これは赤き龍の紋章か!? いいえ、ただのあかぎれです。
桜枕
あかぎれ、なんだが
学校からの帰り道。角を曲がった直後、
石造りの狭い部屋の中心に立っている僕と、僕を取り囲む老若男女。
その中でも一番年配と思わしき老人が僕の左手を取って声を荒げた。
「これは赤き龍の紋章か!?」
いいえ、違います。
それはただのあかぎれです。
何歳なのか分からないが、きっと認知症だ。
僕の曾おじいちゃんも生前は似たようなことを言っていた。
だからこそ、そういった発言を否定しない方が円満な生活を送れるってことを知っているんだ。
「な、なんだって!?」
「やっぱり伝説は本当だったのね!」
「勇者様の召喚は大成功だ!」
ほらね。
彼らもボケてしまった大切な家族との付き合い方を熟知している。
部外者の僕が口を出していい問題じゃない。
手の甲のあかぎれが掃除当番を押し付けられ続けた不名誉な勲章だということは黙っておこう。
それで幸せになる人がいるのに、わざわざ自分の
僕は石造りの小部屋から王様が待ち構えていそうな広い部屋へ連れられ、事情を聞かされた。
さっきのおじいちゃんは王様が座っていても違和感のない椅子に座り、王冠までかぶっている。
どうやら今日が誕生日らしい。
「この世界は危機に瀕しています。湿潤皇帝ハダウルオウテルが湿潤四天王を送り込み、このままでは世界は皇帝の手に落ちてしまいます」
なんて羨ましい名前なんだ。
乾ききった僕の身も心もヒタヒタにして欲しい。
僕は男性の話を聞きつつ、ポケットの中からハンドクリームを取り出して両手にたっぷりと擦りつけた。
他の追随を許さないほどの乾燥肌を持つ僕にとって、なくてはならないものだ。
神器と言ってもいい。
「そ、それは?」
カサカサの肌たちが小躍りしている感覚を堪能していると、饒舌だった男性が青ざめた顔で上擦った声をかけてきた。
「……命の次に大切なものだ。これがないと大変なことになる」
きっとハンドクリームの説明をしても分からないだろうし、これを取り上げられるとあかぎれが悪化してしまう。
ここは大切な物であることを誇張して、誰にも触れられないようにしておこう。
「あれで赤き龍の力を制御しているに違いない!」
「手の甲の赤き龍は地脈と直結しているという聞く。大変なことになるとは本当なのだろう」
随分と優しい家族のようだ。それに設定が凝っている。
これなら誕生日のおじいちゃんも大満足だろう。
察するに僕はサプライズ登場したスペシャルゲストというわけか。それなら場の空気を乱すような発言はできない。
最後まで付き合ってやろうじゃないかと心に決めた。
「勇者よ。王都のはずれにある村に向かい、潤いに
「任務了解」
真剣なおじいちゃんの瞳を見つめ返し、負けないくらいの真剣さで即答する。
本当は僕も一緒になって潤いに苛まれたい気持ちでいっぱいだけど、そんな事は口が裂けても言えない。
こうして、僕はハンドクリームを握り締めて旅に出た。
◇ ◇ ◇
そこは湿った空気が支配する小さな村だった。
「……感じる」
全身の肌が歓喜の声を上げていることに気づき、僕の頬も緩む。
おじいちゃんの指示で同行してくれている男性が「さすがです」や「やはりあなた様は」などと呟きながら、僕の顔を見て震えていた。失礼な人だな。僕だって笑うんだよ。
「勇者様、こちらが湿潤四天王の一人、ジュンジュンの呪いです」
若い女性たちを連れてきた村長に容態を見てほしいと懇願された。
僕はただの高校生で医者ではないのだから診察はできない。しかし、女の子の肌が瑞々しいことは分かる。ちょっと太いけど。
服の袖から覗く白くてスベスベの腕が羨ましい。ちょっと太いけどね。
いいなぁ、分けてもらえないかな。
「どうでしょう」
「いい腕だ。でもハリがよすぎる」
女の子の手に触れると潤いすぎて
僕はこの村に向かう道すがら自分の能力の確認を終えている。左手には他者の水分と湿度を奪う能力が、右手には塩を生み出す能力がある。
左手は有能だと思う。しかし、右手はクソの役にも立たない。
なんだよ、塩って。
「おぉ! なんという神業。これが勇者様のお力なのですね」
「ありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」
「是非、村で採れた野菜を召し上がってください」
村長と
ただ、僕の手の甲の乾きは健在だ。いくら彼女たちから水分を奪おうとも僕のあかぎれは治らない。
むしろ酷くなっている。
「洗面台を借りるぞ」
この世界の水は冷たすぎるし、タオルは固すぎる。
ただ手洗いをするだけで僕のあかぎれが悪化してしまうのだ。
なるべく手を洗わないようにしているが、癖で食事前や帰宅時には絶対に手を洗ってしまう。
そんなことを繰り返していると左手の甲はいつになくガサガサになっていた。
