第3話
***アイネ・クライネ・ナハトムジーク K. 525***
翌日。
直樹が家で書いてきた原稿用紙を一通り読み、操は一言。
「内容云々以前に、読みにくいんだよね、柏倉くんの原稿。字が汚いし、文字が書いてあればいいんだろ感がすごくて、この原稿を読む人が自分以外にこの世に存在しているなんて全然考えていないように見えるんだ」
一言というには若干多い。
黙っていれば美人なのに、顔面崩壊レベルの大変なしかめっ面で言うので、直樹もつい戦闘態勢になってしまう。
「そもそも、いまどき手書き原稿が読者の目に触れることなんてありません。広く一般に開放されている小説投稿サイトだって、画面上はすべて入力された文字です。新人賞はだいたいがメール応募可ですし、原稿を郵送する賞も手書きNGが要項に書かれていることが多いです。その原稿だって、部誌にするときはパソコンで文字を入力して印字します。原稿用紙なんて、誰も見ませんよ」
「私が読んでる。私が読むとわかっているなら、もっと読める字で書いても良いんじゃない?」
操は譲る気がないらしい。
直樹もまた渋面となり眼鏡のフレームを指で押し上げた。
「そういうマッチョな精神論で小説がうまくなると思っているなら部長は部長なんかやめてくださいよ。パワハラですか」
座っていた椅子の背にもたれかかり、操は腕を組んで遠くを見ながら「精神論かなぁ」と言った。
「たとえばサービス業に従事するにあたり『A.お客様が見ていないところでの手順は簡略化。そのほうが効率的だから』と『B.簡略化で稼げる時間などたかが知れている。それなら、きちんと手順を踏んで丁寧な行動を積み重ねるべきだ』という考え方があるとしたら、君はどちらが優れていると思う? もっと言えば、AとB、どちらを選ぶ?」
(なんだこれは。ひっかけ問題か? Bを選ばせたいんだろうけど、Aの考え方だって普通じゃないか?)
出題意図、裏の裏の裏の裏……たっぷり一分間ほど考えて、直樹は腹のさぐりあいを放棄した。
「Bが立派なことを言っているのはわかるけど、Aが現実的だと思います。お客様は従業員の『自分はきちんとやっている感』を押し付けられるより、単純に待たされない方が嬉しいんじゃないですか」
「ほほぅ。小説作法に関してはあれだけ『俺の考えた最強設定』の重要性を説く割に、いざお客様に料理を提供する段階になったら、『自己満足より効率』と言うのか、柏倉くんは。へえええええ」
煽られ
た。
「小説と料理は別だと思いますけど、百歩譲って何か通じるものがあるとしても、考えは変わりません。料理を作るときは手を抜きませんが、提供するときは効率重視であるべきです。それこそ手書きであれば気持ちが伝わるなんて考え方は時代錯誤です」
「それはさ、逆じゃないかと思うんだよね。私は今回、手書き原稿しか受け付けていない。『私』というこの小説の最初の読者に合わせることを考えたら、手書きの状態で最良の原稿を出せるように、もっと気を使っても良いんじゃないか? どうせ他の人が読むときには印字するとかじゃなくて、まず最初の読者を喜ばせる方法を考えてみようとは思わない?」
「だから、そういう精神論は……」
なんのこだわりなのか、と。
うんざりしたのを態度で示したかったが、食い下がられたせいで、引っ掛かりを覚えている。
(最初の読者に合わせた、最良の原稿……?)
「原稿用紙に限らず、WEB小説でも同じことは言えると私は思う。WEBでは行間を空けた方が慣例的に読みやすいとわかっていても、市販の書籍から乖離する形態に抵抗があって切り替えられない作者も結構いるよね。WEB小説に慣れた読者には読みにくくても『面白ければ読んでくれるはず』という謎の自信で、『自分の形式に合わせてもらう』ことに作者は固執してしまっているんだ。書籍は書籍。WEBはWEB。書籍になったときにはその形式に合わせればいいだけで、最初の読者がWEB上にいるならWEBに合わせるのは全然、折れたことにも信条を曲げたことにもならないと私は思う。だって、最初の読者が良いと思うかどうか、そこが小説のすべてでもあると思うんだ。そういった『読みやすい小説』はね、ある種の美意識から生まれるはず。つまり、読む人にとって目に優しくしたいとか。そう考えれば、自ずと原稿は、手書きでもWEBでも『見た目が綺麗』になるはず。見た目の綺麗さというのは実際に重要だよ。面白い小説は見た瞬間にわかる、って昔偉大な小説家が言ってた。まるでモーツァルトの楽譜のように、完成された見た目をしているものだって。そして、ひとたび完成された文章は、WEB・雑誌・書籍と媒体が変わってもその美しさを変わらずに維持しているんじゃないかと私は思う。疑うなら君の好きな小説を読み直してごらん。きっとそれは、文章だけではなく、見た目が綺麗だから」
口を挟まずに聞いていた直樹は、そこでほっと息を吐き出した。
「部長が俺より長台詞」
「ときにはそんなこともある」
差し戻しとなった原稿を受け取り、直樹はしげしげと見直した。
(たしかに、どうせパソコンで打ち出すときに見直すからと、誤字脱字もそのままだ……。効率を考えず、面倒がらずに見直せば、違う表現の方が良いと考え直して変更した文章もあるかもしれない。この作品ももっと面白くなったのかも……?)
一番最初の読者に向けて、手書き原稿でも綺麗に書く。結果的にそれが小説の内容をも変えていく。
「モーツァルトの楽譜か……見たことないな」
「音楽室に行けば何かしらあるんじゃないか」
さらっと返されて、直樹は操をちらりと見た。
「部長は好きな曲ありますか? モーツァルト」
「『マックの女子高生が言ってた構文』にこんなのがある。クラシック不人気について『だってベートーベンは全然新曲出ないじゃん』って」
「ベートーベンはひとまず置いておいて。モーツァルトで好きな曲ないんですか?」
訝しむ直樹に対して、操は顔をそむけてぼそりと言った。
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
「ありがとうございます。じゃあ、その曲みたいな小説書いてみます」
「べ、べつに私の好みの小説を書く必要はないからっ」
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