3話 会ってしまった弟

 冷や汗をかいた。

 学校に向かうために家の門の方に回った時、リビングに明かりが点いていた。

 家を出る前、耳を澄ませて父が帰って来たかを確認していた。けれど、父が帰って来たような音は聞こえて来なかった。屋根を伝って降りている時に帰って来たんだ。少しでも時間がずれていたら、バレてしまっていた。ギリギリだ。


 健太はあまり気にしていなかったけど、よくこんなに上手く行ったな、と感心してしまった。

 十一時五十五分、集合五分前。ちょうど良い時間だった。健太の待ち合わせ場所は校門ではなく近くの公園だったので、途中で別れることになった。

 校門に着くと、ちらほらとクラスメイトが集まっているのが見えた。悠真が近づくと、あっちも気づいて手を振ってくれる。


 みんなの所まで行くと、石岡が「悠真が最後だよ」と言った。

「あれ? 何人かいなくない?」

「二人がやっぱり行かないってさ」

 石岡はつまらなさそうにポケットに手を突っ込んだ。

「あいつらはもう誘わなくていいよ」

「早く行こうぜ。あいつらはどうでもいいよ」

 他の男子達が次々と言い始めたので、石岡がうるさいよ、と慌てて制した。

「一応、夜中だからな。大人に気づかれちゃまずいだろ」

 そうだな、と男子達は石岡に賛同し、静かになった。そんなゴタゴタがあったけれど、悠真の心は上の空であった。


(来て良かった)


 超常人が見つからなかったとしても、来て良かったと思った。来なかった二人と同じように悠真も行かなかったら、今ごろ友達の輪からはじかれてしまっていた。

「それじゃ、どうやって探そうか」

 ホッと胸を撫で下ろしていると、話は超常人を探す方法になっていた。

「二手に分かれようよ」と、一人の男子が言った。

「それだったら見つけられないだろ。八人いるんだからみんな分かれて探そうよ。その方が見つかる可能性が高くなる」

「可能性とかどうでもいいよ。一人だとつまらないじゃないか。楽しくないと嫌だね」

「一人で探すのは反対。怖いよ」

 悠真と石岡を除いた六人で話し合いを始めた。けれどまるで収拾がついていない。やがて言い争いになってきた。

「お前らうるさいって」

 石岡が慌てて止めに入った。けれど静かになってもまた、言い争いが収まるわけではなく、まとまらない。これでもう超常人を探すことなく朝が来るんじゃないか。


 十分くらい話した結果、二人一組で探すことになった。悠真は石岡と組んだ。

「よっしゃ、じゃあ行くかー! 見つけたらスマホで連絡してくれー」

 こうして、ようやく探し始めた。悠真と石岡は校門の反対側に行く。

 他愛のない会話をしつつ、家と家の間の抜け道や、隠れていそうな茂みの中、空き家をこっそり覗いてみたりしていた。当然のように、超常人は見つからない。

「いないなー」石岡はがっかりする様子もなく言う。

「そうだねー、お化けの方が出てきそうだね」

「いいね、その方が面白いかも!」

 石岡は楽しそうに話すが、悠真はすでに飽きていた。それにさっきは冗談まじりに言ったが、街灯の明かりがあるとはいえ、真夜中の暗さだ、幽霊とかが出てきそうで怖くなってくる。悠真はなるべく石岡と離れないように歩くようにした。

(早く帰りたい)

 駿は今ごろ勉強でもしているだろうか。そういえば、塾の宿題が出ていたことを思い出して、悠真は嫌な気分になる。

 超常人の気配は、相変わらずない。



 ――いじめは、嘘のようにあっという間に広がっていき、人の心や見る目を変えていく。そして、その根元はどこからなのかは分からない。いじめはいつだってそういうものだ。

 あれは一年前の四月頃だった。今となっては誰がいじめ出したのか分からない。いや、彼らはその前から影の心を持っていたんだ。人には言えない影の心がずっと沸々と煮えて、その時吹き出したんだ。


