幻影の扉

柊木舜

1章

1話 ある夢の話

 夢の中で、悠真は十歳だった。

 自分でもこれは、夢だとわかっていた。何度も見た、この光景。

 目の前に一人の少女が、ピンク色のリュックを背負ってこっちを見ている。名前は神崎優衣。隣の家に住んでいて、小さいころからよく遊んでいた。

 これは優衣との別れ。四年前に実際に起きたことで、よく覚えている。ただ一つ違うのは、空間が真っ白であること。夢の中だからだろう。


 当時、悠真は知らなかった。なぜ、優衣がここからいなくなってしまうのか、どこに行ってしまうのか。だから、ただ優衣との別れを悲しむだけだった。

「またね」

 優衣はいつものように微笑むと、ゆっくりと歩き出した。悠真は足を踏ん張って懸命にこらえる。

 そうしないと、抑えられずに優衣を追いかけてしまいそうだった。そんな悠真を歯牙にもかけず、優衣はどんどん遠くへ歩いていく。

 

 やがて、小さくなって見えなくなった。


 白い風景が空間をもて余していた。



 ふと気づくと周りの情景は一変して、悠真は部屋の中にいた。ここは優衣の部屋だ、何度も来たことがある思い出の場所。

 しかし、今の様子は無残なものだった。

 部屋は火に覆われ、燃え盛る炎が床や壁を飲み込みながら悠真に迫ってくる。熱さは感じないが、頬に汗が伝うのがわかる。夢では何度も見ているが、いつも恐怖を覚える。


 なんとか火を避けながら、優衣の部屋から出て、階段を降り始める。悠真を挟む壁はすでに炎が侵食している。

 階段を下りると、そこはリビングがある。優衣の母親が高そうな食器を自慢してきたことを思い出す。


 けれど、そこにいるのは、すでに身体の一部が灰になって横たわった優衣の親がいた。そしてそれの前に立っている、優衣。

 思わず、悪寒が身体を走る。

 優衣は背を向けて、灰になった親を見下ろしていた。

 悠真は怖くなって後ずさる。炎が優衣を明々と照らす様は、どこか不気味で恐ろしかった。


(振り向くな)


 心の中で念じる。これは幻影だ、こんなことは起きるはずがない。

 そもそもここに立っているのは優衣なのか?

 悠真はこのまま逃げ出したかった。しかし、身体が言うことをきかない。先ほどとはうってかわって、金縛りのように動けない。叫ぼうとしても声が出ない。


(頼むから振り返らないでくれ)


 振り返ったその瞬間、殺されるような、そんな気がしてならなかった。

 今すぐにでも目を瞑りたい、が、させてくれない。むしろ、優衣から目が離すことができず、釘付け状態になる。

 恐怖に慄く悠真を気にすることもなく、優衣はゆっくりと振り返り始めた。


(やめてくれ)


