3章
29話 協力者
炎の中、一人立つ少女。その足元にはその少女の母が転がっている。
その少女は心の中で何を思っているのだろう。
喜んでいるのか、それとも奥底で泣いているのか。
そうだ、とユーマは思う。
まだ、逃げたまま終わっていたことが、一つあるじゃないか。
あのころとは違う。今なら少女に追いつける気がした。
追い越して、今度は引っ張っていける気がした。
「どうして、逃げない」
後ろから、もう一人の悠真が叫ぶ。
「死んでしまうと言われたときも、ケンタと再会したときも、どうして何もかも受け入れるんだ。どうして見捨てて逃げ出さないんだ。お前には自分の思いのままに決められる権利が、全てをぶち壊せる力があるんだぞ!」
「……絶望が鼻先にあるもんだから、逆に吹っ切れたっていうのはあると思う。反骨精神っていうやつかな。でもそれよりも、みんなを見てるとさ、みんな前を向いて生きているんだってことがわかったんだよ……それを俺は無下にはしたくない。捨てることよりも拾うことに俺はこの力を使うよ」
ユーマは前を向く。後ろには諦められる出口があるが、引き返したりはしない。
背を向けて泣いている少女の肩を、たしかに掴んだ。
「あと数日で、扉が開く」
暑さが和らぎ、心地良い秋晴れの午後。ゲンジは「幻影の扉」がある森を見据えながら、ユーマとユイにそう告げた。
「わかるんですか?」
「経験だな」
「……根拠はないのね」ユイが呆れた表情をした。
「だがこの不気味な感覚、君たちにも伝わるだろう?」
たしかにここ数日から、「幻影の扉」がある森は禍々しい雰囲気を放つようになり、仙樹にいてもそれがヒリヒリと伝わってくる状況だった。
「いつ扉が開いてもおかしはない。気を引き締めておくことだ」
「言い直したね」
「相変わらずユイ君は、面倒だな」
煩わしそうにユイをにらむが、ユイは知らん顔である。
そんな二人を横目に、眼下に広がる景色にユーマは感心していた。一時は町の復興のために止まっていた堤防の建設だが、つい昨日、ようやく完成していた。
数十メートルの高さがある堤防によって、幽鬼の動きをせき止め、堤防の上から一方的に叩くという戦法だ。
特超隊は戦いに備えて、仕事を数日前から終了させている。迎え撃つ準備は万端だ。
「とりあえず君たちは扉が開くまでここに居ると良い。ここならば安全だし、これ以上変に動いて幽鬼に襲われてしまっては取り返しがつかないからな」
安全のためとはいえ、隊のみんなにはもう会えないのかと思うと、ユーマは寂しかった。
「それじゃあ、俺は寝る。扉が開いたときにまた起こしてくれ」
そう言うと、ゲンジはさっさと屋敷に戻っていった。長く生きているからか、ゲンジは平気で二、三日間寝続けることがある。何かと不便な身体だと思う。
「最近、ゲンジさんお疲れね」
ゲンジが屋敷へ帰ったあと、ユイは不思議そうに言った。
「やっぱりゲンジさんもプレッシャー感じているんじゃないかな。一度経験してるし」
「それに比べて、私たちは元気だけどね」
「なんでかね」
不思議とユーマの気分は下を向いていなかった。体調も準備も万全。今、幽鬼が襲ってきても対応できる。でも。
まだ、「幻影の扉」を閉じるときではない。まだ、ユーマは一つの壁を取り払えずにいた。その壁はずっと昔から存在していて、なかなか根深いところにある。
ユイは仙樹の根っこに座って、町を眺め物思いにふけっていた。ユーマはその姿を見つめる。
「なあ、ユイ」
ユイは振り返る。その表情は一瞬、哀愁を帯びていたが、すぐに明るい表情に戻る。
「どうかした?」
「……ケンタのことなんだけどさ」
「ケンタ? この間の町を壊していたときは驚いたけど、たしか今はおとなしくなったんだっけ。ああ、仲直りしたってミオから聞いたよ。私も久々に会いたいし、明日でいいからケンタをここに呼んできてよ」
ユイは嬉しそうに言った。でもどこか取り繕った感じがあった。
「そのことは、今は良いんだ」
ユーマは真剣な目でユイを見つめた。
「俺が知りたいのは、ケンタを超常人にしたのはユイなのかってことだよ」
ユイの顔が曇る。
「考えたら、ここから出られないユイがケンタに会ったというのはおかしい話だし、違うなら違うと言って欲しい」
