興奮しているようだった。
「あなた……」
「アナスタシア……よく頑張ってくれた。そなたも無事でよかった」
「まずは抱いてあげて。私たちの娘を」
たぶん、その男の人の手だろう。大きな何かが私を抱き上げる。
ていうか怖い! いきなりの浮遊感めちゃくちゃ怖いって!
「ふぎゃあっ! ふぎゃあっ!」
「おお、よしよし。泣かないでおくれ」
そう言われても、上手くしゃべれないし勝手に声が漏れちゃうのだ。
当たり前だけどそんな私の主張は誰にも伝わらなかった。
「ねえ、あなた。名前は決めてくださった?」
「ああ、もちろん。この子の名は『アリステル』だ」
こうして私は、遠山リカから『アリステル』としての新しい人生を歩みはじめたのだった。
それから数年くらいは、どうにも記憶がはっきりとしない。
ちょっとでも複雑なことを考えようとすると思考が上手く働かなくて、すぐに頭がぽわーっとして眠くなる。
たぶん赤ん坊の未発達な脳みそでは『遠山リカ』だった頃の記憶を処理しきれなかったんだろう。
なので、私はもう考えるのをすっぱりきっぱりやめることにした。
あるがままを受け入れて、お腹が空いたらふぎゃあと泣き、オムツが濡れてもふぎゃあと泣く。とくに理由がなくてもとりあえず泣いた。だって他にやることなかったし。
そんな風に、ばぶばぶおぎゃおぎゃしているうちにあっという間に時は過ぎていった。
それなりに物事を考えられるようになったのは三歳くらいの時だっただろうか。
私の意識はすっかり『アリステル』になっていた。
『遠山リカ』だった頃の記憶も残っていたけど、よーく意識を集中しなければ出てくることもなかったし不思議なことにどこか他人事にも感じられていた。
それに今は新しい生活に興味津々だった。
遠くまではいけないがあちこち歩き回れるようになったので、自分が立派なお城に住んでるということがわかった。そして両親がこの城の主であり、お父様が『魔王』と呼ばれていることも。
『魔王』
そう、なんと私は『魔王』の一人娘として生を受けていたのだ。
そして私たちは『魔族』というらしかった。
しかし『魔族』と言ってもいろんな種族が集まっているようだ。
私の周囲だけでもケモ耳の獣人たちや豚鼻のオークっぽいヒトたち、耳の尖ったエルフっぽいヒトもいた。
他にどのくらいの種族が住んでいるのだろう。
ついでに、私の頭にはにょきっと二本のツノが生えているってこともわかった。
なんかこう耳の上あたりがムズムズするなーとは思ってたのだ。
それがわかったと時の大騒ぎっぷりはとんでもないものだった。
メイドたちは私のツノ見たさにこぞって子守をかって出たし、毎日のようになんか偉い大人たちがやってきては私の前に跪いた。
逆に一番冷静だったのは私の父と母だったように思う。
そんな両親が言うには、私のこのツノは伝説にうたわれる『初代魔王』のツノと瓜二つなのだそうだ。
この『初代魔王』様はバラバラだった各種族を束ねて魔族の国を作っただけでなく、この辺りを根城にしていた邪神とかいうバケモノを仲間と共にぶっ倒したという。
建国してからも見事な治世で国を発展させ続けた。
国民たちは口々にこう言った。
『魔王様にはまるで未来が見えているようだ』
そんなわけで、初代魔王様は『先見の王』だとか『邪神殺し』だとか様々な二つ名で呼ばれている。
初代様と十六人の仲間が邪神を倒すまでのお話は魔族の子供たちに今なお大人気。
元の世界で言えば『桃太郎』並みの大ベストセラーになっている。
そんな伝説の魔王と同じツノを持って生まれてきた私(というか私の“ツノ”)を誰もがひと目見たいと思うのは無理もないことだった。
国は連日の大騒ぎで、何かのはずみで私が顔を出さないかと城の周りには大勢の国民たちが集まっていた。
そんな連日の騒ぎを見かねて、両親は私の大々的なお披露目を行うことにした。
もともとこの国では子供が三歳、五歳、七歳の年にお祝いをする風習があるらしい。
七五三か! と思わず心の中でツッコんでしまったのは言うまでもない。