 声にならない叫び声をあげる。しかし、その長い艶やかな黒髪が横に揺れ、ゆっくりと顔が露わになって――





 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリ。


 目覚まし時計の音で工藤悠真は夢の世界から飛び起きた。押しつぶされそうになっていた心臓が一気に解き放たれる。同時に身体から汗がふきでてくる。

 冷気が顔を撫でた。悠真は深呼吸をして乱れた呼吸を整える。


「いつまでたっても慣れないな……」


 まだ鳴り響く目覚まし時計を乱暴に止めて、つぶやく。

 四年前に優衣が唐突に引っ越し、悠真の前から消えたあの日から、忘れるなと訴えるように、この夢を度々見るようになっていた。

 悠真はベッドから這い出て、カーテンを開ける。まぶしい光が差し込んできて、思わず顔をしかめる。

 向かいの家を見ると、かつての優衣の家がある。今では、優衣の母だけが暮らしている。あの日、優衣はあの家から離れて、どこかへ行ってしまった。


 夢で炎に覆われていたあの家は、現実では何ともなく存在している。

 初めのころは予知夢なのではないかと恐れたこともあったが、歳月が過ぎ、時間を追うごとにそのような考えはなくなっていた。夢を見る頻度も、減ってきていた。


 悠真はあくびをしながら、のんびりと一階に下りる。

 天気は快晴。梅雨の時期ということもあって、二週間ぶりの気持ちの良い空だった。いつもこれくらい晴れていると、朝早く学校に行くのも苦にならない、と思う。


「行ってきまーす」


 急いで制服に着替えると、革靴をひっかけ、最後の一かけらのパンを口に放り込んだ。


「兄さん、待って! 一緒に行こ!」

 玄関の扉を開けようと悠真がドアノブに手をかけたとき、弟の健太が滑り込んできた。髪の毛がボサボサで、まだランドルセルを手に持ったままでいる。


「そんな急がなくても、健太はまだ時間あるだろ」

「いいの! 母さん、行ってきまーす!」

 健太は無理やり悠真と玄関から出た。朝から元気だなあと横目に健太を見る。


 家を出てからすぐに健太が振り返り、唐突に聞いてきた。

「ねぇ、兄さんの小学校のときの友達って、中学でも一緒なの?」

 いつもはゲームかアニメの話しかしないのに、珍しい。それに、何となくぎこちない。

「受験して遠くの中学校に通う人がたまにいるくらいで、ほとんど一緒かな。それがどうかした?」

「んーん。気になっただけ」

 健太は肩をすくめて言った。悠真は何となく察した。


「なに健太、受験したいの? 父さんに言ってあげようか?」

 しかし、健太はあわてて首を大きく振る。

「違うって! ただ、友達に中学受験している人がいるから気になっただけだよ。せっかく友達と遊んで楽しいのに、勉強なんて嫌だよ」

 確かに、五年生にもなってくると受験をする人も出てくるだろう。「お前みたいに暇じゃないんだよ」なんて言う人も出て来て、受験をしなかった悠真にとっても遊び相手が少なくてつまらなかったことを覚えている。