その言葉に対して、ユイは目をふせた。何かあるときの顔だ。
「今さら、そんな話する? もう扉が開くっていうこの時に」
「今を逃したら、もう聞けないと思って」
ユイは仙樹の根っこの上で横になって、表情をユーマに隠した。
「ケンタがいじめられていたから、助けてあげたのよ。あとはそのいじめっ子に対抗できる力を与えられたらと思って、声をかけたの」
「なんで、そんなことしたんだよ」
「……力がないばかりに普通に生きたいのに生きられないなんて、悔しいじゃない。他に何も頼るものがないんだったら、自分でどうにか出来る力が欲しくなると思ったの。少なくとも私はそうだった」
ユーマは黙り込む。本当は違うと否定したいけれど、ケンタを助けられなかった自分が言えたことじゃないと思った。
「それでも、町にはどうやって行ったんだよ。勝手に鉄の門は開けられないはずだし」
「それは……」
すると突然、着信音が鳴った。ユイの携帯電話だった。
ユイは起き上がって、電話の相手と二言だけ話すと、すぐに電話を切った。
「何かあったか?」
「うん、どうやら目的を果たすときが来たみたい」
「目的?」
ユイは悲しげに、笑った。
「これから先、たとえ死んだとしても後悔しないために、私には絶対やらなければならないことがあるの」
そのとき。ユイの背後の空間に、ヒビが入った。
「……ああ、来たね」
その奇怪な現象にユイは全く驚く素振りを見せず、ただそのヒビが広がるのを見つめている。
二メートルほどまでヒビが入るとそれを直径に、電撃が走るような音を立て青白い円が形成された。円の中は漆黒が満ちている。
「おまたせして申し訳ありません、ユイ様」
聞き覚えのない声が円の中から聞こえると同時に、漆黒から人の足がこちら側へ踏み出してきた。
中からスーツケースを持った一人の男性が現れた。執事姿の長身、糸のように細い目のせいか無表情に見える。当然、頭にはツノが二本ある。
「私のわがままにつき合わせてごめんね、ソーマ」
「いえ。ユイ様のためならばたとえ火の中水の中、いかなる場所にでも駆け付けますとも。それが私のできる唯一のことですから」
その男は片膝立ちになりユイに向かって頭を垂れ、敬意を示す。その様子を見て、ユイはため息をついている。
「そんなに畏まらなくて良いっていつも言ってるのに……」
「なあユイ。この人は?」
するとその男は立ち上がり、ユーマに向けて右手を身体に添えて頭を下げる。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。初めましてユーマ様、私はソーマ。手名家の一員で、ユイ様にお仕えしております」
「ソーマはミオの家から見て分家の人間よ。外から私のサポートをしてくれてる」
エリの家で言うところのシュンにあたるといったところか。
「その、青白い円はソーマさんの能力ですよね?」
「はい、おっしゃる通りです。『空間移動』、それが私の能力です。強力な能力の分、制約が多いですが」
その青白い円を通じて、別の場所へと瞬間的に移動できるというらしい。何とも便利な力だ。
――ただ、これでユイがあの町に行く方法がわかった。ソーマの能力を使うことで鉄の門を通ることなく、ケンタに会いに行けたのだろう。
「それで、その能力を使っていったいどこに行くって言うんだ? ユイの言う目的ってのはこの向こうにあるってことだよな」
ユイは不敵な笑みを浮かべた。
「この円の向こうには、ユーマの家があるあの町につながってる」
「……! また町に行くのか」
あの町に、いったい何があるというのだ。
「ユーマもせっかくだから付いてくる? 全く関りがないってわけでもないしね」
何をするつもりか知らないが、ユイのいつもとは違う表情に嫌な予感がしてならなかった。
けれど、ここで見過ごすわけにもいかない。
「ああ、そうするよ」
ユーマは真剣な顔で言った。
仙樹のそばにいた三人が奇怪な円に吸い込まれるように入ると、その場には、ぽつんとその青白い円が残るだけだった。
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