モーツァルトの楽譜~松風高校文芸部創作ノート~

有沢真尋

第1話

 良い原稿というのは、見た目からして違う。

 目にした瞬間、音が聞こえてくる。

 まるで、モーツァルトの楽譜のように。

 文字の一つひとつが旋律となり、メロディーが鳴り響く。

 綺麗なんだ。



***ピアノソナタ第11番第3楽章 トルコ行進曲***



「冒頭から四千字、不要。短編なのに、いつまでも話が始まらない。このダラダラした説明は本当に必要? 読者は説明文じゃなくて小説を読みに来ているんです。短編小説の作法は『最初に死体』そこから何が始まるのか? であって、綺麗な夕日が沈む光景をえんえんと冒頭百字も二百字も書いていても仕方ない。二百字って、四百字詰め原稿用紙の半分だよ、半分。半分かけて夕日沈んだ後に、河原で風に吹かれて前世の記憶が浮かんできたり画面が切り替わって突然の土砂降りでトラックにひかれそうになる猫がいて死ぬ気でかばったら異世界転生? もうこの頃になると読者、夕日なんだったんだ。なんであの二百字読まされたのかさっぱりわからん。河原で『でもこの風泣いています』って言って思い出した前世なんだったんだなんでそこからあっさり死んで転生する!? だいたい夕日の直後の天候の変化が急転直下すぎて夕日か土砂降りかどっちかで良かったよね? って気が散って内容頭に入ってこなくなってるから。絶対。ぜーーーーったい!」


 放課後、西日差し込む高校の文芸部部室にて。

 由緒正しき手書きの「四百字詰め原稿用紙」を握りしめ、草野操くさのみさおは力説した。

 その手の中でぐしゃっと皺の寄った原稿用紙を立ったまま見下ろして、柏倉直樹かしくらなおきは口元を歪め、眼鏡のフレームを指で押し上げる。


「必要のないものなんて無い。部長は本当に、小説をわかっていない。たとえ人類が滅んでも夕日は沈むものだし、土砂降りくらいの理由がなければトラックはそうそう事故を起こさない。現世で前世を思い出したからこそ、異世界転生という異常事態もすんなり受け入れられる。すべての因果関係を理路整然と説明しただけです。それのどこが間違えていると?」


 途端、操はばんばん、と机を手で叩いて立ち上がる。動作がいちいち大仰で、直樹は眉をしかめた。

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と形容されて然るべき美少女であるのに、小説作法について語る操は鬼の形相で、何もかも形無しなのである。


(ところで「立てば芍薬~」は生薬の薬効からきている言葉という説があったはず。気が立っている女性には芍薬、座りがちな女性には牡丹……)


 当該会話と無関係なことを考える直樹をよそに、操は力強く直樹の言葉を否定した。


「ブブー、柏倉くんは、一切合切全部間違えてます!! トラックに轢かれて異世界転生する話を始めたいなら、そこから始めればいいだけ! 夕日が沈むだなんていまさら説明しなくても良いし、活用するあてがないなら現世に対しての前世も必要もない! そういう『これは必要だと思う』という説明は、大体作者の思い込み、すなわち独りよがりと言います!! 世の中になんでテンプレートというものが存在しているか、柏倉くんは考えてみたことがありますか!?」


1,トラックに轢かれる(前方不注意等の本人責任より、「ブラックな労働環境からくる過労で朦朧としていた」=過酷な環境や職務を投げ出せない真面目な性格、「子どもや小動物を救おうとして犠牲になった」=向こう見ずなほどの自己犠牲的正義感等、現世を離れても戻りたいと強く願わない心理状態に至るエピソードや、キャラに好感を持てる描写があるのが望ましい)


2,謎空間で超越的な存在に出会い、自分が死んだことを知る。異世界に転生するにあたり、チート的なスキルを付与される。


3,異世界到着。ストーリーが動き出す。スキル+前世の知識で開墾や内政に精を出すもよし、魔法学院などで才能を開花させるも良し、ギルドに登録して冒険者になるも良し。


4,君だけの物語を(๑•̀ㅂ•́)و✧


「テンプレート、すなわちお約束! 訓練された読者の多くはすでにこういった物語の流れについて蓄積があります! ゆえに、くどくどしく状況説明をしたり、異世界転生と前世の記憶とは何かという前段階から『俺の考えた最強設定』を書いていく必要はありません! むしろ共有されている『前提』を最大限利用しつつ、説明が必要になる独自設定の部分だけ、必要なタイミングで随時開示していく。最初に全部説明しようと意気込まず、あくまで『必要になったタイミング』で、です。極端な話、必要になるまでは明確に定義していなくても小説そのものは書けるのです! これはハリウッドの有名なストーリー作成の手法にもあり……」


 直樹は、そこで腕を組み、聞こえよがしなため息で操の発言を遮った。

 眼鏡を光らせて、操を正面から見て無表情に告げる。


「はい、部長、ダウト。それは素人が陥りがちなミス! ハリウッドとか言っても騙されません。設定あやふや、プロット作らず見切り発車、小説を書きながら考えるから、いざ書こうとして何時間かけてもいっこうに文字数が増えない! これぞすべてエターナルへの序曲!! エターナル、すなわちWEB投稿小説などで『エタ』と呼ばれ、一部の読者さんからは蛇蝎のごとく嫌われる作者の姿勢のことを言います。広げた風呂敷をたためない! そもそもたたみ方なんて考えていなかったから広げるだけ広げてしまっただけ! 後は知らん! こうして冒頭だけ生み出されては放置されていく数多の物語たち……。それもこれも作者が『完結』を見据えて小説を書き始めないからです! エタを憎む読者とエタられた物語のキャラたちの憎悪を部長は思い知るべきです!!」


 ここぞとばかりに盛大な断罪めいた言いがかりを披露した直樹に対し、操は「すん」と鼻を鳴らしてそっけなく告げた。


「わかった、一度お茶にしよう」


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