「おい健太、ニュース見たか」


 健太は学校で同級生の男子四人に、今夜穢人を探すから公園に集合だ、忘れるなよ、と耳元で含み笑いをしながらささやかれた。


 いじめられる、そう健太は確信した。


 四年生の始めからクラスメイトから無視されるようになり、二人組を作る時はいつも一人ぼっちで誰一人として健太の隣であることを嫌がった。

 理由は本当に心当たりがなかった。小学校三年間、何気なく過ごしていた。いじめのきっかけとなるような行動をした覚えは、いつの記憶を掘り出しても分からなかった。

 でも最近、気づいたことがある。きっといじめている側も何が理由でこんなことをしているのか、分かっていないんだ。ただ、健太の行動が、存在が気に食わなくなり苛立っているんだ。自分の影の心を満たすために、人は簡単に人を攻撃できる。


 今夜、家を抜け出すことを兄さんだけには話そうと決めた。もし、何かあったらいけないから。そうしたら何と、兄さんも今夜、超常人を探しに行くというのだからびっくりだ。

 兄さんと別れた後、走って公園に向かった。時間は間に合うけど、早く行って損はなかった。


 公園に着くと、三人が来ていた。いつも後ろにくっついているやつら。いつも先頭に立って健太をいじめるあいつは、まだ来ていなかった。

 三人は健太が来たことに気づくと「こっち来い!」と怒鳴った。そんなに大きな声を出したら、寝ている人たちが起きちゃうのに。


 十分くらい経ってから、あいつがやって来た。これで健太をいじめている四人組が完成した。健太は内心、ここに来いと言っておいて遅れて来るというのはどうなんだ、と思いながらジッと睨んだ。


「何見てんだよ」


「別に」


 健太がそっぽ向くと、歯ぎしりをした音が聞こえた。そしてズカズカと健太の前までやって来て、勢いよく肩を押した。

 バシッという音がしたかと思うと、じんと肩が痛んだ。思わずよろめく。


「歯向かうなよ、弱いくせに。何で公園にまだいるんだよ、早く探して来いよ!」


 だから寝ている人が起きるよ、そんな大声出したら。

 黙ったまま四人組に背を向けると、公園を出た。こういうことは従うにこしたことはない。特に苦しいこともないし、いつも学校で無視されたり、隠れた所で殴られたりされるよりは傷つかないから。


 公園を出ると超常人ではなく、兄さんを探し始めた。会って話がしたかった。あの四人組のことなんか忘れて、解放されたこの時間を楽しみたかった。

 健太は家族にいじめのことをはっきりとは伝えていなかった。何度か兄さんには四人組と一緒にいるところを見られているけど、兄さんが気づいている様子はない。

 でも、それで良いのかもしれないと思う。これくらい自分で解決しなくてはならない、と。辛いことだけど、そうしなきゃいつまでも自分は成長なんて出来ないと、考えている。


 十分くらい経ったろうか。あちこち探してみたが、兄さんは見つからなかった。兄さんの待ち合わせ場所は校門だと言っていたから、その辺を探せばすぐに見つかるとばかり思っていたけれど、兄さんも動いているからすれ違いになっているのかもしれなかった。

 一度、公園に戻ろうと考えた健太は引き返すことにした。数分くらいで公園に戻ると、四人組はゲームをしていた。ベンチの所に固まって楽しんでいる。


 四人組の一人が公園に帰って来た健太を見つけ、他の三人に知らせるように、ボソボソと話しているのが見てとれた。ゲーム機から顔を上げ、さっきの楽しそうな雰囲気が一変し、健太と四人組の間に冷たい風が流れる。ある程度まで近づくと、一人が口を開いた。

「何でお前だけなんだよ。穢人は?」

 健太は拳を握りしめる。

「見つからなかった。というより見つかるわけがないだろ、一日だけじゃ」

「ずいぶんと、ナマイキだな」


 四人組を睨んだ。自分自身でこのくらいのいじめ、解決しなきゃいけないんだと、自分の心に訴えかける。

「うるせえ!」

 健太は怒鳴った。最後の言葉は余計だったかもしれないと思ったが、これくらいやらないと駄目だとすぐに迷いを払拭した。四人組は唖然としていた。まさかこんなことを言ってくるとは思ってもみなかったという顔だった。


