5話 復讐
誰でも眠気を誘われる、晴れた昼下がりのことだった。五時間目の授業。眠気に負けて、頬杖をついてうっとりしている。苦手な英語の時間だ、余計に眠くなる。
「おい、悠真」
隣の席の駿が小さな声で呼びかけて来る。机を蹴って揺らして来る。
「さっきから頭が動いてる、やばいぞ」
ビクッとして目を覚ました。先生はこちらに向かって話しているけれど、特に気にもしていなかった。慌てて目をこする。
教室を見回すと、クラスの半分以上が机に突っ伏して寝ていた。
「あれ、何の話だっけ?」
確か、ウトウトし始める前に駿と何か話していたことを思い出した。英単語の羅列と先生のちょうど良い話し声で記憶がなくなってしまった。
「昨日の夜の話だよ、超常人が出たっていう……」
「そうだ、そうだった」
昨日、健太達が超常人に出会ったことを話していたのだ。思い出した。
健太に会った後、逃げ出した四人組に再び会ったので、超常人のことを詳しく聞くことが出来たのだ。
四人組によると、黒いフードを被った魔女のような人が突然背後から現れたという。超常人の能力は「炎」、腕を炎に変えたのだから、おとぎ話のようだ。さらに驚きだったのが、その魔女が健太のことを知っていると言うことだ。
「家族にも親戚にも超常人はいない……。ということは知り合いの中で唯一、超常人である可能性のある人は……」
「優衣って人だっけ? 四年前に突然いなくなったっていう……」
「それはありえない!」
思わず大声を出してしまった。先生がこちらを睨み、腰に手を当て悠真の上で視線を止める。
「工藤君」
呼ばれてしまった。隣で駿はすかさず教科書を覗き込む。
「授業中は私語を慎むように」
「すみません、先生」
首をすくめてから、机に突っ伏した。こうすればみんなもやっていることだから、文句は言われないだろう。
そんな様子を見かねた先生は、ため息をつくとチョークを置き、腕を組んだ。
「全く……このクラスは」
お説教が始まるその時、教室の前のドアが軽くノックされた。先生が怒り顔でドアを開けに行く。
何の話かと気になって顔を上げた。先生は担任の片岡先生と話していた。小さい声だから聞き取れない。少しやり取りがあった後、片岡先生が教室に入って来て、こっちに向かって歩いてきた。
悠真の前まで来て立ち止まった。見上げると、先生と目が合った。
「すぐ、帰る支度をしなさい」
「え……」
少し音程のおかしい声だった先生を、もう一度見た。冗談じゃない、至って真面目な顔。
どうして、と問いかけるように教室のみんなの視線が痛いくらいに悠真に集まる。でも、悠真もみんなを見回した。だって意味が分からないから。
先生は慌てて悠真の肩に手を置いた。
「ご家族で急な出来事があって、お母さんから電話があった。すぐ帰る支度をしなさい」
それを聞いたクラスのみんながざわめき始めた。勝手な憶測が飛び交う。
「静かに!」
一瞬でクラスが静寂に包まれた。これには悠真も驚いた。片岡先生は普段は温和な性格で今まで一度も怒鳴った姿を見たことがなかった。
「支度できたね。じゃ行くぞ」
机の中に入っていたノートや教科書をカバンに入れるだけなので、すぐに出来た。
「よろしくお願いします」
英語の先生は頭を下げて見送っている。さようなら、と軽く頭を下げた。先生は、悠真が廊下を曲がるまで、ずっとドアの所に立っていた。片岡先生は何も言わずに悠真の前を歩く。首のところに汗がにじんでいる。何があったのだろうか……。
「先生、何があったのか教えてよ」
気になって思わず訊いてみた。けれど先生は黙ったまま、早足で先を歩く。なぜか先生の後ろ姿がとても小さく思えた。
「先生……」
「今は何も聞くな。後で話すから」
片岡先生もギクシャクした声だ。
悠真と片岡先生はタクシーに乗り込んだ。やっぱり片岡先生は何も言ってくれない。運転手の人には事前に行き先を言ってあるみたいだった。
けれど、走っている道がどこか見慣れているので、途中から気づいた。小学校だ。
タクシーが小学校に近づくにつれ、辺りに人が増えて騒がしくなってきた。いったい何があったのだろうか、普段のこの辺りは静かな場所なのに。
案の定、タクシーは小学校の近くで停まった。小学校の校門付近では、人が溢れていた。
悠真は片岡先生を置いて駆け出した。後ろで引き止める声がしたけれど、気にしない。人混みをかき分けて中へと入って行く。嫌な予感が、頭をざわつかせていた。
校舎の隣にある校庭にまで人混みが続き、やっと抜け出した時、人で囲まれた中央に、ぽつんと、人の姿があった。
悠真は息を荒らげながら、叫ぶ。
「健太!」
朝、学校に行く前は夜のこともあって心配はしたけれど、特に変わった様子もなく、普段は被らない帽子を身に着け、少し口数が少ないだけだったから安心しきっていた。あの時は少し混乱していただけであると。
「やあ、兄さん」
健太は不気味な笑みを浮かべていた。
「こんなところで何をしている。いったい何があった」
