第2話 婚活道場 1

 僕達が今生きている世界。

 

 そこには数々のヒエラルキーが存在している。

 

 会社や学校、それから朝倉家にも……


 朝倉家のピラミッドの頂点に立つのは誰かって?


 それはもちろん僕だ!


 ……と、言いたいのは山々ではあるけれど、そんなことは口が裂けたって言えやしないのだ。


 父親としての威厳も存在感も僕には無いのだから。


「地震・雷・火事・親父」

 江戸時代の終わり頃にできた言葉らしいけど「親父」が四番目に怖いものだなんて。

 ちょっぴり羨ましく思えてしまうのは僕だけだろうか。


 そうなのだ、朝倉家で一番偉いのはあのモンスターだった。


 父親である僕でさえ、その生態を把握しきれていないあいつだ。



 朝倉結衣

 年齢:10歳(精神年齢52歳)

 LV:72

 HP:526

 ヒト科 魔王属

 出現スポット:麻雀サークル会館、ぐうたら岩盤浴……etc


 ※


 婚活アプリ事件が発覚した翌日のランチタイム。

 早速、結衣からLINEにメッセージが届いた。


 本日のタイムスケジュール

 19:00

 ポンコツおじさんでもわかるテーブルマナー講習

 20:00

 へっぽこおじさんでも滑らないトーク講習

 講師:朝倉結衣


 これだけじゃない。

 2分後、追記のメッセージも送られてきたんだ。


 受講費:100円


 まあ、素敵。

 お財布に優しい婚活セミナーなのね……ってなるわけあるか!


 大好きなチキン竜田丼の味も宇宙の彼方までぶっ飛んでしまった。


 ああ、どこで間違えてしまったのだろうか、娘の育て方。


 定食屋さんを出た駅前の交差点。

 ソーダ水のように爽やかな空を見上げて。

 僕は神様に願い事をした。


 猛獣が待ってる家なんかに帰りたくないです。どうか今日だけは残業がありますように。


 本当は直接お願いできれば良かったんだけれど、神様のLINEも電話番号も知らない(当たり前だけど)僕は心の中で願っていたんだ。


 ※


 午後のオフィスは平和だった。

 いつもならブーブー言ってばかりいるはずのN島さんも、Y山さんもこんな日に限って大人しい。

 もうこうなったらデビル光太に変身してパソコンのフォルダの一つや二つ壊してやりたい気もしたけど。


 そんなことできるはずもなく……

 やがてオフィスの掛け時計は無情にも18時を示したんだ。

「お先に失礼しま〜す!!」

 あちこちから沸き上がる明るい声。

 それに比べて僕ときたらどんよりとした紫黒色のオーラを放つていたのかもしれない。

「係長、帰らないんですか?」

 ビジネスバッグにクリアファイルやらペットボトルやらを入れながら心配してくれたのは北嶋君だった。

 デスクに項垂れた僕は「ねぇ、北嶋くん」と消え入るような声で部下の名前を呼んだ後「地縛霊って良いよね。だって、会社の地縛霊になったら家に帰らなくても済むでしょ」と呟いた。

 しーん。

 この世界から音という全ての音が消えたような気がした。

 どうやらペットボトルや注射器がなくったって「真空状態」になることもあるらしい。


 ※


 結局、泣く泣く、嫌々、会社を出た僕。

 最後の悪あがきをしてみた。

 ちょっとした時間稼ぎなんだけど。

 お菓子を買いにコンビニに立ち寄ったり、街路樹をツチノコがいないか見渡したり、はたまた夜空にUFOを探しながら帰ったんだんだ。


 何でかって?


 誰でもいいから僕を連れ去ってほしかったからだ。

 白馬に乗った王子様でも、遠くの銀河からやってきた宇宙人でも。

 誰でもいいから。

 トホホのホでやんす。


 ※


 19時を過ぎていたと思う。

 マンションの入口に着くと、ため息混じりの深呼吸をしてからエレベーターに乗った。

 エレベーターが5階に到着し、扉が開くと、とぼとぼと自分の部屋のドアへ向かって歩いた。


 命からがらで502号室の前まで来ると

 そ〜っと。

 ドアの鍵穴に挿し込んだ鍵をゆっくり回すと

 カチャッ。

 小さく金属音が鳴った。


 玄関から真っ直ぐ伸びた薄暗い廊下。

 その突き当たりにあるガラス窓付きのリビングのドアからは明かりが漏れていた。

 家の中はRPGに出てくるダンジョンのように不気味に静まり返っていた。


 僕は革靴を脱いで音をたてないように歩いた。

 抜き足……差し足……忍び足……

 泥棒のような足取りで。


 そして、またゆっくりとリビングのドアノブを回した。

(えっ!?)