「ぐっ!」
「勇者様!?」
「大変だ。勇者様の赤き龍の紋章が共鳴している」
左手を押さえてうずくまっていると駆けつけた村長たちが僕を囲んで右往左往の大騒ぎとなった。
別に共鳴なんてしてないよ。少し亀裂が広がって血が出ただけなんだよ。
粗悪なタオルも相まって痛いんだよ。
「……いつもより強いな」
「なにか、よからぬことが起こる前兆でしょうか」
「まさか、ジュンジュンが来たのか!?」
ポケットからハンドクリームを取り出して、手の甲に塗り込む。
鎮痛効果はないが、わずかな潤いを補充することはできる。
「紋章が消えた!?」
違うよ。
ハンドクリームと一緒に血を伸ばして塗りたくっただけだよ。
「勇者様、それは危険です。あなた様から乾燥を奪う魔のスライムです!」
「おい、バカ! やめろ! あぁやって赤き龍の暴走を抑えておられるに違いない。勇者様がリミッターを外されたら、地脈の流れが絶たれてこの世界が崩壊してしまうぞ」
とんでもないことを言われているが、変に否定しておじいちゃんの認知症が進行しても困る。ここは口をつぐんでおくのが吉だろう。
みずみずしい野菜たちを堪能していると外から多数の悲鳴が聞こえた。
村長たちと一緒に屋外に出ると巨大なナメクジが村の防壁を薙ぎ倒していた。
「あわわわ。四天王の一人、ジュンジュンだ!」
ナメクジが進むたびに地面は粘液に汚れ、湿気が増していく。
すがるように僕の服の袖を掴む村長を前にして後退ることはできなかった。
それに相手は大きいとはいえ、所詮はナメクジだ。僕には秘策もある。
意を決して一歩前に出ると、ゆったりとした動きで進撃するナメクジに向かって右手を大きく振りかぶった。
「……
格好つけているが、右手で生成した塩をかけているにすぎない。
やっていることは好奇心旺盛な小学生と同じだ。
「おぉ! ジュンジュンが小さくなっていくぞ!」
「さすが、勇者様だ! 手を振っただけで四天王の一人を倒すなんて信じられない!」
この世界の人たちは完璧なリアクションをしてくれる。世界規模であのおじいちゃんの誕生日を祝っているのだ。なんて人望のあるご老人なのだろう。僕は密かに感動した。
護衛の人が何やらカメラのような物を構えているから、今の戦闘映像をおじいちゃんに見せる用のホームビデオにするつもりなのかな。
やっぱり格好つけておいてよかった。
黄色い声を上げる女性たちの誘惑を背に歩き出す。
こんな機会は滅多にないから本当はもっとチヤホヤされたい。
でも、鼻を伸ばした姿をおじいちゃんに見せるわけにはいかないので、葛藤の末にグッと堪えて次の撮影に挑んだ。
四天王の一人でメドゥーサのような見た目をしているシタタリーゼの攻撃を受けながらも渾身の一撃をお見舞いすると、度肝を抜かれるほどに美しい女性の姿になった。
更に驚くことに彼女はおじいちゃんの七番目の孫で一年前に失踪した子だったらしい。
二人並んで腕を組んだ写真を撮られた僕は彼女からの求婚をやんわりと断り続けるつもりだった。
しかし、彼女をお家へ送り届ける道中の宿屋で何度か夜這いをかけられた。過去にモテたことのない男子高校生が理性を保てるはずもなく……。
いや、待ってくれ!
最初は拒んだんだ。乾燥肌に夜更かしは禁物だと何度も唱えた。
でもダメだった。僕の心は気付かぬうちに潤ってしまっていたんだ。
これは二人だけの秘密だ。
おじいちゃんが知ったら発狂するかもしれないから口が裂けても言えない。
第三の敵、ジュンカ・ツユも強敵だったが、四天王最強と名高いビチョビチョンには苦戦を強いられた。
まさか、あのタイミングでヌメロニアス・オブ・ヌメロニアを発動されるとは思っていなかったのだ。
全身が粘液にまみれ、呼吸ができないほどに体が膨張して死を覚悟した時、僕の祈りに答えるかのように封印されていた乾燥女帝メワカが復活し、間一髪で助け出された。
最後はメワカと共に放った一撃でビチョビチョンを撃破することに成功したのだ。
しかし、封印を解いた代償は大きく、僕のあかぎれが酷くなり痛みでお皿を持てなくなってしまった。
お陰で食事の際に皿を持たないマナーのなっていない奴という印象をおじいちゃんに与えてしまったかもしれない。
きっとあの年代の人はそういうことにうるさいはずだ。だから名誉挽回するために魚の骨は綺麗に取ってから食べた。これで少しは好感度を取り戻しただろう。そう信じたい。
遂に迎えた湿潤皇帝ハダウルオウテルとの最終決戦。
その頃には手持ちのハンドクリームの残量は残りわずかだった。
彼は僕と真逆のオイリー肌の持ち主で、生まれ持った体質を馬鹿にされたことで自暴自棄になってこの世界を油の海底に沈めようとしたらしい。
