健児
埃と紫煙が漂う部屋、足元には空や中途半端に中身が残ったペットボトル、食べかけのスーパーやコンビニ弁当、パンの袋等が散らばり足の踏み場も無い。
覚醒剤に侵される前の健児は綺麗好きで、部屋は日々自らの手により掃除、整理整頓がなされていた。
薬の効果がある間は感じる事の無い自己嫌悪や後悔が襲いかかる。
鏡に映る自分の姿は以前とまるで別人だった。
土気色の肌は荒れ、頭髪は薄くなり、ガリガリに痩せこけ、未だ三十代半ばの彼は既に六十代に見える。
覚醒剤をやる前から、自分は冴えなかった。それでも今の姿よりは随分マシだった。
あの頃から健児は自分の事が大嫌いで、劣等感の塊だった。
しかし今は、その「あの頃の自分」がとても輝かしく思える。それくらい自分は落ちた人間になってしまった。
あの頃に戻りたい、今目の前にあるパケの残りを捨てれば戻る事ができる。
しかしそれ以上にシャブが欲しくてたまらない。シャブの誘惑は理性や意思の強さなどで退けられるものではない。病院で治療を受けねばならないのだ。
しかし病院へ行ったところで治るのだろうか?
小説で読んだ事がある。重度の中毒患者を治療できる病院など無い、と。
そういう患者は病院で薬漬けにされ収容される。
それに覚醒剤を使った事は犯罪だ。さすがに仕事も首になり、父や弟の知るところにもなる。
それくらいなら、これまで通り覚醒剤に頼って生きた方がマシな気がした。
自己嫌悪に苛まれながら、健児は巻いた千円札で煙を吸った。
心が晴々とし、勇気や希望がわいた。
散らかる部屋も、醜い自分の肉体も気にならない。
やはりシャブは素晴らしい、これをやめるなど愚の骨頂だ。
「その通りじゃ、しかしお前はこれまでその素晴らしさを一人占めしておった。」
目の前に佇む天皇陛下が自分に語りかける。
その通りだった、高価なシャブの量を減らしたくなくて、自分はずっと美保に黙って味わっていた…美保はあれほど自分に尽くしてくれたのに、なんて申し訳ない事をしていたのだ。
「陛下…返す言葉もありません…俺は…まるで自分の事しか考えていなかった…」
健児は涙を流し、後悔した。
「悔い改めなさい、そうすれば許される。」
イエス・キリストが現れ、柔和な笑顔で健児に語りかけた。
玄関の鍵が開く音がした。美保が帰ってきたのだ。
美保、すまなかった。これからは共にこの素晴らしいシャブを使おう。
金はお前が稼いでくれる、俺の毎月の給料で手に入る量も合わせれば何とかなるさ。
疲れた顔で目の前に現れた美保は、顔を上げて驚いた顔をしている。
「美保、今まですまなかった。これからはお前も一緒だ。」
健児は爛々と輝く目で美保に微笑み、手を伸ばした。
「…けんちゃん!」
美保は感嘆の声をあげ、走り寄り手を取った。
潤んだ目で微笑んでいる。
彼女は健児が自分に何をするつもりなのか、よく分かっていない。
ただ、微笑み優しい言葉をかけてくれた事が嬉しかった。
仕事では酷い扱いを受け、最近は健児からの当たりもきつかった。彼女の世界は地獄だった。
そんな中久しぶりに優しい扱いを受け、美保はもはや何も考えずその優しさに縋る事しか考えられなかった。
その先が破滅だなどと考える余裕も無かったのだ。
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