38話 神の思惑

(目の前が真っ暗だ。何も見えない)


「――――――マ!」


(誰かの、呼ぶ声がする。俺は今まで何をしていたんだっけ……)


「――ユーマ!」

「っ!」

 ユイの呼ぶ声で、ユーマは飛び起きた。


「ここは……」

 ユイがとなりで安心したように一息つく。ユーマは混乱している頭を整理しようと、深呼吸をする。そして、あたりを見回した。


 ユーマが気を失っていたのは畳の上だった。そして目の前に、料理がのった膳が置いてあり、その左にはぼんぼりが明かりを灯しているが、蝋燭ではなく、青白い玉が光を放つ。


 ユーマの斜め後ろにジンが仁王立ちして、こちらを監視している。

 ずいぶんと地下にあるらしく、天井が見えない。畳のある円形のこの場所の外は大きな柵を隔て、ごつごつとした地面が奥へと広がっている。この場所だけが異様に整えられていた。


 ひたひた、と遠くで不気味な何かが歩く音が聞こえる。吐いた息は白く空気を濁らせた。ぞっとするような冷気。そして。


「ここが『幽世』で……あなたが、ここの主ですか?」


 ユーマの前にいる女性は、時代劇で出てくるような十二単の服装をしていた。長い黒髪を垂らし、整った顔立ちをしているが――どこか掴みどころがない。日本人の顔のパーツを重ねて平均をとったような、どこにでもいそうな顔のせいか、不思議と親近感がわいてくる。


 その女性は満面の笑みを見せた。

「はい。ここは幽世の下層。そして私は黄泉の神、イザナミです」

 ユーマとユイは思わず息を呑む。ユイが読んだ「無角」の歴史書に書いてあった、幽世の主宰神――「幻影の扉」を閉じるという使命の、原因。


「本当に……存在したとはね」

 イザナミは、ぱんっと手を叩いた。


「積もる話があるかとは思いますが、まずは食事としましょう! 千年ぶりの来客でしたから、豪華にしたんです! きっとお口に合うと思いますよ?」


 目の前に並んだ食器が、カタカタと揺れる。


「神様、俺らはこんな話をするためにここに来たわけじゃないんです。今もあっちではみんなが危険な目にあってる……のんびりしている暇はありません」


 イザナミは口元を隠す。

「そうでしたね……! 私としたことが、久々に生者と話すからといって浮かれすぎてしまいました。なにせ、私の知識が千年前で止まっているもので……幽鬼は私に意見を言えるようには作られていないのです。だからつい知的好奇心が芽生えてしまいました、ふふふっ」


 神という存在、そしてこの状況にそぐわない語り口調。ユーマは違和感を覚えた。


「それで、どうしてここに俺たちを連れてくるよう言ったんですか」


 イザナミは笑顔を崩さず言った。

「私のお願いは一つです。私に協力してくださいませんか?」

「協力……?」


「もちろん、タダでとは言いません。そうですね……お二人が死ぬということはありませんし、お二人の大事なお仲間も、殺さずに今すぐ幽鬼を下がらせましょう。幽鬼は私の眷属ですから、命令を出すことは容易です」


 ユーマは眉をひそめる。誰も死なずに使命を終わらせることができる提案を、敵側からされるとは思いもよらなかった。


「協力内容というのは?」

 ユイが落ち着いた声で言う。


「天上の神々を滅ぼします。それには、お二人の能力が必要なのでス」

「……は?」

 イザナミは咳払いをする。


「私が遥か昔から願っていたことです。今までは『無角』によって扉を閉じられ阻まれてきましたが……考えてみれば、おかしなことなのです。『無角』は神々が私を閉じ込めたいがために、犠牲になるわけでしょう? それなら、その神々がいなくなってしまえば……あなたたちは命を落とす必要がありません。お互いの利害は一致しているとは思いませんか?」


 ユーマとユイは黙り込む。ただただ、戸惑っていた。

「お二人『無角』の持つ『精神消去』、『物質消去』の能力は、単なる幽鬼を除去するための力ではありません。死とは違った、存在を消すその力は、神々をも消すことができるのです」


「……それが、神を殺すことが、あなたの願い?」

「はい、わかっていただけましたか?」

 イザナミは愛嬌のある笑顔を向けた。


 ユーマは口に手をあて、考える。神を滅ぼすかということは置いとくとして、今この状況をどうにかするということなら、及第点といったところだろうか。


「もう少し、詳しく教えていただくことはできますか? どういう戦略があるのかとか――」

「おい、ユーマ」

 後ろからジンが割り込んできた。


「状況をわかってないようだが、お前らが断ることができると思っているの――――」



 その瞬間、である。ジンの姿が消えた。



「…………⁉」


「まったく、蛆虫ごときガ――――」


 イザナミの言葉に、ユーマは背筋が寒くなった。今までとは打って変わって、親しみやすい雰囲気は消え、冷酷な表情に変貌していた。


 しかし、すぐにイザナミの顔はもとの愛嬌のある表情に戻った。

「私の眷属が失礼なことを言いましたね、ごめんなさい。私、お二人とは仲良くなりたいんです。久々のお話し相手ですし……納得して私に協力してもらいたくて。だから、質問していただいても構いません」


 すると、イザナミはパチンと指を鳴らした。


 轟音とともに、ユーマとイザナミの間の地面が畳を破って、直方体の形で肩の位置まで隆起する。上部がふたのようになっていた。

 

