20話 前を向くために

 ユイとは仙樹の屋敷で別れて、ユーマとエリは坂をくだっていく。


 もう夕日がさして、道を橙色に染めている。まだ堤防の周りには人が多くいて、建設に励んでいた。


「それで、どこに行くの?」



「どこに、というところでもないけど」


 エリは言いごもる様子で、ユーマは首を傾げた。


 坂を下りてから五分程、二人はのどかな田園風景が広がる畦道をのんびりと歩いていた。時折、深い海の色をした青色のバスが、車体を揺らしながら二人を追い抜いて行く。


 エリはバス停のところで足を止め、ベンチに座った。


「このバスはね、同じ場所をグルグルと回っているだけだから、話すにはちょうどいいの」

「どこへ行くというよりは、バスに乗るわけか」

「そういうこと」


 深い海の色をした青色のバスは、数分待つと来てくれた。広告など一枚も貼られていない、座席の数も少なめの小型のバスだった。

「好きな色だ」と思わずこぼす。




 乗客はユーマ達二人きりだった。発車すると、エンジン音だけが鳴り響く。車内はあまりにも静かだった。



「少し、昔話をしようかな」



 エリは微笑んだ。


「私は母のお腹の中から生まれたときから、足名の本家の跡継ぎとして、守り人って言うんだけど……ユーマのサポートにつくことは決まっていたの。先代の『無角』が『幻影の扉』を閉じてから、そろそろ千年というときだったからね。そしていざというとき、ユーマを守るためだけに生きてきた」


 一族はそうやって千年に一度のためだけに存在してきた。


「理不尽だよな。自分の人生を自由に生きられないなんて」


「そういう考えは一族の中にはないの。私はユーマの守り人に決まったことは名誉あることで、誇らしいはずなの。でも私はそう思わなかった。毎日、家の皆から羨ましがられたけど、こんな役目、さっさと捨てて自由に生きたかった」


「それが普通、だと思う」


 一族の者は物心つく前から、我々は世界を守る役割を神から命じられた素晴らしい存在なのだと教え込まれる。だから自由に生きたい、そんな考えは最初から頭にないのだ。


 そんな残酷なことがあるだろうか。


「一族の皆がどういう生活をしているか、ユーマは知ってる?」

 ユーマは首を振る。でもそれなりに想像はつく。


「基本は身体の鍛錬、そして幻影の扉などの知識を学ぶの。何度も同じことを反復してね。私は特に他の人達よりも厳しかった。それに私が生まれた時には既に超常人は存在していたから、能力を使いこなせるように特訓したり、幽鬼対策のために実在に幽鬼とも戦わされたわ」


「幽鬼と戦った……」


 ユーマは噛みしめるように繰り返す。確かに一族は「無角」のサポートで、一緒に戦うことにはなるだろうから、そのためにわざわざ自ら戦いに行くということも、あるのだろう。


 それも全てユーマとユイを守るためなのだと思うと、胸が苦しくなる。


 バスに、老人やユーマよりも年下の少年たちが乗って来るが、ユーマとエリを気にすることなかった。そして、いくつかの停留所を通り過ぎると、降りて行き、結局また二人になる。


「正直、辛かった。人一倍厳しく鍛錬をして、人一倍知識を取り入れ、夜遅くに寝て、朝早くに起きる。毎日、その繰り返しだった。だから、私、途中で嫌になっちゃったの。何度も家から抜け出したり、鍛錬をサボったりした」


 一番大切な役目を果たさなければいけない人が、一番の問題児だったわけ、とエリは苦笑した。懐かしんでいるようにもみえる。



「本家の年寄り達には、このままでは世界が滅んでしまうぞとか、落ちこぼれの私よりも、もっと適任な人に交代した方がいいのではないか、なんて言われた」


 足名家の中では私は最悪の印象だったのよ、とエリは言っているが、その顔の裏には自分に対する失望が込められている気がした。


「エリは落ちこぼれなんかじゃないよ」


 ユーマはなぐさめる。


「それはどうでもいいのよ、自分でわかっていたことだし。だから途中までは本当に役目を別の人に代えようと話が進んでいたの。私もそうなれば今までよりは自由になれるから嬉しかった。けどね、ユーマも知っている通り、私は今ここにいる」


 エリがユーマの守り人になった理由は二つあった。一つは、エリの代わりの守り人になるはずだった人が、突然亡くなってしまったこと。


 もう一つは、エリの祖父が何千年と続いたしきたりを壊すわけにはいかないと言ったから。その二つがあって老人たちも渋々ながらエリが守り人になることを認めた。


「ここに来るまでに、いろんな人に迷惑かけてきたし、いろんな人に助けてもらったわ……シュンも、その一人よ」


 幼馴染みだったエリとシュンは年が近いこともあり、本家とか分家とか関係なく、仲が良かった。

 エリは守り人に決まって以降、逃げることはなかった、わけではないけれど、逃げる時はシュンも一緒だった。鍛錬の時も、勉強の時も、逃げる時も、中学校に上がるまではいつも一緒にいた。


「シュンは、命じられただけです、としか言わなかったけどね」

 シュンらしい、と思った。


「でもね」


 エリは天を仰いだ。

「結局私は駄目なんだよね。一人じゃ何も出来ない」

 だから、今もユーマの足を引っ張っている。


「ユーマ、ごめんね。怖がらせないために腫れ物に触るみたいにして……。教えなきゃいけないことを言わずに、何が守り人なんだかね。私は、今も逃げてばかりの落ちこぼれなんだよね」


 悔しそうな表情を浮かべた。ユーマは首を横に振る。


「俺も…………一人じゃ何も出来ないよ。ケンタとのことが特にそうだ、俺はケンタがいじめられて悩んでいたことに気づきもしなかった……いや、無意識のなかで自分自身が気づかないよう振舞っていたんだ。逃げていたのは、俺の方なんだ!」


(ユイとのことも……同じだ)


 ユーマの心の奥にあった気持ちが、言葉になって表象される。


 エリとは、似た者同士なんじゃないかと、ユーマは思った。そんなエリだからこそ、隠していた弱さを見せられる気がした。


「お互い様ね」

 エリは微笑んだ。


「私は、覚悟を決めるわ。もう逃げない。守り人として、ユーマが笑って使命を終えられるように力を尽くすと誓うわ」


 すると、エリはユーマの方に向き直って、手を取り、自分の膝に置いた。

 突然だったので、ユーマは目を白黒させる。思わずドキッとした。あまりにもエリの目が真剣だったのだ。


「ねえ、ユーマ。約束してくれない? 未来を諦めないって。だって苦しい思いをして、それで報われないなんておかしいもの」


 約束するのなら、言わなければいけないことがある。そんな雰囲気があった。

 


 ゆっくり、ユーマは首を縦に振る。


「うん、約束する。話してくれといったのは、俺の方だし」


 エリは悲しげに、口に出すだけでも辛そうであった。ユーマは息を呑む。


「…………『幻影の扉』を閉じるためにはユーマとユイは幽世に行く必要があるのは知っているよね。でも、扉を閉じた後のことは言っていなかったと思う」


「ああ、確かに。どうやって戻るか、聞いていなかったな」


 エリは口をつぐみ、どう言葉に表すか、迷っていた。


「わからないの」



 えっ、と思わず声が出た。



「……全てが終わって、この世に戻ってきた『無角』は一人もいないの。千年前も、その前もずっと、『無角』の二人は『幻影の扉』から帰って来れずに……みんな死んでしまった」



 結局、バスで循環したのは一周だけだった。

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