30話 過去
ほんの一瞬の暗闇を目の当たりにした直後、懐かしい風景が飛び込んできた。空間移動した先は、かつてエリと初めて出会った公園だった。
周りには誰もおらず、遊具が寂し気に場所を埋めている。陽は沈みかけていて、公園には橙色の光が差し込み、木々の陰をつくっている。
ユーマが感傷的な気分でいると、後ろでソーマがスーツケースのなかに手を突っ込んで、ごそごそと何かを引っ張り出そうとしていた。
そして出てきたのは人だった。いや――ツノが三本あるのが見えるからこれは幽鬼だろう。真っ黒のローブを着た魔女のような姿をしている。気を失っているのか、目を瞑って動かない。
「なんでそんなもの持ってきてるんですか……」
「ユイ様ご自身の身体で外に出てもし万が一のことがあったときのために、普段はユイ様が外出する際にはこの幽鬼の身体を使うのです」
ユーマはユイの能力を思い出す。「精神消去」、対象は生物に限定されるが相手の魂を吸収して、人間を肉体だけの空っぽにする力。
さらにその応用でその空っぽに自分の意識の一部を移すことで身体を乗っ取ることができる。
「ケンタに会ったときはその身体を使ってたのか?」
ユイは右手で魔女の身体に触れる。すると、魔女は目をゆっくりと開き立ち上がった。ユイと魔女。二人いるのに、同じ魂。
「そうよ。この身体じゃないと人間を超常人にすることはできないし」
ユイは誇らしげに言った。姿は違うけれどユイに似た雰囲気を感じる。
ユイはおもむろに、一回深呼吸をした。
「それじゃあ、行こっか。ソーマは悪いけどここで待っていてもらえる?」
「かしこまりました」
ソーマは深々と礼をする。
ユイはソーマに微笑むと、前を向いて歩き始めた。それに魔女のユイがついていくので、ユーマもあわてて後を追う。ユイはそのまま振り返らず、どんどん先へ進み、公園の外に出る。
「公園に用があるわけじゃないのか?」
「…………」
ユイは黙ったまま歩いている。魔女のユイもこちらを向こうともしない。聞こえないはずもないのだが。
「なあ、ユ……」
ユイ、とユーマはもう一度声をかけようとしたが、すぐに声を引っ込ませた。
一瞬見えた顔は、さっきとは打って変わって笑みは消え、見たこともない険悪な様子で前を見据えていた。ユーマは身震いをして、ユイを心配するように見つめながら後ろをついていく。
少し歩くと、見覚えのある交差点に来た。かつての通学路だ。ユイは赤色の信号を気にせず、横断歩道を渡る。三つの影が左に長く伸びる。
ユーマは信号機をジッと見つめた。ここの横断歩道は授業開始十分前に学校へ着くように家を出ると、いつも青だった。そういう規則性があるんだろう。時間をずらさない限り、信号がその時間に赤になることはなかった。
懐かしむようにあたりを見回す。いつも渡っていた交差点、少し錆びた信号機。均等に置かれた街灯。前にあった壁の落書きは綺麗に消されている。なんでもない風景が愛おしく感じた。
そこで、気が付いた。
(ああ、そうか。この道の先は……)
そして、ついに。ユイの家に着いた。その向かい側にはユーマの家がある。
つい数か月程まで、くだらないことに悩みながらもただ普通の生活をしていた家。ユーマは思わず感情が込みあがっていた。涙が出そうになる目を、必死に手で押さえる。まだ泣いてはいけないと、ユーマは自分に言い聞かせる。
いつか、ここに戻ってこられる日がくるまでは、まだ。
ユイも自分の家を一瞬見上げると、公園を出てから初めてユーマの方を見た。
「ユーマは、ここで待っていてくれない? すぐ終わるからさ」
迷った。嫌な予感が脳裏をよぎったからだ。
「俺も一緒に行く」
「ダメ。これは私の問題だしさ、ユーマには私の覚悟を見てほしいんだよ」
先ほどの険悪な顔ではなくなり、真面目な顔だった。だから、ユーマはユイの心を信じたくなってしまった。
「……わかった」
ユーマは俯きがちに言った。
その言葉を聞くと、ユイは再び自分の家に向き直り、魔女のユイをつれて玄関の前に立った。
ガチャっと音がすると扉が開き、ゆっくりと中へ入っていく。そのまま土足で奥へ進むのが見えるが、その途中で扉がユイの姿を隠すように閉じてしまった。
深くため息をつく。いったいユイは両親に会ってどうしたいのだろうか。
――なんて、そんなことを考えてはいるが奥底で何となく気づいていた。ユイが何をするつもりか。ただ、未だに迷っているんだ。ユイを止める資格があるのかと。何度決意してもなお、それは根深く、邪魔をしてくる。
それは昔の記憶だ。まだユイが、優衣としてこの町に住んでいたころの記憶。
神崎優衣の家は、工藤悠真の家と一本の通りを挟んで隣にある。優衣の両親は優衣が生まれる前に離婚していて、優衣には初めから母親しかいなかった。
優衣と悠真は物心つく前からお互いのことを知っていて、気が合い、仲良くなるのに時間はかからなかった。
幼稚園、小学校と一緒に通い、幼馴染み、そして親友になり、毎日遊んでいた。優衣は優しかったから、クラスの友達も沢山いた。それに頭もよかった。もし駿と知り合っていたら、きっと意気投合しただろう。
