はにかみ勿忘草

坂井 幸太郎

第1話 始まる!パパと娘の婚活奮闘記! 


 もう恋なんてできないと思っていた。

 

 まさか38歳のおじさんが目をハートにすることになるなんて。

 

 気色悪い男No.1のレッテルを貼られたって構わない。

 

 桜が咲く季節。


 僕は卸たての白いシャツのような片想いをした。


 ※


 我が朝倉家には不思議なジンクスがある。


 それは…… 


「娘がアップルパイを作って不気味な笑みを浮かべると悪いことが起こる」


 これが朝倉家のジンクスだった。


 お気に入りの腕時計を壊された時も。

 

 高級アロマ加湿器をおねだりされた時も。

 

 いつだって僕と娘の間にはアップルパイがあった。


 そう、あの日もそうだったんだ。


 一人娘で小学5年生の結衣は不気味な笑顔で僕の帰りを待っていた。


 いつもより一回り大きいサイズのアップルパイを作って……


 月曜日の午後7時を回った頃だったと思う。

「ただい……ま……」

 リビングのドアを開けた僕の挨拶は尻すぼみして

 ドサッ

 手に持っていたビジネスバッグも落下した。


 フリーズした僕の視界に映っていたのは

「おかえりなさい」

 キッチンで不敵な笑みを浮かべる娘とダイニングテーブル上のアップルパイだった。


 またきてしまったか……我が家の忌まわしきジンクス……

 

 ゾクッとした背筋。

 止まらなくなった脇汗。

(まさか性転換したいとか……そうじゃなかったら整形したいとか……)

 絶賛色々想像中の僕の腕を結衣は

「ほら、早く、早く」

 そう言って、強引に引っ張ったんだ。

 

 ※


 怖い……怖すぎるよ……


 鯵の南蛮漬け、いわしのつみれ汁。

 所狭しと食卓に並んだ手の込んだ料理達はは、まるで黒魔術でもかけたかのように妖しく艶めいていた。


 もぐ……もぐ……

 咀嚼する口はカラッカラだった。

 

 美味しい御飯のはずなのに、緊張感のせいで全然味がしない。

 

 きっと僕の中の味細胞君達までもが仕事を放棄して逃げだしてしまったんだろう。

 

 時折、感じる結衣の魅惑の視線に恐れをなして。


 とにかく臨戦体制の相手にこっちはヒヤヒヤしっぱなしだったんだ。

 

 もしも某猫型ロボットが本当にいてくれたらお願いしたいもんだ。

 

 結衣の小悪魔ミサイルにも耐えられる「なんでもシールド」か「なんでもバリア」なんかがあったら貸してもらえるように。


 心の準備はできていなかった。


 それでも待ったなし!


 無情にもデビル結衣Pは遂に動き出したんだ。

「あのさ……ちょっと話があるんだけど……」

 魔性の笑みを浮かべて。


 結衣の話はどんなんだったかって? 


 それはある意味、想像を遥かに超えていた。


 僕が思ってたよりもずっと。


 ※


「デート!?」

 僕は悲鳴に近い声と一緒に御飯粒を何粒か吹き出した。

「ちょっと、汚いなぁ~」

 真向かいに座っていた結衣は怪訝そうに眉を顰めていたような気がする。


 それは、まさに青天の霹靂だったんだ。


 箸で捕まえたタコの唐揚げを持ったまま固まっていた僕を置き去りにして話はどんどん進んでいく。

「そうだよ、今度の土曜日、午前11時に横浜グランマリンホテル」

 優衣は野菜サラダにドレッシングをかけながらケロっと笑った。


 何かの間違いかと思った。デートなんて10年していない。


「デートって誰と誰が?」

「だから、パパと塔子さんが」

 耳をかっぽじって聞いたけどやっぱり聞き間違いなんかじゃなかった。

 塔子さんって誰?

 どうしてデート?