 地獄絵図のようだった。

 僕は変わり果てたリビングを見て絶句した。

 どうやら株式会社結衣リノベーションが模様替えをしてくれたらしいけど。


 なんてこった……

 神も仏もあるもんか!

 リビングが婚活道場に変わってしまうなんて。


 かわいいハムスターのポスターはモテる男の3か条とやらが書かれた横断幕に変わっていた。

 ・いつも笑顔で!

 ・いつも優しく!

 ・いつも清潔に!


 おまけに木の板に墨書きした名札掛けまで。

 ・師範 朝倉結衣

 ・門下生 朝倉航太


 悪い夢だったら早く覚めてほしかった。

 目をゴシゴシさせてみたけれど、やっぱり夢なんかじゃなかった。


 なんかもう全身の力が抜けて、その場にヘタレ込んで座ってしまった。

 その時。

「おそーい!」

 寝室から警察官のコスプレをした結衣登場。そこは道場着や袈裟とかもっとあっただろ、そう思いつつもツッコミを入れる元気さえなくて。

 結衣は戦意喪失していた僕に更に追撃してきたんだ。

「パパの門限は今日から18時30分なんだからね」

「俺、38歳!!」

 世界中の人達に訊いてみたい。

 こんな「箱入りパパ」の需要ってあるのでしょうか?


 ※


 ポンコツおじさんでもわかるテーブルマナー講習。

 それは想像していたよりも100倍過酷だった。

 と言うのも、僕が勝手に結衣がホワイトボードか何かを使って一方的に話をしてくれる単なる座学を想像していたからだ。

 それなのにフタを開けてみれば……

 実戦形式だった。

 ある意味座学は座学だったのかもしれないけれど。

 どんな講習だったかをシンプルに言えばこうだ。


 僕が実際に食事をしてマナーが悪かったら結衣が僕をボコボコにする。


 トホホでござる。

 マナーなんて、人生のどっかで落としてきてしまっているのに。


 それが小学校の遠足か大学の卒業式か、いつかはわからないけれど。

 いつの間にか無くなっていたような気がする。


 ダイニングテーブルには色鮮やかなイタリア料理が並んでいた。

 アスパラのクリームパスタ、マルゲリータ、バジルサラダ、コンソメスープもある。

 朝倉家には滅多に並ぶことのないオシャレな料理達だ。


 これがただの夕食だったら幸せなんだけれど。


 世にも恐ろしいオプション付きなわけで……


 すたっ……すたっ……すたっ……

 僕の背後を結衣ポリスが警策を持ってウロウロしていた。

 警策とは座禅の時に和尚さんが修行者の肩を叩く板状の棒のこと。

 そんな物騒なものをもってヤツは僕を監視しているんだ。

 僕が少しでもマナー違反を犯そうものなら

「ちが〜う!!」

 バシッ!!

 結衣の怒声と鈍い音がリビングに響き渡った。

 それと次の瞬間

「痛っ!!」

 オジサンのかっちょ悪い悲鳴も。

「パンは一口サイズに千切って食べなさい」

 結衣の頭からニョキニョキ角が二本生えているように見えたのは気のせいだっただろうか。


 その夜、妖怪結衣ピョンにHPを全部吸い取られてしまった僕はむにゃむにゃ寝言を言っていたらしい。

「かぼちゃポタージュの海を渡ってイチゴムース島の宝を探しに行きます」

 と。

 夢の中でフランス料理の世界を冒険するなんて……

 どれだけ結衣の婚活道場がスパルタ指導だったのは想像に難くないだろう。


 こんなものは、まだまだ序章にすぎない。

 この先は閲覧注意!

 心臓の弱い方は読まないで下さい!

 なーんてね。

 それは冗談として、だけど、あの7日間がパパ生活10年の中で一番ハードだったのは間違いないかもしれない。


 

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