8章

「ナツ先輩のさ、お見舞いとか、行くべきかな?」

そういうマルは探偵みたいに、顎に手を当てている。


昼休み、2年女子短距離メンバー3人は、私の机に集まって緊急会議を開催中。話題はもちろんナツ先輩だった。雨の日の昼休みは、普段は校庭に出るクラスメイトも教室内にいるから、いつもよりずっと騒がしい。


「うーん。かえって迷惑なんじゃない? 本当に入院してるならともかく、異常なしで自宅で安静に…ってことなんでしょ?」

隣の席から拝借した椅子に座ったミャーは、指に挟んだシャープペンをずっとくるくる回している。彼女曰く、凄く簡単な割には心が落ち着くらしい。

「やっぱそうだよね…。ムダに大げさになっちゃうか。ユリはどう思う?」

「うん、私もお見舞いまではいかなくも大丈夫だと思う。山橋の話じゃ、月曜日には学校に来るみたいだし」

今日は木曜日なので、来週に復帰するなら、明日も入れて欠席日数は2日。倒れたにしては短い療養期間だ。それでも本当にお見舞いが必要なら、3年生たちが行くだろう。

「メッセージ送っておくだけでもいいんじゃないかな。先輩も、今はぴんぴんしているかもしれないし」

「そだね。んじゃあお見舞いはナシで。…ところでさ…」

マルが机に手をついて乗り出す。これからが本題なのかもしれない。


「ユリとミャーは知ってた? ナツ先輩、ずっと自主練してたらしいよ。普通の練習の他に」

重大発表じみた雰囲気でマルは話すが、陸上部員のほとんどが知っているウワサ話だ。

「マル。その話、有名」

ミャーのペン回しが加速する。

「いやいや、違うって! ウワサが単なるウワサじゃなくて、マジだったって話」

マルがミャーの手首をぎゅっと握りしめ、ペンを回す指を強引に止めて話をつづけた。

「なんかさ、公園で腿上げとスキップとか、近所で坂ダッシュとか、本当にやってたんだって。ヤバくない? 最近、ただでさえ練習キツイのにさ。そりゃ倒れるって」

確かに、大会前で気持ちが高まるのはわかるが、それにしてもやりすぎだと思う。実際、こうしてダウンしてしまったんだから。

山橋は自分の監督責任だと言っていたが、そもそも監督しようがないところで、先輩は自分を追い込んでいた。

「まぁ先輩たちは引退試合だし…気持ちはわかるよ。私はやらないけど。マル、手、放して。暑い」

マルは放すどころか、いたずらっぽく、両手でミャーの手首を包み込んだ。

「いや私もさ、中学最後だから頑張りたいってのはわかるよ。でもさ、ナツ先輩、今でも十分速いじゃん。春の大会じゃ楽勝だったし…。普段の練習だけで十分じゃない?」

マルの言う通り、普段の練習が不足しているとは思えない。倒れたあの日だって、キツいメニューだった。いかにナツ先輩とはいえ、余力を残すことはできないだろう。


まさか、世界でも目指しているんだろうか。先輩は速い。だがそれはあくまで市内のレベルで、全国、ジュニアオリンピックまで視野に入れて話せば、さすがにその域ではない。そこにたどり着こうとしているんだろうか。そうでもなければ、倒れるまで走る理由が、私には思いつかない。


「…なんで、そんなに頑張るのかな。勝てば嬉しいだろうけど、嬉しいだけだよね。お金貰えるわけじゃないしさ」

「うーん…。思い出作り…とか。ミャーはどう思う?」

「シンプルに、勝ちたいだけなんじゃない? 嬉しいだけでも良いし、あとは、負けたら悔しいし…」

思い出。嬉しい。本当にそうだろうか。それだけで人は、倒れるまで走ることができるんだろうか。だとしたら、私にはわからない。ナツ先輩は、明るい場所でなく、暗くて、深い穴の底へ潜ろうとしているようにしか、私には見えない。


だって、そうまでして走って、一体何がある?


ふいに聞こえた予鈴が、私の暗い考えを打ち切った。

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