 まるで棺桶だ。


 イザナミが指を振ると、ふたが開いた。ユーマとユイは立ち上がって中を覗くと、白装束を着た四人の女性が横になっていた。


「本当に棺桶かよ……!」

「そうですね、この方たちはすでに死んでいます。魂は、こちらに」


 イザナミは両隣にあるぼんぼりを優しい手つきで撫でる。ユイとユーマのそばにもあるぼんぼりも併せて、四つの青白い光はこの人たちの魂だった。ユーマがぼんぼりに触れようとすると、静電気が起こったみたいにユーマの手に痛みが走った。


「気を付けてくださいね。他人の魂に触ることは人にはできませんので」


「…………この人たちはどなたですか」


「これまでの『無角』ですよ。幽鬼にするために私の力を与えると『無角』の能力を失ってしまうので、こうして肉体と魂を切り離して保存しています」


「私たちの、先祖ってことね」


 ユイが四人の女性の顔に触れる。千年以上の長い時の経過のせいか、あまり顔立ちはユイやユーマに似ていなかった。


「私たちを含めて六人……それで、神々を倒せるって言うの?」

 イザナミは首を横にふる。

「難しいでしょうね。ですから、現世の人間たちも戦力に加える必要があります。そのためには……まず神々と戦う前に人間を滅ぼそうと思いマス」


「なっ……!」

 ユーマは目を見開き、イザナミを見た。当の本人は不思議そうに首を傾げている。


「超常人にもなれない人間を兵隊として使うには殺して幽鬼にしてしまうのが一番手っ取り早いのですよ。私に反抗することもなくなるし……超常人でも反抗してくるようなら殺してしまいましょうか。もちろん、お二人のお仲間は除きますから、そこはご安心を」


 屈託のない笑顔に、ユーマは鳥肌が立った。



 神と人間では、ここまで命の重さが違うのか。



「そんなこと、私たちが納得するとでも?」


 ユイは冷静な口調で話すが――ユーマからは、ユイの手が震えているのが見えた。


「お二人に関係のない人間を殺すだけですよ、それに何の問題が? 人は皆、知らない人間がどうなろうと何とも思わないではないですか」


 イザナミは困ったような顔をしている。


 否定されたことが予想外だったみたいに。


 ユーマは拳を握りしめ、ユイを見る。それとほぼ同時にユイもユーマの方を見る。目が一瞬合うと、ユイとユーマはイザナミの方に視線を戻した。

 答えは決まった。あと必要なのは、戦力と、運だ。ユーマの心は不思議にも落ち着いていた。




「人がどうだとか、俺はわからない。別に人の代表としてここにいるわけじゃないし……ただ、俺たちが目指す未来に、人間を滅ぼす選択肢はない。それだけです」


「……考え直していただくことは、できませんか? お二人とは友好的にいたくて……」


「俺たちの力は神を殺せると言っていましたよね。それなら、あなたも例外ではないってことでしょ?」


「試してみますか?」


 ユーマとイザナミの視線が交差する。


 刹那の静寂があたりに広がった直後、ユーマは目の前の棺桶を飛び越え、左手をイザナミへ突きつけた。


 ――しかし、イザナミの顔を覆うように広げたその手はイザナミに届くことなく、鼻先で止まる。


 透明の壁に阻まれたように、それ以上近づくことができないでいる。ユーマは左手に力をこめるが、震えるばかりで前に押し出せない。


 ユーマの目の前で、イザナミがふふっと嘲笑った。

「もう一度言います。考え直していただくことはできませんか」


 ユーマはイザナミの視界を塞ぐように立っていた。今、イザナミは後ろの様子を見ることはできない。隠すためにユーマはその場を動かないでいた。





「…………嫌だね!」


「――――――!」


 突然、イザナミの身体の周りに電流が走ると、それを避けるようにイザナミは大きく後ろへ下がった。


「これは、驚きましたね」


 ユーマの背後に、二人の白装束の女性が立っていた。つい今まで眠っていたユーマとユイの先祖――「無角」だ。

「そのぼんぼりは私か、魂の本人でないと中身を取り出せないようになっているはずですけど、これはどういう仕組みでしょうか」


 新たに二人の「無角」が棺桶から起き上がると、うつらうつらとした様子で、イザナミが座っていた場所あったぼんぼりから魂を取り出した。そして、その魂を胸にあてるとゆっくり身体の中へと沈みこむ。完全に入り込む直前にユイがその二人の背中に触れ、直後、意識が覚醒したかのように、目の色が変わりイザナミを見据えた。


「ナイスだ、ユイ」

「どうやら、イザナミ、あなたも『精神消去』の応用を知らなかったようね。嬉しいわ」


「応用……? よくわかりませんが、まあ良いでしょう。それで、私たちはもうわかりあうことはできないということでよろしいでしょうか。特に、あなたたち」


 イザナミは覚醒した四人に向けて言った。

「永遠とも思える時間、魂という不安定な状態でいたのです。とても辛かったでしょう。私に従ってさえくださるのなら、もう身体と魂を切り離したりはしません」


 ユーマは冷汗をかく。ここで先祖の人たちがイザナミの側についてしまうようであれば、もう手の打ちようがなかった。


 たった今覚醒した先祖の一人が一歩前へ踏み出した。右手に五芒星――ユイの先祖だ。その堂々とした立ち姿、凛とした瞳には威厳が感じられた。


「魂の状態で今までの会話を聞いていた。その上で、言わせてもらうとすれば――何もかもが自分の思い通りに動くと思うその傲りが、あなたの敗因だ、イザナミ」


 その言葉にイザナミは虚をつかれたように固まった。

「敗、因。ハイイン。ふふ、フフフフフフフフフフフフ」

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