Act9 シーン1 公園で「すれ違い」

「ミーナ」は聡は公園のベンチに座っていた。30分前と決定的に違うことといえば、「ミーナ」がワンカップ大関を握りしめていて無理矢理口に流し込んでいるところだった。

それを見ながら聡はため息をついていた。

「どーすんのよ、聡! おまえの友達に身体のっとられた私は? あ?」

酔っている「ミーナ」は凶暴になり、聡は貝になっていた。彼は最低で馬鹿な友達を持ったことについて失望しているのだ。そんな彼の気持ちは理解できるが、今のミーナには余裕はなかった。

「ほらー、さっきみたいに説教しろよ、まったく! おまえの友達! こいつ、この孝雄様はな、身体泥棒だ! くそー孝雄め、このままあいつは自分をごまかして生きていくのよ!」

そう言いながら「ミーナ」は、孝雄を一生恨んでやろうと心に決めた。

「ごめん、なんとかするからさ! 本当にごめん」

聡は泣きそうな顔で何度もさっきから謝っている。 ミーナからすれば、この親切なお人良しは、なぜあんな楽天的なバカと友達なんだろう? と言うところか?

「もういいよ、私は男で生きて行く。トイレも今からは一人でいく、ちんこなんかも自分で触れるちゅーの、なめんなよ女を!」 

「ミーナちゃん」

「ミーナって呼ぶな! 俺は孝雄だ! た、か、おー。身体泥棒のな!」

「ミーナちゃん」

呼ぶなと言っているのに、聡は「ミーナ」と呼び続けるのでイライラする。

「だから孝雄君なんだよ、私はミーナなのに」

今度は小さい声でつぶやいたので独り言のようになった。彼女は明らかに混乱していた。大きくため息した後、「孝雄の暮しは? あいつ金持ち?」とレベルの低い質問をした。

「いや、母子家族だよ」母子家庭と聞いて、苦労してるのかな?と一瞬同情しそうになって心揺(こころゆら)いだ。なので、ここでその話を詳しく聞く気にはなれなかった。

「で? 他になんかないの?」

「どうして?」

聡は不思議そうに尋ねた。聞いてもイラつくだけだと思ったからだ。

「身体かえってこないかもしれないし」

「ミーナ」がそう言うと、聡はあまり喋れなくなった。

「あそこのおばさんがよくしゃべる人でさ、おもしろいよ」

「へー、息子と違って能天気じゃあないことを祈るわ!」

「ミーナ」はワザと棘(とげ)のある言葉で自身の怒りを表現した。


同じ公園の向こう側でも、失望のどん底でもがいている人がいた。

その女は家庭用のホウキと、コンビニで買ってきたワンカップ大関を握りしめていた。

そのワイルドな女は順子だった。

順子の立場から言うと、夫と若い助手との浮気を見つけ咄嗟(とっさ)にホウキで追い回した。 

あと少しで不誠実な夫の脳天に一撃を加えられたのだが、不覚にも段差でけつまずいてしまった。敵を見逃してしまったのだ。

「くっそー、あいつめ今まで騙しやがって、ただじゃあすまねーぞ、くそ! ちきしょー、むかつくな!」と大声で叫びまくり、次々と地面をホウキで叩きまくった。そして彼女は疲れて座り込んだと思ったら独り言を言いながら電話をかけ始めた。

「あ、そうだ、聡呼(よ)ぼ! 電話、電話、あいつに証言させて、裁判で莫大な慰謝料もらってやるからな! あ、もしもし」

やっと聡が電話にでると順子は喜びから大声で挨拶した。

「おう!」 

「母さん、何してるの?」

「何してるのじゃあないわよ、あんた全部知ってるくせに」

「あ、母さん手紙見たんだ。全部知ってるんだ」

息子は父の浮気でショックを受けているので悲しそうな声なんだと思った。

「とにかく。私は飲まずにはいられないの? まさかあんなことになってるなんて!」

「そうだよね。母さんにもプライドがあるだろうから」

「そうよ、私はプライドの固まり、、、」

聡は母のプライドを気にかけてくれているようだった。 能天気な若い助手に、父親を取られた無念さ! 息子も共感していた。順子は、今、聡と話し合わなければいけないと思った。同じ傷を持った者としての悲しみを語り合いたかった。ただ順子の性格上、優しく聡を呼び寄せることは不可能だった。

「ちょっと聡! 今から来なさいよ、今ね! 近くの公園で飲んでるのよ! ホウキ持ってるからすぐ分かるわよ」

「公園で? ホウキ?」

聡は小さい頃から健一郎に似て、妙に細かいところを確認する、それに関していちいち電話で説明するような気持ちにはなれなかった。

「ああ! 気が立ってるから10秒で来いよ。10.・9・8」

息子が10秒で来れないのは分かっていたが、「わがまま」を聞いて欲しかった。そう思いながらカウントダウンしていると、公園の向こう側から息子と孝雄が走ってきた。息を切らしながら、必死でやってくる我が子を、愛おしく思ったが、この生真面目(きまじめ)さは健一郎っぽい、と思った瞬間、急に素直になれなくなった。

「母さん」

「お、本当に3秒で来やがった、漫画みたいな奴だな、おまえ!」

「母さんも酔っ払ってんだ」 

「当たり前だろ! こっちにきなよ」

コンビニの袋に入ったワンカップ大関の中から聡と「孝雄」に渡そうとすると、なぜか「孝雄」は既にカップ酒を握りしめていた。孝雄も飲みたい気分なのだろう。彼にできるだけ優しく声をかけた。

