第2話


***2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448 (375a)***



「柏倉くん、君はいつもそんな風にガチガチに世界観もエピソードもキャラも全部固めてから小説を書き始めるわけ?」


 部室で美味しいお茶を飲むのは部活物の定番である。年代がかった湯沸かしポットとお茶のセットが隅に揃えられており、議論がヒートアップした場合は熱々の紅茶で休憩。

 お気に入りの猫キャラのマグカップを持ち込んでいる直樹と、「昔少女マンガで読んで以来どうしても憧れていたのでやらずにはいられない」と理科の実験用具のビーカーでお茶を飲む操。ビーカーに直接ティーバッグをいれた絵面が、とても美しいという。好みはひとそれぞれ。

 喧々諤々の議論を一度中断し、お茶で口を潤したところで、あらためて創作談義へ。


「俺は書く前に全部決めます。そうしないと、読者さんに不誠実だと考えています。地球で言えばどういう気候の地域で、育つ植物や生息する動物はどういう種類で、どんな家に住み、どんな食べ物を食べているか。文化レベルは何世紀くらいで、移動手段は何で、主要な産業は何か。言語にはどういったルーツがあり、その結果キャラのネーミングはどこの国に準じるか。人口は、国土の面積は、平均寿命は。たとえば地図帳やウィキペディアでイメージする国を開き、上から必要項目を確認して、モデルにする年代を調べて、面積や人口等あまり乖離しない数値を設定していく。そうすると、書きながら困ることが格段に減りますよね? 架空の地方都市が舞台でも、首都との距離を実在の都市と同じに設定しておけば『馬車で10日』等妥当な数値も調べてすぐに書けますし、『地方都市というわりに移動時間半日だなんて王都と激近では?』なんて疑問を抱かれる余地もなくなります。創作はそこまでやらなければ。すべて曖昧、適当、何も調べていないだなんて、小説を書く資格がありません。あ、このクッキー美味しい」


 お茶請けに用意されていたクッキーを食べた瞬間、直樹の意識はそちらに持っていかれてしまった。既製品らしい包装紙ではなく、赤と白のチェックのラッピング紙が、そのまま皿のように広げられている。


(どこのクッキーかと思ったけど、これもしかして手作りでは……!? いや、落ち着け。買ったものを包みなおしただけかもしれない。部長がまさかそんな手作り菓子が得意だなんて裏設定は……)


 ひそかに動揺する直樹をよそに、「そうだねぇ」と操が口を挟む。


「異世界が舞台で、この世界とは違う要素が明確にあるときは、厳密に設定してもずれてくることはあるよね。魔法が存在していて、社会に組み込まれていたら、それだけで文明の発展も人間の考え方も違ってくるはず。瞬間移動が可能なら、『魔法の連続使用をすることで長距離でも半日で移動可能』は全然アリだし。しかも、これが一般的な魔法だった場合、世界中の街道がほとんど整備されていないかもしれない。どんなに戸締まりしても意味がなければ、家の構造も変わってくるし、プライバシーという概念も無いかも。そこまでの世界は想像しにくいし、世界観の説明がストーリーを食ってしまうから、もし瞬間移動が存在している設定でも『一部の魔法使いにしか使えない』等の制約を設けて現実世界と著しく違わないイメージに近づけたりするよね? 近づけても、現実には存在しない手段が存在するだけで、そこはすでに異世界だよ。自分が世界の創造主であっても、その世界には自分の知らない部分があるのも不思議じゃない。だいたい、私たちは自分たちが住むこの世界だって、すべてを説明できるわけじゃない。いまだに未知の部分だってたくさんある」


「創造主が世界を把握していないだなんて、そんな無責任なことありますか! クッキー噴きそうになりましたよ、もったいない!」


 激しく咀嚼して飲み込み、すかさず操の発言につっこんでから、直樹はクッキーの残数を目視で確認。6枚。話に夢中になって食べそびれないよう手元に確保したい気持ちをなんとか抑えて、操に対して切々と訴えかけた。


「小説で、人間を書くとして、ですよ。ある程度この世界の人間と同じ存在として書くなら、脳や心臓は致命傷になるだとか、出血多量であれば死ぬとか、そういった仕組みは敢えて大幅に変えないですよね? つまり『その世界の人間の心臓は足にあるから胸を撃たれても大丈夫』などと設定しないのであれば、この世界での常識を適用しますよね? この世界の常識に寄りかかるつもりなら、そこを真剣に調べてから書くべきなんです。人体や物理法則にしてもそうですし、言葉であっても地名や人名をフランス語寄りにすると決めたならフランス語読みのレオナールとスペイン語読みのレオナルドが同国人で別キャラとして出ているのはどうかと思います。読者はフランス語なんてわからない、なんてことは絶対に無いです。わかっていて、気になるひとだってたくさんいます。むしろわかっていないの作者だけ、みたいな。そういう読者さんに、余計なところに気を取られないで作品を読んでもらうためには、作者は自分が書くことについて物知りであるべきだし、つっこみどころは潰しておきましょうって話ですよ。世界観はゆるふわです、魔法があるからなんでもオッケー★じゃないですよ!! そのなんでもってなんですか!?」


 ビーカー紅茶を机に置いた操は「あ~、ゆるふわ」と独り言のように呟いて、うんうんと頷いた。


「男爵が公爵にタメ口なんてありえないとか、王子妃に対して名誉毀損どころか暗殺未遂したのに笑っておしまいとか、そこはさすがに『世界観はゆるふわです』で済ませられないよ~。貴族社会について書いているなら、少しくらいは貴族制度について調べてから書こう、みたいな話?」


「それはそうです! お姫様が女子高生みたいなノリで城から一人で抜け出して森で狼獣人に襲われて番認定されてエロ展開になだれこむとかあれはなんですか!? 狼×ヒロインが森で☓☓ならもうお姫様じゃなくて赤ずきんでいいじゃないですか! いやそもそも赤ずきんは☓☓なんかしないですけどね? そもそも俺の赤ずきんにエロ展開とかありえない」


 立ち上がって力説してから、ハッと直樹は息を呑んだ。操は、ことここに至って、表情をほとんど動かさずに厳粛な面持ちで頷いてから口を開いた。


「柏倉くん。『君もしかして高校一年生にして十八禁的な話してるんじゃないかな?』なんてお姉さんそこは深く追求しないでおいてあげるけど、次は黙認できない。ついでに、お姫様の話をしたいのか赤ずきんの話をしたいのかよくわからなかったけど、そこも含めて童話赤ずきんを大切に思っている気持ちもわかった。それはそれ、創作は創作。落ち着いて。クッキーどうぞ、全部食べて良いから」


 すっと着席して咳払いをし「すみません」と謝罪をしてから、直樹はクッキーに手を伸ばした。

 いただきますと厳かに宣言し、すべて美味しく頂いた。

 そのあげく、気になったのでやっぱり確認した。「これ手作りですか?」と。

 返事はなかったが、さっと操の頬が染まった。それを見て、直樹も言葉を詰まらせた。

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