2話 夜へ向けて

 受験のために悠真は、家から徒歩五分くらいにある小さな塾に通っている。四階建てビルの一階と二階部分が使われている。悠真は一番北側の角部屋だ。授業が始まる三十分くらい前に塾に着いた。教室は授業の始まる一時間前から開いていて、自習したいという人が来ている。

 教室に入ると、駿が一人、教室の隅のお気に入りの場所で参考書とノートを広げていた。英語のようだ。

 悠真の姿を見ると、駿はハッと驚いたように顔を向けて時計を見た。もうそんな時間か、と思ったようだ。

「授業はまだ始まらないぞ」

「こんな早く来るなんて、雪でも降るんじゃないか?」

 駿は可笑しそうに笑うので、悠真はムッとした。

「ちょっと相談があって」

「相談? そりゃまた珍しい」

「たいしたことじゃないけど」

 今夜の石岡達の誘いで、どうやって家を抜け出そうか悩んでいることを話した。すると駿はいつもの、のんびりとした感じになった。

「ああ、そのことね。よく行くって言ったな。どうせ見つかりもしないのに。次の日が眠くなるだけだよ」

 駿はヘラヘラと言ってのけた。内心、お前とは違って断るわけにもいかないんだよ、と毒づいた。


「しょうがないよ、もう行くって言っちゃったから。でも、夜中に家をどうやって出れば良いのか思いつかなくて。普通に玄関から出るわけにもいかないし」

 母に見つかったら止められること間違いなしだ。

「悠真ってどうも無駄に小さなことを考え過ぎちゃうクセあるよな」

「無駄って言うなよ。俺にとっては大きいことなんだよ」

「でも確か、悠真の家には何回か行ったけど、塀が家を囲んであるよな? だから屋根から塀に下りて、それから道路に下りればいいんじゃないか」

 塀か、と思った。でも、よくよく考えてみると、悠真の部屋側の屋根の下はちょうど、家の入口だから、そこには門がある。そのことを話すと、それは知っていると言った。


「だから健太の部屋の方だよ。反対側だから門じゃないだろ」

 確かにそうだ。健太の部屋側の屋根から塀までの高さはないし、それなら飛び降りるというより、ただ降りるだけか。

「でも、そういうことなら健太にも話さないといけなくなるじゃないか。そうしたら、あいつ絶対ついてくって言うよ」

「仕方ないだろ。弟くらいには話したって。別にチクるなんてことはしないだろ?」

 悠真はうなった。母や父にばれるくらいなら、健太に話した方が良いし、石岡も健太なら別に構うこともないだろうし、人数が増えて喜ぶかもしれない。

「ありがとう駿、助かったよ」

「おう、まあせいぜい頑張れ」

 教室に何人か話しながら入って来たのをきっかけに、席に着いた。塾では事前に席が決められているので、自由に座ることができない。悠真の席は廊下側だ。今日の授業は身が入らないかも、なんて思っていたけれど、駿のおかげでいつもの調子で受けることができそうだった。


 授業が終わって帰る時間になると、みんな集団で帰って行く。この塾は近くにある悠真の中学校と、もう一つの中学校の二つの学校の生徒がほとんどで、たまに少し遠い所から来たりする生徒もいるけど、知り合いが多いので、帰り道が寂しいことはない。

 けれど今日の悠真は、授業が終わるとカバンを抱えてさっさと家路に着いた。健太に早く今夜のことを言うためだ。別に急ぐ必要もないかもしれないけれど、何かもどかしい気持ちが心の中にある。


 走ることはなかったが、急ぎ足で家に着くまで歩いた。ただいま、と玄関の鍵を開けて入り、リビングを覗くと母はキッチンで鼻歌混じりに夕食を作っていた。健太はリビングにはいないようだから、きっと部屋にいるんだろう。リビングには入らず、そのまま二階に上がった。

 二階に上がると、すぐに健太の部屋に入ろうとした。しかし意に反して、そのドアは急に開いた。悠真は急にドアが開いたこと、健太は悠真が立っていたことに驚いて、少し間が空いた。


「……ちょうど良かった。兄さんに話したいことがあったんだ」

「……俺も、ちょうど健太に用があったんだ」


 健太の部屋に入った。悠真の部屋とほぼ変わらない造り。小さな窓の右側には勉強机。スタンドがノートを照らし、参考書が並んでいる。だいたいは埃が被っているけど。机の手前はベッド。青いチェック柄のカバーで揃えてある。左側には本棚が並んでいて、漫画や小説ばかりが並びゲームも置いてある。

