第一章 魔族のお姫様
第4話 私がわたしになる前のこと
遠山リカ29歳。……独身。
都内のゲーム制作会社に勤めるOL。それが前世の私だった。
その日は運営しているソーシャルゲームのイベントが無事に配信され、部内のみんながひと息ついたタイミングだった。
みんなが定時退社する中、プロデューサーの下で直接現場を仕切る立場の私だけは会社に残って後回しになっていた細々した作業を片付けていた。
部下に手伝ってもらえば楽なのに、つい抱え込んでしまうのは私の悪い癖だ。
子供の頃からなんでも自分の目で見て、触っておかないと気が済まない。
そして幸か不幸か何をやっても最初からそれなりに出来てしまう。
そうやってあれもこれもと手を出して、そこそこ出来るようになると飽きて次に興味惹かれるものに移るを繰り返しているうちに見事なまでの『器用貧乏』が出来上がった。
社会人になってもその癖は直らず、もともとデザイン志望で入社したのに気づけば何でも屋だ。
おかげでそれなりに出世してしまい、多忙な日々を過ごすうちに三十路へのカウントダウンに入っていた。
そう、まさに今夜日付が変われば私の誕生日だった。
「遠山さん、ちょっといいスか」
「ひゃっ!?」
誰もいないと思っていたオフィスで急に声をかけられて私は思わず声をあげて驚いた。
「黒川くん……ああ、ビックリした。まだ残ってたんだ」
「はい。なんか不具合あったら即効修正しようと思って」
黒川くんは新卒採用二年目の子だ。
口数が少なくて物静か。悪い言い方をすればちょっと暗い。コミュニケーションは得意じゃないみたいで、二年目にいたっても同僚と過ごしているところはほとんど見たことがない。だけどグラフィッカーとしての腕は抜群だ。おまけにデザイナーとしても個性的でセンスがある。
最近はイベントのロゴなんかを一手に引き受けてくれている。
そう遠くないうちにメインのデザイナーとしてゲームを一本任せられるようになるんじゃないだろうか。
「それで、遠山さんに報告があって……」
「報告?」
「なんか、サーバー室から変な音がするって西田先輩が言ってました。遠山主任に報告しておいてと」
「それ、なんで自分で報告しなかったの?」
「美容院の予約に間に合わないからって」
「あの子ったら……」
報告は自分でするようにいつも言ってるのに。
まあ、配信まで残業続きだったからしょうがないか。
久しぶりに彼氏に会えると張り切っていたんだろう。
「わかった。帰りに私が見ておくよ。黒川くんは帰っていいよ」
「いや、でも……」
「いいからいいから。どうせ、黒川くんサーバー室に入れないでしょ」
セキュリティ上、サーバー室は担当者か主任以上のIDじゃないと入れないようになっている。
会社の大事なデータが山ほど詰まってるんだから当然といえば当然だ。
「じゃあ、すんません。お先ッス」
黒川くんは申し訳なさそうに頭を下げてから帰っていった。
良い子なんだけどなー。もうちょっと明るく振る舞えるようになればすぐにでも大きな仕事を任されるだろうに。まあ、二年目だし。これから人付き合いも上手になっていくでしょ。
なんて、余計なお世話を焼きつつ仕事を片付けているとあっという間に時間は過ぎていき、いつの間にか日付が変わる一歩手前だった。
「やば。また閉じこめられちゃう」
0時になるとオフィスが自動で施錠されてしまうのだ。働き方改革だかなんだか知らないけど、せめて残っている人がいないか確認してほしいものだ。
血の通わない機械に文句を言っても通用しないので、私は慌てて荷物をまとめてオフィスを出た。
「あ、そうだ。サーバー室」
会社を出る直前、黒川くんに言われたことを思い出した。
一瞬、どうしようか迷ったけど結局は戻って確認してくることにした。自分の目で見て触って確認しないとどうにも居心地が悪くなるという私の悪い癖がまた発動したわけだ。
IDを通すと自動でサーバー室内の照明が着く。
中はしっかりと冷房が効いていた。社員たちがみんな帰ってしまった後も運転を続けるサーバーが熱暴走しないように温度管理は徹底されている。
「とくに、おかしなところはない……か」
一通り中を見回って異常がないことを確認した。
サーバーからの異音なんていう恐ろしい事態も起きていなかった。大昔は忍び混んだネズミがケーブルを囓るなんてこともあったらしいけど、さすがに今の時代にそんなことはない。
そうしてひと安心して帰ろうとした時だった。
バチンッ!