「何をしているって?」健太は鼻で笑った。
「見れば分かるでしょ? これは復讐だよ」
そう言って健太は口を歪めて、高笑いを校庭中に響かせる。
途端に周囲がさらにざわめき始めた。あの子があれのお兄さんなの、気味が悪いわ、近寄っちゃ駄目よ――
奥歯を噛み締めた。この惨劇は想像もしていなかった。健太はあの少し弱気な性格が一変し、狂ったように高笑いをしている。そして、健太の頭に黒いツノが生えている。
(超常人には頭に黒いツノが生える)
予想はしていたが、実際見ると恐ろしい。健太が超常人になったという現実をまだ受け入れられない。
「見ろよ、兄さん。このツノ、カッコいいだろう」
「昨日の夜、超常人と会話しただろ」
悠真は無視して言った。健太は高笑いを止めニヤニヤと口元に笑いを浮かべて、「それは兄さんでも言えないね」
悠真は視線を下に落とす。
「その下にいるそいつは何だ」
健太は今さら気づいたように下を見た。
「ああ、こいつね」そして鼻で笑う。
「そいつは確か昨日の四人のうちの一人だろう。お前がそんな風にしたのか」
健太の下に転がっているそいつは、全身傷だらけで意識を失っているらしく、ピクリとも動かない。
「言ったろ。これは復讐なんだ。散々いじめてきたこいつに、俺は一人で戦って、勝ったんだ」
目を見張った。健太はいじめられていたのか、それじゃ昨日、夜に誘われたのは。
健太はヘラヘラと笑った。
「そうか、兄さんは俺がいじめられてること、知らなかったんだっけ」
悠真は顔を歪めた。いじめられていたなんて、知りもしなかった。いや――気づきたくなくて、知ろうとしなかったのかもしれない。心が痛んだ。
「それは悪かった。けど、こんなことはもうやめろ。何になるって言うんだ」
どうにかして、この騒ぎを収めようと説得しようとしたが、当然のように聞いてくれるはずもなく、健太はため息をついた。
「兄さんもそんなこと言うんだ……。正直ガッカリだ。兄さんまで俺のこと悪者にするなんて」
「していない。ただ、こんなことをするのはおかしいって話だ!」
冷静にしようとしているけれど、さっきの片岡先生みたいにギクシャクしてきた。
健太はまた鼻で笑っていた。
駄目だ――悠真は思った。昨日の夜、超常人に何を吹き込まれたかはわからないけれど、あきらかにいつもの健太ではない、別人に変身してしまっている。
先ほどよりもさらに校門の辺りが騒がしくなった。何事か、と振り返ったけど人が多過ぎてよく分からない。
「何だ、もう終わりか」
健太はため息をついた。
「何が終わりだって?」
「時間切れだってことだよ、兄さん。後ろ、よく見てみなよ」
後ろをもう一度よく見た。すると奥の方にチラホラと銃を持ち、ガスマスクを装着している警察官の姿が見えた。超常人の健太を逮捕するためだ。ガスマスクは感染を防ぐためなんだろうか。
「どうやって逃げるつもりだ」
あたりを見回した。人が集まり過ぎていて逃げ道がない。
「そうだね」健太はツンと顎を上げ、微かに微笑んだ。
後ろを見る。騒がしかった人達が警察の登場で少しおとなしくなって、警察が通る道を作っている。あと少しでここまで来てしまう。
「健太どうする気だ……」
顔をしかめがなら振り返った。
しかし、そこに健太はいなかった。
「兄さん、どこ見てんの。上だよ」
ハッと顔を上げて空を見上げた。そして、そこには健太がこっちに向かって手を振りながら空中に立っていた。健太は浮いているという感じではなく、まるでそこに人には見えない透明の板があるかのように立っていた。
周りにいた人々がざわめき始めた。後ろの警察も思わず足を止めている。
(これが超常人の力、か)
超常人は個人によって様々な力を持つと聞いたけれど、いざこのような人智を越えた力を初めて見ると、驚きを隠せない。
「じゃあね、兄さん。もう会うことはないと思うから、最後に一目見られて良かったよ」
「本当に、行ってしまうのか」
健太が超常人になってしまった今、もういつもの生活を送ることは出来ない。ここで逃げなくても、警察に捕まるからだ。途端に寂しさがこみ上げて来た。
「兄さん、俺も寂しいよ。でもね、こうなったらもう今までのままじゃいられないだろ? それに、俺は超常人になってしまったからには果たさなければいけない使命があるんだ」
「使命……」
「俺はいじめとか、差別のない世界をつくりたい。そのための力を、自由を俺は手に入れた。もし、俺の邪魔したりするようなやつがいるのなら、片っ端から潰して、俺は俺のやりたいようにやる」
顔は薄ら笑いを浮かべているけど、その目は真剣で、何かを決心した健太の心を映していた。もう引き返せないと悠真は悟った。
それからずっとその場に立ったまま、背を向け空中を走って逃げて行く健太を、黙って見ていた。健太の姿が段々小さくなって消えるときまで、ずっと。
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