 全部が謎だらけ。

“現実は小説より奇なり”ということわざがあるくらい本当に何が起こるかわからない。


 それにしてもどうしてこんな事態になったのだろうか。


 容疑者Yはその犯行手口を澄まし顔で語ってくれた。

「婚活アプリでちょっとね」

 小学生が婚活アプリ……

 それにもビックリしたけど、どうして婚活アプリをやっていない僕がデートをすることになるんだろう?


 謎は深まるばかり。

 

 小首を傾げていた僕に痺れを切らしたように結衣は「だーかーらー」と間延びした接続詞を一つ置いた後、馬鹿な僕にもわかるようにハッキリ言った。「私がパパになりすまして婚活アプリをやったの!!」

 少しだけ思考が停止した後……

「えぇぇ~!!!!!!!」

 ご近所さんにも聴こえるくらいの絶叫をした。

 血の気が引いて青ざめていく僕に結衣は上機嫌に言った。

「大丈夫だって!ちゃんと上手くやってるってば!」

 地球で一番大丈夫じゃない「大丈夫」を聞いたような気がした。

 ものまね芸人でも、怪人二十面相でもない彼女が扮した僕とはいったい……


 初めまして。朝倉航太と申します。

 38歳。横浜在住。

 趣味は温泉巡りとプラネタリウム。

 仕事は文具メーカーで営業職をやっております。

 離婚歴と、とってもキュートな娘付きの私ですが、どうぞ宜しくお願いいたします。


 なかなかのゴーストライターっぷり。

 これが結衣が勝手に作った僕のプロフィール。

 ほとんど真実なんだけれど、たった一点だけ……

「あっ!嘘ついてる?」

「どこが?」

「『キュートな娘』って『破天荒な娘』の間違いでしょ!?」

「おしとやかな娘に向かって何てことを言うんだ!」

 そう言って、父親を小突いた結衣。

「痛っ!」

 僕は頭を擦りながら思った。

(おしとやかだったら、父親になりすまして婚活アプリなんてしないだろう)


 それにしても結衣の爆弾発言の破壊力は半端なかった。

 

 おかげさまで、こっちは驚き過ぎて予約していた歯医者のことも、明日に迫っていた新商品のプレゼンのことも全部吹き飛んでしまうくらいだった。

 

 やれやれ…僕はローストビーフに箸を伸ばしながら

「パパは絶対に行かないからね!今度の土曜日は大事な予定があるんだから」

 ため息混じりに言ったんだ(本当は友達とゴルフに行くだけだったんだけど)

 

 そしたら現れたのが、わざとらしく眼を擦る嘘泣き女優だった

「え~ん!え~ん!パパの為にこんなに頑張ったのに……え~ん!え~ん!」

 パパ歴10年。娘のハニートラップに易々と騙されるわけにはいかない。

 

 僕は毅然とした態度で

「もう結婚するつもりなんてないから」

 豚の串焼きにガブッとかじりついて、男らしくビシッと言ってやった。

 

 これで結衣も諦めてくれると思った。


 ところが、ワガママが服を着て歩いているような娘は訝しげな眼差しをチラチラ向けてくるんだ。

「塔子さん、メチャクチャ美人なんだけどな……」

 と、拗ねた表情で生ハムとナッツのサラダに箸を伸ばしながら。

「……」

 突然、静寂に包まれた。二人共、黙ったまま。

 

 カチッ……カチッ……

 掛け時計の秒針の音だけがやけに大きく聴こえて。

 

 蛇に睨まれた蛙のような気分はあの時と同じだった。

 

 嘘をついて麻雀に出かけていたことが奥さんにバレた時と。

 

 僕は祈るばかりだった。

 

 元奥さんが持っていた女の第6感。その遺伝子を結衣が受け継いでいませんようにと。

 

 だけど男の第6感というやつも捨てたもんじゃないらしい。

「ママが言ってたっけな……」結衣はボソッと言った。

「『パパは嘘をついてる時、左手でほっぺたを触るのよ』って」

 ピンポーン。正解。

 