何かが弾けるような音がして、サーバー室の照明が一斉に消えた。
「ウソ!? 停電!?」
慌ててサーバーを確認するが、アクセスがあることを示す綠のランプはきちんと点滅している。
ホッと安堵する私。だけど、どうして照明だけが消えたんだろう……?
「あ! 0時!」
0時になると自動で施錠されて車内の照明が消えるというアレだった。
「またやっちゃった……私のバカ……」
こうなると警備会社に連絡して開けてもらわないといけないので大変めんどくさいのだ。
おまけに上司にも連絡がいくので、翌日たっぷりと叱られる。
だからといって明日の朝、誰かが出社してくるまでトイレもないようなサーバー室で待っているわけにもいかない。私は諦めてサーバー室に備え付けてある電話で警備会社に連絡することにした。
だけど……。
「あれ? 繋がらない……」
受話器をとっても何の音もしない。
なら、自分のスマホで──
「ウソ、こっちも?」
スマホの画面には最近ではあまり見ない『圏外』の文字が表示されていた。
「ちょ!? まさか、朝までこのまま!?」
最悪だ。最悪すぎる。
ひどい誕生日になってしまった。
いや、諦めるのはまだ早い。なんとかして警備会社に来てもらう手段を考えよう。
始末書を提出する羽目になるだろうけど、この極寒のサーバー室で一夜を過ごすよりはずっとマシだ。もしかしたらトイレを我慢仕切れず……なんてことにもなりかねないのだから。
「えーと……どうしたら……そうだ!」
私は自分の手首にはまったリング状の機械を見た。
これも働き方改革の一貫で、装着者の健康状態なんかをモニターしてるらしい。今じゃほとんどの国民が身につけている。
「確か、これって緊急コールの機能があったよね」
本来は健康上の危機に使うものらしいけど、この状況も危機には違いない。乙女の尊厳という意味で。
「お願い! 助けに来て!」
意を決して私は緊急コールの機能を作動させた。
ピーピーと警告音が鳴り出し、小さな液晶部分に『緊急コールしました』と文字が表示される。
「ずいぶんあっさりしてるなあ。ほんとにこんなので連絡が行ったのかな?」
あまりに手応えがなくて不安だ。
ついでにこの警告音はいつになったら鳴り止むのだろう。ピーピーうるさい。
ゲンナリしながら、ふとサーバー室の入り口に目をやる。
「あれ……開いてる?」
扉がわずかに開いていた。オートロックのはずなのに。
もしかして照明と同じように電力が来なくなって開いちゃったとか?
「じゃあ、緊急コールなんてしなくてよかったってこと!? うわぁ……最悪だ……」
……やってしまった。
しなくてもよいことに手を出して余計な苦労を背負い込む私の悪い癖がまたも発動してしまったらしい。
本当に最悪すぎる誕生日だ。
「もういいや……外に出よう。ここ寒いし……」
驚いたことに、会社の中はすべてのロックが外れていた。
おかげで入り放題出放題だ。セキュリティとやらはどうなってる。
とはいえ、緊急コールなんかしちゃった手前このまま家に帰るわけにもいかない。
せめて会社の前で人が来るのを待つしかない。
そう思って外に出た私は、とても奇妙な光景を目の当たりにした。
「なに、これ……」
オフィス街は静まり帰っていた。
いくら深夜とはいえ、いつもこの時間はまだ人がいる。タクシーの一台も走ってないのが変だ。
そもそも信号機がすべて消えているなんて、ありえない。
ピーピー、ピーピー
ふと、腕ではまだ例の緊急コールが鳴っていた。
その音がだんだん大きくなっていることに私はあらためて気づく。
ピーピー、ピーピー
すべての音と光が消えた世界で、甲高い電子音だけが響き渡っていた。
音はすべてを飲み込むように大きく、強くなっていく。
ピーピー、ピーピー
それはまるで音の洪水だった。
私はその音に飲み込まれるように意識を失った。
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