31話 炎の中

 その瞬間。夕日のような真っ赤の炎が窓の奥で一面に広がった。


「なんで――――――」


 ユーマは咄嗟に止めさせるために家に入ろうと一歩を踏み出す。


しかし、そこで逡巡した。昔の自分が後ろから心配そうに見つめている気がした。このまま黙って見ていようと訴えかけてくる。



(何を言ってやがる!)



 逃げないと決めた。逃げないと約束した。変わると決めた。変わると約束した。


 誰かのために傷つく覚悟は、できている。


 ユーマは勢いよく玄関の扉を開けた。暗いはずの廊下は、赤く照らされていた。二階だけでなく階段まで侵食されていて、燃え盛る炎が埋め尽くしている。熱風がユーマを襲ってくる。


 その不気味な炎の光を背に、魔女のユイが立っていた。


 魔女のユイはこちらをにらむと、そっぽを向いて左側の部屋に入っていった。意識の一部が移されただけだからか、表情はあるが言葉は話さず、命令されたとおりに動くだけのロボットみたいだ。


 ユーマはその部屋の入口に立つ。そこはリビングになっていて広い場所だった。


 目に飛び込んできたのは、尻もちをついて怯えた顔をしているユイの母親、そしてそれを無表情で見下ろすユイ。切迫した状況に息を呑む。


 ユイがユーマに気づき、こちらを見た。結んでいた髪がほどけて顔にかかり、妖しい雰囲気を醸し出していた。


「待っていてって言ったのに。どうして来たの」


 ユイの母親もユーマの存在を認識すると、助けを懇願するように見つめてくる。ユーマはゆっくりと前へ出て、ユイに近づく。距離は二メートル。


「こんなことはやめろよ、ユイ」


「やめる? どうして。これが私の目的なのに」


「こんなことをしても、意味がないからだ」


 すると、ユイはくすくすと笑った。


「意味がない、か。ねえユーマ。今さらなんだけど、私、昔母親にね……」

 虐待されていたの。


「知ってたよね?」ユイは微笑みながら言う。


 気まずくて顔を上げられずにいた。罪悪感が再び襲いかかって来る。知っている。けれど、何も知らないふりをしていたんだ。


 答えられずにいると、ユイは天を仰ぐ。静寂がユーマを孤独にさせた。


「私の予想通りだったみたいね。ユーマは私が虐待されていたことを知って、それで避けてた。そしてユーマのことだから、それを今でも後悔しているんじゃないかって考えていたの。でも、気にすることない。恨んでないし、逆の立場でもユーマと同じことをしたと思う」


 気休めにもならなかった。 

 もし逆の立場だったらユイは絶対に助けてくれたに違いない。


「私が許せないのはこいつ。だから殺す……骨も残さない」


 ユイは地べたで這う母親を蔑むように見る。獲物を狙うかのようなユイの瞳の光が一層際立っていた。ゾッと寒気が背中をはしる。


「私は初めてミオと出会った時、これは神様がくれた贈り物だと思ったの。こんな力をもらえるなんて、あの時、暗闇にいた私に光が差し込んだ」


 ユイが話している時、ユーマの後ろ、リビングの扉の横でおとなしくしていた魔女のユイが炎を生み出した。だんだんとリビングも炎にのまれ始める。熱風が巻き起こり、気温が一気に上昇する。


 炎を出し切ると、魔女のユイが本体であるユイに近づいた。ユイが軽く右手で触れると、糸が切れた人形のように後ろに倒れる。


「この力があれば復讐できる。全てを壊して、辛かったことをようやく忘れられる」


 ユイは不敵な笑みを浮かべ、そう言った。


(全てを壊してしまえ)

 あの幻影の自分を思い出す。不気味な笑みを浮かべ、ユーマに問いかけていた。聞きたくもない言葉を、平然と言ってくる。思い出すだけでも背筋が凍りそうだ。


 焦げたにおいが鼻につく。パチパチ、火が燃えている音が近い。ユイの瞳に炎が映ってギラギラ光る。


 ユイは母親を睨みつけた。嫌な予感がした。


「私はね……別に死んだって構わない。これでやっと、私の願いが叶うんだから!」


 その瞬間、ユイは右手を振り上げた。明らかな殺意が、そこにはあった。


「……!」


 ユーマは咄嗟に動く。


 ユイの右手が母親の鼻先の触――間一髪、ユーマが滑り込みユイの母親を突き飛ばす。

 ユイの母親は勢いよく壁にぶつかると、小さくうめき声をあげ、そのまま気絶してぐったりと倒れた。

 ユーマは円を描くように身体を回転させ、ユイの母親を背に守るように立つ。



 ユイは口を歪ませる。炎を背にしてユイの姿は黒くかげっている。


「どうして、邪魔をするの? いくらユーマでも、怒るよ」


「それでユイの気が収まるんなら、怒ってくれて構わないよ。……なあ、ユイがしたかったことは、こんなことだったのか?」


 ユーマには、ユイの姿が、ひどく苦しんでいるようにしか見えなかった。

「こんなこと? そいつが私にしてきたことに比べたら、些細なことよ。誰かに殺されるより、自分で死にたくなるのが、どれだけ辛いか」


 ユイは拳を握りしめる。ユーマは言い返せなかった。ユイの辛さは想像できることではない。


「理由はそれだけじゃない。私とユーマがこのまま死んで世界が救われたとして、それなのに、こんなやつがのうのうと生きているなんて、考えたくもない……! だから、復讐するの。そして悪い夢から解き放たれて、ようやく私は世界のために死ぬ覚悟ができる。辛い人生だったけど最期くらい人の役に立ってもバチは当たらないでしょう?」


 ユイは長い黒髪をなびかせ、心の底から叫ぶ。言葉の刃はユイ自身をも傷つけていた。

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