その話を聞き、護衛兼カメラマンの男性に5分だけ玉座の間から出て行くように指示して、二人きりで話し合うことにした。
「浅い。浅いぞ、ハダウルオウテル。この手を見ろ」
「これは赤き龍の紋章か!?」
「違うっ!」
ハダウルオウテルが体を震わせ、一歩後退る。
僕は左手の甲を見せつけながら距離をつめた。
「お前に分かるか。毎日毎日、手を拭くたびに血が吹き出るんだぞ。お前だけが辛いんじゃない」
「そ、それはすまん。龍に選ばれると苦労があるのだな」
「分かってくれればいいんだ。ここからは提案だ。僕なら君を救えるし、君なら僕を救える。ギブアンドテイクといこうじゃないか」
護衛兼カメラマンの男性が撮影を再開したことを確認してから能力を発動させる。
僕は左手の能力で彼のオイリー肌な体質を変化させ、彼は僕の肌に潤いを与えてしつこい乾燥肌をしっとりとさせてくれた。
雇われた役者とはいえ、ハダウルオウテルはいい奴だった。特に最後の涙を流すシーンは迫真の演技だった。僕ももらい泣きして二人で抱き合ってしまったほどだ。
ジュンカ・ツユはイケメンで話の合う奴だったし、ビチョビチョンなんて今では良きライバルといっても過言ではない。
それにしても、メワカ役の女優さんは綺麗だった。
こうして世界の危機は去り、僕はおじいちゃんの待つお城のような家に戻った。
今日もおじいちゃんの頭には王冠が載っかっている。今日も誕生日のようだ。
本当の誕生日が分からなくなったとしても、本人が「今日が誕生日だ」と言うなら今日は誕生日だ。
それでいいじゃないか。一年で365歳の年を取ったって誰も文句は言いやしないさ。
「勇者よ。よくぞ、無事に戻った。この世界の住人を代表して礼を言うぞ。役目を終え、赤き龍の紋章も消えてしまったのだな」
「任務完了」
僕は最後の最後に気を抜いたりしない。
かつて、音楽祭の時にカーテンコールがあることを失念して先に袖に消えてしまい、クラスの女子全員に卒業式までハブられた経験が僕を成長させてくれた。
これで誕生日スペシャルゲストとしての役目は終わった。
颯爽と背を向けて歩き出した僕の背に何かがのしかかる。
「お待ちください、勇者様。暗闇から救っていただいたこの命、最後まであなた様と同じ刻を共にさせていただけないでしょうか」
僕の背中におでこを押しつけているであろう人物は元四天王のシタタリーゼだった。時折、鼻をすする音が聞こえる。
「それはできない」
「ど、どうして……。私のことがお嫌いですか!? もっともっと勇者様に好かれるように努力します! だから!」
「違うんだ。……ニベアが待っている」
彼女が息を呑む声が聞こえ、背中の重みがなくなる。
顔だけを向けると口元を手で隠し、必死に涙を堪えている姿が目に映り、胸の奥がひどく痛んだ。
「ニベア様。なんて美しい響きのお名前でしょう。きっと色白で全てを包み込むような優しいお方なのでしょう」
「そうだ。僕にとっては聖女のような存在だ。……人じゃないけどね。でも悲しまないで欲しい。僕の全てをここに置いていく」
彼女と同じで僕も泣きたい気分だ。
ハダウルオウテルの体質を変化させたことで彼は普通の人になってしまった。
僕に作用していた潤いは一時のもので、今では元通りカサカサな肌になっている。完治していたあかぎれが再発するのも時間の問題だろう。
さらば潤い肌の僕。
「そなたは最後まで勇者であった。我々はそなたのことを決して忘れない。後世まで語り継ぐと誓おう」
今日はやけにまともなことを饒舌に語っているが、本物の王様なんてことはないだろうな。いや、断じてない!
もういいよ、おじいちゃん。早くこの茶番を終わらせて僕を解放してくれ。
あぁ……早くハンドクリームを塗りたい。
そんな無礼な願いが通じたのか、次に目を開けると自室のベッドに横たわっていた。見慣れた天井から視線を左手の甲に移し、全てを悟る。
僕のあかぎれを巡る冒険は終わったのだ。
何が赤き龍の紋章だよ。これから先も僕はあかぎれと共にある。
◇ ◇ ◇
「――こうして、勇者様の活躍により世界は救われましたとさ。おしまい」
「勇者様はどうなったの?」
「元の世界に帰られたのよ」
「どうしてお姫様と結婚しなかったの?」
「勇者様には愛するものがあったからお姫様とは結婚できなかったのよ」
「お姫様、可哀想だね」
「……そんなことないわ。きっとお姫様も私と同じように産まれてきた愛する我が子に勇者様の勇姿を語っているわよ」
「それならいいけど。ねぇ、お母様。お父様は次いつ帰ってくる?」
「どうかしらね。さぁ、もう寝ましょう。乾燥肌に夜更かしは禁物よ」
これは赤き龍の紋章か!? いいえ、ただのあかぎれです。 桜枕 @sakuramakura
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