「大変だったなおまえも! 振られたんだって! まあ困難を乗り越えるしかないぞ」

「フラれた?」

孝雄の反応はそっけなかった。かつ喋り方が女の子っぽくも見えた。 ただ、良く考えてみたら、友人の母親に「フラれた?」なんて聞かれれば、孝雄のプライド上(じょう)認めたくないはずだった。 このような自分の気遣(きづかい)いの無さのせいで、健一郎は浮気をしたのかもしれなかった。もう孝雄に彼の失恋のことを聞くのはやめて話を変える為に聡に話をふった。 

「あいつには電話したの?」

「電話したけど、まるで無視だよ」

順子は、健一郎が息子さえも無視していることに驚きを隠せなかった。

「おまえのことを無視したのか? あいつも変わってしまったね。 全く女というものは恐いね。女に腑抜(ふぬけ)けにされちまってさ!」

「そうだね。日常と違う世界というのは魅力があるんだろうね」

まだ子供と思っていた聡に、浮気のことをそんな風に言われるなんて、予想もしていなかった。ただよく考えてみると、息子はもう二十歳(ハタチ)を超えていて、そんな意見を言っても不思議ではない年になっていた。

「あいつめ! 絶対許さないわ」

順子は決意をこめて言った。   

「俺だって許せないよ、あいつ親友だと思ったのに!」

ここでまた、聡から大人の発言がきた。健一郎をいつの間にかあいつ呼ばわりしていて、かつ、親友だと思っていると言うのだ。

どちらかといえば、昭和スタイルで子育てしてきたと思っていたのだが、息子は、母親の想いとは違う方向に成長していたことにショックだった。

「おまえ! あいつのこと親友と思ってたのか?」

「うん、だって大切な奴(やつ)だし」

息子は聡は父である健一郎のことを「奴(やつ)」呼ばわりし始めた。ただ浮気男の呼び名としては適切なのかもしれない。ここはそのまま話を流すことにした。

「まあいろんな愛情の形があるからね、母さんは、お前があいつのこと親友と思ってたこと許すよ」

「許す、、、」

聡は変な顔で順子を見つめた。 順子にとってのあいつは健一郎で、聡にとってのあいつは孝雄のことなのだから無理もない。お互いの誤解が積もりに積もって明らかに話は違う方向に突き進んでいた。そしてこの奇妙な会話まだ続く。

「そう許してあげる」

順子は優しく繰り返した。

「でもやっぱりあいつとなんとかして会わないと、時間がないんだ!」

息子は頼もしく言い放った。

「あんた大人だね! あんたのこと私誇りに思うよ」

こんなに母を心配してくれる頼もしい息子はいないと思った。

「俺、あいつに会ってなんとかするよ。信じられないって言ってる暇はないんだ。これは俺達の為なんだ! やっぱりそれしかないよ」

聡は、順子をあまり見つめずに、何故か孝雄を見つめて話した。

しかし母である順子には、それが息子、聡の照れなのはすぐに分かった。

「ありがとう聡! 私はどうしたらいいの!」

「母さん? どうしたらいい?」

息子はまた不思議そうな顔をした。 彼は家庭の問題の全てを自分で解決するつもりなのだ。ただ、それは甘えすぎだとも思った、、、でも、少し甘えたくもなった。

「そうよ、あたしよ、この傷ついた私は、、、」

「そうだね。母さんは負けてしまったんだから」

 この負けという言葉はウィルスの「開発競争の敗北」のことを言っているのだが、もちろん順子には「女の戦いの敗北」に聞こえている。

息子は、順子が人生で一番聞きたくない「負け」と言う言葉をあっさりと使ったのだが、息子からハッキリと言われたことで、素直に受け入れることができた。 

「そう、私負けたの、、、」

順子の中で、かよわい母でいることへの苦痛が消えていくような気がした。 

そんな順子に聡はまだまだ沢山の愛と希望を伝えた。

「プライドを捨てて、お父さんと仲良く頑張っていけばいいと思う」

「プライドを捨てて?」

「そう全てを忘れて!」

「わかった、ありがとう」

順子には聡の顔がジーザスに見えて改めて礼を言った。

「よし、ミーナちゃん。俺達も、もう一回頑張ろう!」

なぜか聡は「孝雄」にミーナと声をかけた。 

「うん」

孝雄も孝雄で、女のこのようなかわいい仕草で返事した。

「ミーナちゃん?」と順子は不思議がるが、もちろん二人は気にする訳なかった。

「今日の予定は把握してるか?」

聡はキリッとした顔で「孝雄」に聞いた。 

「大丈夫。もちろん分かってる」

「孝雄」も真剣に応じた。

「よし、母さん、俺達あいつに会いにいくよ!」

聡はようやく順子の方を向いた、

「誰に?」

順子は頭の中が真っ白だった。

「何言ってるの? 孝雄に決まってるだろ!」

聡は当たり前の顔で返事した。

「は?」

順子は、目の前に孝雄がいるのに孝雄に会いにいくと言っている息子が不思議でたまらなかったが、すぐにそれは自分が飲み過ぎたことが原因と結論付けた。

「じゃあ! 母さん勇気づけてくれてありがとう」

幻なのかもしれない聡は爽やかにそう言うと孝雄を見つめた。

「失礼します」

「孝雄」はきちっと挨拶すると、二人は公園の出口に向かって走っていった。

一人残された順子は、「はあ?」とため息をつくと、まだ少し残っているワンカップ大関をぐっと飲み干した。

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