 少しの間、沈黙が流れた。しかし四人組のいつも先頭に立つそいつが、一歩、足を踏み込んだ。警戒こそしていたものの、とっさのことで反応が遅れてしまった。

 あっ、と思ったときにはすでに胸ぐらを掴まれ、突き飛ばされていた。無防備だった健太はバランスを崩してしまい、後ろに倒れ込んでしまった。

「歯向かうなって言ったよな」

 倒れ込んだ健太を見下ろすように、そいつは立っていた。だから余計怖く見えてしまって、どうしても声が出なかった。

 でも、それでは今までと変わらないだろうと、ひるんでいる自分を蹴飛ばした。今日こそは自分自身で打ち勝たなきゃならないんだ、と心に言い聞かせる。


「お前なんか、怖いものか!」


 自分にも言い聞かせるように、倒れ込んだまま思いっきり叫んだ。

 目の前に立つそいつは、思わぬ反抗に少しひるんでいた。が、やがて沸々と怒りが沸き上がるように、顔を赤くし、再び健太の胸ぐらを掴んでいた。また突き倒されるのかと思ったが、そいつは拳を握りしめて、腕を振り上げていた。


(殴られる)


 思わず目をつぶってしまった。だから、そのときに起こったことにすぐには気づかなかった。


 てっきり殴られるとばかり思っていたのに、いくら経っても何も起きないから、健太は目をゆっくりと開けた。


 するとどうだろう。拳を振り上げたところで止め、目を見開いて、健太の後ろの方を見たまま固まっているのだ。他の三人も目を見開いて棒のように突っ立って、やはり健太の後ろを見ていた。


 何が起きたのか。健太はゆっくりと頭だけ振り返った。


 そこにはヒトが立っていた。

 顔をフードで隠しているから、男なのか女なのかは分からない。長く裾を引くローブを着ている。中学生くらいで、兄さんよりも少し小さいくらいの体格をしている。 

 いや、女の人だ。膝くらいまでの黒いスカートを履いている。呆然としていて、全てのことを一気に認識できないでいた。

 全身を黒で身に纏っているその女の人は、健太達から数メートル離れて立っていて、動こうとはしない。そして、健太達も動くことが出来なかった。


(魔女だ)


 間違いなくこの姿を見たら、誰もが考えるだろう。その姿は漫画でよく出て来る魔女そのものであった。


「いじめは感心しないね。君達」


 魔女の姿をしたその人は、半分夢のような、耳の底で優しく囁かれているような声だった。怯えているはずなのに、どこか安心してしまう不思議な感覚だ。

 魔女はゆっくりと右腕を上げ、四人組を指差した。黒いローブの袖が垂れ下がる。

「君達は帰りな。私は健太に用があるんだ」

 そう言って微笑む女の人に、開いた口が塞がらなかった。


(なぜ、名前を知っているんだ?)


 四人組は棒のように立ったままで動きそうになかった。それを見かねた魔女はため息をついた。顔は見えないけれど、呆れているように見える。

「そんなに怖がらなくてもいいのに……仕方ないわ」

 そう言って右腕を前に突き出した。四人組の身体が跳ねる。


 魔女が小さく笑ったそのとき、魔女の突き出された右腕の輪郭がなくなったかのように思うと、橙、赤色へと変色し、波打ち始め、腕が火柱のような赤い炎へと変わった。炎の腕だ。


(これが超常人か!)


「逃げろ!」

 四人組の一人が思わず叫ぶと、解き放たれるように固まっていた身体がやっと動き、全速力で公園を出て行った。その間、ずっと超常人は笑っていた。


 健太も一瞬、逃げようか考えたが、どうしても今ここにいる超常人が名前を知っているのか、気になって仕方なかった。


「あなた……誰なんですか」

 ゆっくりと立ち上がり、顎を引いてジッと超常人を見た。超常人は相変わらず小さく笑っている。

「誰、ね。私は…………」

 魔女はフードを取り、口を開く。

「――――――」

「…………!」

 健太は目を見張った。


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