優衣は一人になると、時々どこか遠いところを見ていた。一体、何を考えているんだろうと不思議に思っていた。
家が隣で、しかも子供同士の仲がいいとなると、自然に親同士も仲良くなっていった。優衣の母親は内向的で、逆に陽気な性格の悠真の母親とは正反対で、それなのに意外と合うのだ。
優衣と悠真にしてみれば、優衣は積極的で、悠真は保守的だから、本気で親が逆なんじゃないかと考えたこともあった。
今思えば、その程度にしか考えていなかった。いや、それ以上考えるのを避けていたのかもしれない。
ある日、母の提案で神崎家と海へ遊びに行こうということになった。優衣の母親は断ってきたが、悠真の母による強い説得で折れたのだった。
楽しみで仕方なかったのだが、なぜかいつも乗り気な優衣が顔を歪め、嫌そうな顔をしていた。その顔は母親とそっくりだった。
そして当日。浮かない顔の優衣を不思議に思っていたが、水着姿の優衣を見た時、カチッとパズルのピースがはまるように、色々なものが繋がった。見たくもない知りたくもない事実が突然押し寄せてきた。
腕や足にある、無数の痣。見ているだけで痛々しかった。
優衣の母親が先手を打った。
「この前ね、階段から転んでね。痣になっちゃって、だから海もどうしようかなって思ったのよ」
隣で優衣は、壊れたロボットのように何度も頷く。
この日からだろうか、めったに家族ぐるみで遊びに行くことがなくなったのは。
変わらなかったことといえば、優衣と悠真は仲良くしつづけたことだろうか。
「悠真は、優衣ちゃんから逃げちゃいけないよ。優衣ちゃんに罪はないのに、逃げたら本当に一人ぼっちになってしまうからね。悠真だけでも隣にいてあげなさい」
母は微笑むと頭に手を置いた。その時、まだ小学三年生だった悠真は、その言葉の大切さを分かっていなかった。
結局、悠真は逃げたのだった。
優衣は小学四年生の三学期になると、あまり学校に来なくなった。いなくなる半年程前のことだ。
たまに学校に来ても、色々言い訳をして悠真は優衣を避けた。だからあまり優衣と会わなくなった。
会って話がしたい、そんな気持ちが心の中にはあった。どうにかしなくては、そう思うのだけど、優衣の冷たく寂し気な目、そして何より優衣の母親に立ち向かわないといけない恐怖心。
そんな思いが心の中に大半を占め、気持ちは抑えられた。つまり悠真は、恐怖心に負けて関わらないように半年間逃げていた。
そして、気づけばあの日になっていた。別れは突然にやって来た。
下校中、家の近くでピンク色のリュックを背負った優衣が健太と何やら話しているのに気がついた。
二人に近づいていくと、優衣はすぐに気づいてくれた。そしてぎこちなく笑いかける。
優衣は歩き始めた。何も言わずに悠真の横を通り過ぎ、自分の家から離れて行く。健太はそれを見て涙目になっている。今にも泣き出しそうだ。
その時ふと、もう優衣が戻って来ないんじゃないかと思った。
焦るように振り返る。一人孤独で小さな優衣の背中が目に映る。なぜか心が苦しくなり、鼓動が速くなり、喘ぐように呼吸をする。あの時の気持ちは忘れられない。
「健太……優衣は何て」
「引っ越すって、言ってた」
引っ越す? 優衣の家は今ここに、傾く夕陽で影を差している。それに、親はどうしたのだ、まさか一人で行ってしまうというのか。
「優衣!」
いつのまにか、叫んでいた。でも、そのおかげで優衣は立ち止まってくれた。そして、振り返った。
「またね」
優衣はそれだけ言って、再び背を向け、ゆっくりと歩き出した。今にも追いかけそうな健太の肩に手を置く。そして自分も足を踏ん張る。ここは追いかけてはいけない、優衣が選んだ答えだ。
いや、結局悠真は、優衣を救い出せずに、最悪の結果になってしまった、というわけだ。そしてこれはまだ、過程に過ぎなかった。それを今、思い知っている。
その後、一度だけ優衣の母を見たことがある。優衣がいた時と、何ら変化はなかった。それが逆にユーマにとって腹立たしかった。
今まで逃げていた分のつけが回って来たのだろうと、気づく。優衣がいなくなった当時は何も考えられなかった。
そして悠真は同じ夢を四年間、見続けることになった。
かつて自分を痛めつけてきた親に再び会いに行く理由なんて、限られている。
でも、一度ユイを見捨てて。今さら正しさを押し付ける資格があるのか。
ユーマは天を仰いだ。上空は橙から藍に変化しつつある。
「はー、また悪いくせが出てんな」
ユーマは自分に呆れたように鼻で笑った。
そんなときだった。
「あれは……?」ユーマは眉をひそめる。
今まで誰もいなかった二階の窓に人影が映った。身体の全体を包む服を着ているような影の輪郭。
背丈から見ても、あの人影が魔女のユイだとわかった。あんなところで何をしているのだろう。
「あそこは確か、ユイの部屋だったよな――」
その瞬間。夕日のような真っ赤の炎が窓の奥で一面に広がった。
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