 今まであまり健太の部屋には入らなかったからか、どこか新鮮味があった。


「それで、俺に用って?」床に座ると先に切り出した。

「うん、実は友達と今夜、超常人探しに行こうと思うんだ」

 悠真は言葉を失った。

「母さんに言ったら止められそうだから、兄さんには一応言っておこうと思ったんだ。心配かけないためにも」

 悠真は手で制した。

「ちょっと待て、実は……」と今夜、友達と超常人を捜しに行こうとしていたこと、そして家を出るために健太の部屋を通らせてもらうために話そうとしていたことを伝えた。


「小学生と中学生の考えていることが同じなのが、ちょっと悲しい……」


「でも、みんな考えていることだと思うよ。超常人はめったに見られるものじゃないから」

 めったに見られないか。何か切なさのようなものを感じた。まるで超常人が見せ物みたいだ。

「それはそれとして、兄さんも同じなら良かった。そうか、屋根伝いに降りれば母さんにバレないもんね。兄さん頭いいな」

「それは……」少し胸が痛んだ。でも駿のことを言う必要もないから訂正する気はないけど。


「とにかく」と切り替えた。

「今夜、健太の部屋に行くから、それで一緒に行こう」

 部屋を出ようとして立ち上がろうとした時、あることを思い出した。

「健太は超常人の特徴を知っているのか? 知っていないと探すにも探しようがないだろ」

 健太は言葉につまった。おそらく健太も健太の友達も、遊び気分で言っただけで、詳しくは考えていなかったのだろう。

「ネットとかだと、人間とはどこかに変わったところがあるって書いてあるけど」

 健太が慌てているのを見て、やはりな、と思った。


 確かに、超常人には人間とは違った特徴がある。眠っている間に身体が異常な変化を起こし、超常人となるのだが、その異常な変化の影響なのか、外見にも変化が起きる。「」こそが、超常人と人間を外見から見分ける唯一の方法だ。


 けれど、この特徴を健太が知るはずもない。この特徴があることを知るのは、以前に超常人を見たことがあるか、もしくは中学の授業で超常人を習うしかない。

「それでいいと思うよ。どうせ見つけられるわけないから、知ることもない」

 健太は首を傾げた。駿の言う最新の情報も知らない健太にとってはあまり納得いかないだろうけど、悠真は言及されると面倒だと思い、「じゃ後で」とだけ言って部屋を出る。

 健太は首を傾げるばかりだった。


 夜中の十一時二十分頃。自分の部屋でスマホをいじっていた。思わず大きなあくびをする。普段は、中学生にしては早めの十時には寝ている。その代わり朝は六時くらいに起きている。だからこの時間はとうに寝ているから、眠くてしょうがなかった。


(そろそろ、かな)


 悠真は携帯の電源を切り、母に出かけることがばれないように着ていたパジャマを着替え、半袖半ズボンになった。六月だというのに今夜は蒸し暑い。緑と紺色のショルダーバッグにスマホを入れ、肩にかけた。いつもの格好だ。さらに、母が風呂に入っている隙に玄関から持ち出したスニーカーを右手に持ち、忘れずに懐中電灯を左手に持つ。そして、悠真はゆっくりと自分の部屋を出る。

 廊下は真っ暗だった。お化けでも出てきそうなほどで、思わず懐中電灯をつける。健太の部屋のドアを出来るだけ音を小さくノックした。そしてゆっくりと中に入る。

 健太はゲームをしながら待っていた。懐中電灯を健太の方に向けてしまい、健太が眩しそうに目を細める。小さな声でごめん、と謝りすぐに灯りを消した。


 健太は、チェック柄のTシャツとジーパンに着替えていた。ゲームの電源を切って、リュックに入れる。


「それじゃ、行くぞ」


 小さな声で言うと、健太はうなずいた。

 窓を開けると、生暖かい風が吹き込んだ。思わず顔をしかめる。窓枠をまたいで、屋根上に降りるとスニーカーを履いた。そしてゆっくりと屋根を降りて行く。


(下をあまり向かないようにしよう)


 やがて屋根の先まで着いた。慎重にうつぶせになって、ゆっくりと塀へと足を降ろして行く。あまりにもゆっくりだったから、健太が「早くしてー」と言ってきた。それほどに遅かった。ついに塀に足が着くと、ホッとして屋根から手を放し、ポンっと道路に飛び降りた。そこで大きなため息が出た。


「時間かけすぎだよ」

 その後に降り始めた健太は、塀を使わずにそのまま屋根から道路に飛び降りた。

「高い所が苦手なんだ、しょうがないだろ」

 健太は苦笑すると、悠真は少し拗ねた。


(とりあえず家から出てしまえば後は楽だな)


 ショルダーバッグからスマホを取り出して、時刻を確認した。十一時四十分。大丈夫だ。学校まで歩いてちょうどいい時間になる。

「早く行こうよ」

 健太は真顔で言う。何だか、機嫌が悪そうに悠真には見えた。健太は歩き始める。


「うん、行こう」

 急いで健太の後を追った。

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