 健太はその友達に感化されて、と思ったけれど、全くその通りであった。健太は嘘が下手だ。

「受験なんて面倒なだけだ、やめとけよ」

「だ、だから、受験しようなんて思ってないってば!」

 健太は大慌てで否定した。わかりやすいやつだと、悠真は思う。

「受験か……」

 今さらながら、自分があと一年余りを無事に過ごせば、高校生になるのだと実感した。受験も、もうすぐ。


「おーい、悠真」

 上の空になっていると、前から声をかけてくる人がいた。悠真と同じ制服、天パのせいかいつも頭の上で髪の毛が爆発している。

「駿か、おはよ。相変わらず、髪が大変なことになってるよ?」

 悠真と同じクラスの宮田駿だった。

「学校に行くだけだと、髪を直すのがどうも面倒でさ。えっと、そっちは弟の健太だっけ」

「どうも」健太は軽く頭を下げると、悠真に囁いた。


「じゃ兄さん、俺、こっちから行くよ」

 そう言って、健太は左手の方を指した。

「あれ、いつもはもう少し先で曲がるんじゃなかったか?」

「そうなんだけど、最近はこっちから行ってるんだ」

 健太は駿にも、じゃあ、と言うと足早に去って行った。


「へえ、聞いてはいたけど、あれが悠真の弟か。似てるね」

「そうか? そいうのは他人に言われないとわからないからな……それにしてもあいつ、朝から少しおかしいけど、大丈夫かよ……」

 健太が何を思っているのか、最近わからなくなってきた。悠真は思わずため息をつく。すると、駿は笑って言った。

「人の心の中なんて、わからない方がいいよ。弟だからって一人の人間だから」

「そういうものなのかな」

「そういうものだよ、多分」

 駿は、成績は学年一、二位を争う優等生で、よく悠真も勉強を教えてもらっている。


「そういえば、今朝のニュース見た?」


 そろそろ学校に着く頃、駿が何気なく訊いて来た。

「ニュース? ごめん、朝はテレビ見ないんだ。どんなニュースだ?」

「それならいいや。どうせ学校ですぐわかるよ」

 どんなニュースだろうと思ったのに、なぜか教えてくれなかった。学校が見えてくると、まばらに先生が立っている。

 そこで、何のことだか悟った。そのニュースは外では禁句で、話していると先生に注意を受けるようなことだ。そしてそれは今、駿が興味を持っていることでもある。


 新しい人類「超常人ちょうじょうびと」のことだ、と悠真は思った。


 悠真の生きる時代にはもう一つ新たな人類が存在していた。それが「超常人」、世間的には「穢人けがれびと」と呼ばれている。

 始まりは百年程前、日本のある場所の一人の男性が、何もないところから銃を錬成したところから始まった。それからそのような異常現象を起こす人間が日本中で増え始めた。現在、日本国内ではおよそ千人程度だろうと言われている。希少な存在だ。

 始めのうちは人々を驚かせ、人類の進化だ、とも謳われていた。しかし。


 やがて、そのような人々を「穢人」と呼ぶようになった。


「悠真、今朝のニュース見た?」

 教室に入ると、早速クラスメイトが聞いて来た。

「どんなニュース?」

 乱暴に机にカバンを置くと、駿を置いてすぐに男子達の輪に入った。すると一人の男子がスマホを見せた。画面にはニュースの記事がある。悠真は急いでそれに目を通した。

「これって、俺らの街ってことか?」

「そう、この街に逃走した穢人が迷いこんでいるらしいんだ。滅多にないよな、これって」

 ニヤニヤ笑っている男子に、女子たちが色めき立った。

「何言ってるのよ、あんたたち! 穢人なんて、見たら目が穢れ、声を聞いたら耳が穢れるって言われてる化け物なのよ!」

「簡単に穢人のことなんて口にしないで!」

 男子達も負けずに言い張った。

「うるさいな、お前らには話してないだろ」

 最初の女子が口を尖らせた。

「当たり前でしょ! 一年の時に習わなかったの? 穢人のことは極力口に出しちゃだめって」

「そうよ、そんなだと、いつかあんた達も穢人になるわよ」

 女子と男子で言い合いになり、結局ケンカになってしまった。

 言い争いのきっかけを作った悠真は、そのケンカには入らず、気まずそうに頭を抱えながら眺めていた。こうなってしまってはもう穢人のことなんて関係ない。


 穢人。何気なく使っていたが、正確には「超常人」だ。インターネットニュースにも超常人と書かれてある。

 それなのに話す時はみんな「穢人」に変わってしまうから世間とかいうのは、つくづく怖いよな、なんて大人っぽく考えてしまう。


 今になっても有名な事件。五十年も前のことだ、超常人が「驚き」から「恐怖」へと変わったのは。

 その日、日本の某街が滅亡するという事件が発生した。原因は超常人による、能力の暴走。

 街には長時間、無数の隕石が降り注ぎ、荒野と化してしまった。今では復興が進んだものの、街の中心には大きな慰霊碑が置かれ、その事件は人々の心に深く刻まれている。


 この事件は世界中に知れ渡り、超常人が差別されるのも時間の問題だった。


「あいつら、朝から元気だよな」

 争いの渦に巻き込まれるのが嫌だったので、こっそり抜け出して少し離れた駿の席に逃げた。駿は頬杖をつきながら呑気に眺めて、そうぼやいた。


「駿も超常人に興味あっただろ?」

「そうだよ、けどあいつらとは観点が違う。穢人って呼んでるからな。こう見えて内心腹が立っている」

 そう言いながらシャーペンをクルクルと回している。あまり感情が外に出ないやつだ。

「駿は差別しないんだな。」


「当たり前だ。差別しているやつらは会ったことも見たこともないだろうに、超常人をひどく貶すが、そういうやつの気が知れないよ。そもそも超常人の方が生物としては優れているわけで――」