本来は身内だけで祝うものらしいのだが待ちに待った王の世継ぎであり、おまけにこの珍しくもありがたい(らしい)ツノを持っていたということで国を挙げてのイベントにせざるを得なかったようだ。
正直、私はうんざりしていたのだが盛り上がっているところに水を差すのも気が引けたのでその日はひな人形にでもなったつもりでいることにした。
そんなイベントの最中、それは起きた。
城の周囲に集まった国民たちに向けてテラスから目一杯愛想を振りまいた後、乳母に抱き上げられて玉座の前にやってくると練習した通りにお父さまとお母さまにご挨拶する。それから来客の方に振り返った時のことだった。
突然、私の前に不思議な光景が広がったのだ。
「追い詰めたぞ、魔王!」
白銀の鎧を身につけた男が私に向かってそう言い放つ。
さっきまでそこには誰もいなかったのに、いったいどこから現れたのかと驚いた。
するとまた一人、男が現れる。その人もまた豪華な装飾の施された鎧を身につけていて、私に武器の切っ先を向けていた。
「すでに城は落ちた。俺たち人間を甘く見たな」
男の言う通り、玉座の間は炎に包まれていた。
火の手が私のところまで伸び、思わず後ずさる。
あれ? 熱くない……。ていうか偽物?
私は目の前の光景が現実ではなく映像のようなものだと気づいた。
そして私以外、この場にいる誰にも映像は見えていないらしいということもわかった。
私の立っている場所に重なるように、私によく似た──具体的には私が大人になった姿と思えるような女性が立っていた。
「魔王よ、貴様の命もらいうける!」
そんなかけ声と共に違う方向からまた別の男が駆けてくる。さっきの二人の男は鎧や雰囲気からなんとなく騎士って感じだったけど、その人は口許をマスクで覆っていてなんとなく盗賊とか暗殺者って雰囲気だった。
そして手には短剣のようなものが握られていた。
暗殺者っぽい男は、人間離れしたスピードで私……じゃなくて私そっくりの女性に肉薄し短剣を振り下ろす。
バヂィッ!
その途端、見えない壁に短剣の切っ先が阻まれた。稲妻のように紫色の閃光が迸り、暗殺者っぽい男は真後ろに吹き飛ばされた。
「『勇者』の力とはその程度か?」
うっすらと笑みを浮かべて言った。
なんかこう、いかにも 魔 王 ! って雰囲気だった。
「我を追い詰めただと? 笑わせるな!」
私そっくりな『魔王』は、その手に炎を凝縮したような塊が出現させるとそれを『勇者』たちに向けて撃ち出した。
途端に炎が嵐になって荒れ狂い彼らを包み込んだ。
この勢いでは一瞬で消し墨になるだろうと、そう思った次の瞬間、炎の嵐をかき分けるように一本の矢が飛来して魔王の肩口に突き刺さった。
「うっ……!」
矢を放ったのはまた別の『勇者』だった。性別は……よくわからない。とても中性的な顔立ちをしていた。
そして、矢を受け魔王が体勢を崩した隙を見逃さずあの白銀の鎧を着た『勇者」その1が猛然と突進してきて魔王の身体を剣で貫いたのだ。
「ぐっ……貴様……自分たちが何をしたかわかっているのか……」
「言われなくとも。悪しき神を奉ずる魔王に正しき神威を示したまで!」
そう言うと、『勇者』その1は剣を握る手に力をこめた。
「ぐあ……! 国を焼き、民を殺し、それを神威とは……なんと、愚かな……」
その時、魔王の表情は怒りや憎しみよりも憐れみに満ちていたように見えた。
そして魔王は最後の力を振り絞るようにして魔法を解き放つ。
「少しでも時を稼がねば……『勇者』ども……せめて貴様らは道連れに……!」
次の瞬間、魔王の手から放たれた魔法が嵐のように玉座の間を蹂躙する。
圧倒的な魔力の放出に耐えきれなかった壁や床がガラガラと崩れ落ち、勇者たちを闇の底へと引きずり混んでいく。
足下で、私によく似た魔王は勇者と共に落下していった。
そうして私もまた吸い込まれるように意識を失った。
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