 僕は反射的に自分の頬を触っていた左手をそっとテーブルの下に隠した。


 ぎこちない仕草に自分でも情けなかった。

 

 七夕の短冊に「ワイルドな男になれますように」って書いたけど、織姫様が「無茶言わないでよ」って、頭を抱えている姿が目に浮かぶ。


 おまけに地球でベスト5に入るくらいの優柔不断ときたもんだ。 

 

 心の中ではシッポを生やした小さな悪魔達が集まって抗議デモをしていた。

 

 僕と同じ顔をして槍を持った奴らがわんさか集まって「痩せ我慢反対!」と騒いでいた。


 その結果、主である僕は突然静かに箸を置いた。

 

 結衣が何事かとキョトンとした顔でこっちを見ていた。

 ゴホン、咳払いを一つ入れてから、テヘッと笑った。

「せっかくだから写真くらい見ておこうかな」

 こてっ。結衣がコントのように椅子からずり落ちた。

 

 ※


 塔子さんを一言だけで表すなら……

 

 美人で優しそうなお姉さん。

 

 それが塔子さんの写真を見せてもらった時の僕の素直な印象だった。

 

 本当は「美人」なんかよりも、 もっと「美人」で、どんなに分厚い辞書を開いても塔子さんに釣り合う形容詞がないくらい「美人」だと思ってしまった。


 いくら一目惚れ反対派(外見で選んだけで選んだ黒歴史があるから)の僕でも。

 

 デレデレしていたと思う。

 

 どれくらいかって?

「パパの鼻の下3メートルくらい伸びてるよ」

 結衣にそう言われたくらい。

 

 とろけるチーズみたいになったおじさんのトキメキを世界中の人々の家に一軒一軒、ポスティングしてあげたいくらいだった。


 ※


 結局……僕は塔子さんと土曜日に会うことにした。


 最初から素直になっていれば良かったんだけど。

 

 どうしても「男らしさ」というやつが足りないような気がして……


 時々、結衣のサバサバした性格が羨ましくなる(結衣に男性ホルモンを吸収されてるんじゃないかっていう都市伝説もあるけど)


 もしかしたら消費税が15%に上昇する頃には僕の「男らしさ」は15%減少しているかもしれない。


 それにしても「竹の子の親勝り」ということわざがあるけれど、結衣の成長には目玉が翔びでそうになる。


「ヘリコプター」が言えなくて、「ヘリポクター」と言っていたあの結衣が……

 

 ウサギのぬいぐるみを抱っこしたまま眠い目をこすっていたあの結衣が……

 

 父親に代わって婚活をしていただなんて。

 

 湯船に浸かって白く煙ったモルタルの壁をぼんやり眺めながら結衣が生まれた頃の事を思い出していた。

 

 桜の花びらが舞う陽気な午後に産まれた2930グラムの元気な女の子。

 

 それが結衣だった。

 

 思えば、娘に「結衣」という名前を付けてくれたのは僕の元妻だった。


 僕は本当は「結月」という名前にしたかったのだけれど、元妻が女性らしく柔らかい人に育ってほしい(「衣」という言葉には、そのようなイメージがあるらしい)ということで結衣は結衣になったわけなんだけれど……

 元妻に伝えたい。「結衣はたくましく成長してます(色んな意味で)」と。

 

 ガチャッ

 

 突然、磨りガラスのドアが開いたかと思うと、そこからニョキッと顔だけを出した結衣が

「明日からビシビシやるからね。覚悟してね」

 エコーがかかった声でニヤッと笑うと、

 

 ガチャン

 

 そのまま嵐のように去っていったんだ。

「…………」

 白濁色の湯船に浸かって体育座りをしたまま父親がたった一人呆然としていた。


 模範的奥手男子のパパと天真爛漫な娘。


 二人の婚活奮闘記はこうして始まったんだ。





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