 駿はひたすら超常人のことを演説し続ける。こうなると駿は止まらない。始めのうちこそ訊いていたものの、悠真は後半の方はほとんど上の空だった。


 数分後、話し終えると疲れたように机の上でグッタリとした。演説していた時はあれだけハキハキと話していたのに、今では腑抜けた顔だ。

「久しぶりにこんなにしゃべったよ」

「駿はこの話になると別人のように話すよな」


 朝のホームルームが始まるベルが鳴った後、悠真は自分の席で考え込んでいた。駿の話はどこか説得力がある。

 駿の言う通り、超常人が優れていることは確かだ。今は数こそ少ないが、いずれは超常人が普通になって差別されることも、なくなるかもしれない。


 中学一年生のとき、初めて授業で「超常人」のことを教わった。前から超常人という言葉は知っていて、超能力を使う恐い人達というくらいの知識だった。

 けれどその授業で、超常人は警察に見つかり次第、保護され、どこかへ連れられてしまうことを教わった。あのとき、鳥肌が立ったのは今でも覚えている。


 優衣は超常人になったんだ、そう確信した。


 優衣も何らかの影響で超常人となってしまい、警察によって保護されたと悠真は考えている。

 そうでない限り、両親を置いていなくなるなんてあるはずがない。


(優衣は差別を受けてなければ良いな……)


 でも、優衣が超常人になったということは、もう一生会うことはないんだろう。悠真は心のどこかで安心していた――

「おい、工藤。大丈夫か?」

 目の前に先生が立ったところで、やっと気がついた。周りのやつらがクスクスと笑っている。考えすぎは良くない、そう思った。


 今日の授業が終わるベルが鳴った。生徒達は思い思いのところへと動き出す。悠真は部活に入っていないので、固まった身体をほぐすように大きく伸びをすると、すぐに帰る準備をする。


 しかし、帰ろうとするところを呼び止められた。朝、悠真に携帯を見せた、石岡だった。振り返ると、石岡は近づいて来て耳元で囁いた。


「街に出没した穢人を探しにいかない? 俺の他に何人か集まっているんだけど」


「超常人を?」

 石岡はうなずいた。

「だって、穢人なんて一生に一度見る事ができるかどうか、レアモンだぜ? 見ないと損だろ?」

 石岡は笑ったが、悠真は慌てた。

「でも街は広いし、もしかしたらもういないかもしれないよ。それに、忘れたのかよ、超常人に会ったら……」

 そこで石岡は手で制した。


「知ってるよ。『超常人に近づいたり、言葉を交わしたりしたら、感染する』だろ?」


 一年前の授業で知ったことだ。どうやら超常人の持つ「負の力」とやらが、近くにいたり言葉を交わしたりすると、その「負の力」が人の心に影響を及ぼし、穢れにしてしまうとか。


「大丈夫だよ。近づかなくても、遠目で相手に見つからないようにすればいいし。穢人が見つかったのは学校の近くらしいから、この辺りの怪しいところを探せば、案外見つかるんじゃないか?」


 ヘラヘラ笑いながら言った。そんな簡単に見つかるのなら、この街にたどり着く前に警察に捕まっているだろう、と内心思う。


 石岡は楽しければ良い、というやつだから、超常人を探すというよりも、みんなでワイワイしたいだけなんだろう。そして上手く見つけられたら、ラッキー、というような感じ。


「駿も誘ったんだけどさ、行かないって。人数多い方がいいから、頼む、お願い!」


 石岡は両手を顔のところで合わせて言った。こうも強く頼まれたら、悠真の性格上、断れなかった。

 頭を掻きながら、「別に良いけど」と言う。すると、石岡はパッと明るくなった。

「オッケー! じゃ、今日の夜中の十二時、校門前で集合な」と、あっさり大事なことを言ってのけた。

「夜中の十二時って……」

「ああ、そうだよ。穢人は警察に狙われているから、動くのはやっぱり夜だと思わない?」

 石岡はニコニコしながら言った。駿が断ったのは「興味はあるけど夜中にまではやりたくない」というところだろう。駿は面倒なことはやけに嫌うところがある。


 やはり断ろうか、と頭をよぎった。考えてみれば、どうやって夜中に家を抜け出せば良いのだ。

 けれど駿と違って、どうもパッとしない悠真が誘いを断ってしまったら「つれないやつ」とか言われ、距離を置かれてしまうのではないか。

 不公平じゃないか、と悠真はつくづく思う。


「わかった。十二時ね」

 石岡は悠真の気持ちを知りもせず、嬉しそうに笑った。

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