.9 異動
入社八年目。
僕は部長補佐という役職に就いていた。
海外事業部の建て直しは予期していた通り、順調には行かなかった。
しかしそれは失敗と呼べるものでは無かった。
ただ業績を大幅な黒字回復へと持っていけなかった、というだけだ。
なので僕はクビにはならなかった。
クビにはならず、降格という生き恥晒しの形に置かれていた。
だけど、僕はすがりつくように会社にい続けた。
部長補佐とは名ばかりで、実質は雑用係のようなものだ。
上司である寺尾部長の代わりに資料を作ったり、スケジュール調整をしたりなど多岐に渡る仕事をこなさなければならない。
正直、面倒なことばかりである。
だが、仕方ないことだと割り切っていたし、不満もなかった。
仕事自体は嫌いではなかったからだ。むしろ、好きな方だと思う。
僕の仕事は誰かのために働くことだと思っている。
その相手が部長であったり、部下だったりするだけで、そこに大きな違いはない。
僕が部長補佐になって一年が過ぎた頃、その日は突然やって来た。
「藤崎君、ちょっといいかな」
ある日のこと、社長室に呼び出されたのだ。
社長室に入るのは久しぶりだ。
以前はよく呼ばれていたが、ここ最近は呼ばれる機会が減っていたと思う。
社長は椅子に座っており、こちらを見つめている。
慣れない呼び方で僕を呼んだのはもちろんこの社長――父親だ。
父親は昔から厳しい人だった。
特に何かを強制された記憶はないが、「こうしろ」「ああしろ」と言われ続けてきたような気がする。
勿論、反発したことだってあった。
でも、結局は何も変わらないまま大人になってしまったようなものだ。
「はい」
返事をして、僕は父親の正面に立った。
「実はな、マーケティング部を任せようと考えているんだ」
「えっ……」
唐突な言葉だったせいもあり、僕は言葉を失った。
マーケティング部を任されるということは、事実上の栄転を意味している。
「どうした? 嬉しくないのか? お前の実力を考えれば当然だろう」
「いえ、そういうわけでは……。ただ驚いただけですよ」
嘘ではない。本当に驚いていた。
まさか、自分が兄がかつて任されていたマーケティング部配属になるなんて想像すらしていなかったから。
「そうか。まぁ、驚く気持ちもわかるがね」
そう言って笑う父の顔を見て、少し違和感を覚えた。
何だろうか、この感じは。
「それで、いつからでしょうか?」
「あぁ、来月から頼むよ」
「わかりました」
僕は頭を下げて部屋を後にする。
それから一週間後、月が変わって僕はマーケティング部の部長に就任した。
「よろしくお願いします」
「はい、よろしく」
挨拶を交わしたのは、前任の部長であった佐々木さんだ。
年齢は三十代後半くらいだろうか。
とても落ち着いた雰囲気の人だなというのが第一印象だった。
「早速ですが、まずは何をすれば良いんでしょうか?」
「そうだな……。とりあえず、前任者である私がやっていたことを引き継いでもらえれば問題ないです」
「わかりました。引き継ぎ書等はありますか?」
「あー、それなら机の上にまとめてあるから確認してください」
「はい」
「じゃあ、私はこれから会議があるので」
そう言うと、佐々木部長は慌ただしく会議室の方へ歩いていった。
僕は自分の席に座り、引き出しを開ける。
そこには前任者である佐々木部長が作成したであろう書類が綺麗にファイリングされており、付箋が貼られてもいた。
「なるほど……」
僕はそのファイルを手に取り、中を確認する。
業務内容としては、主に市場調査に関することだった。
商品の売上動向、競合他社の動向、顧客層の変化などなど、様々な情報を元に分析を行い、次の戦略を立てていくという流れになっているようだ。
「これは骨が折れるな」
思わず独り言が出てしまう。
兄の時代から受け継がれるマーケティング部部長は一人でこれをこなしていたというのだ。
他の部とは違い部長補佐という役職が無いらしい。
改めて凄いなと思った。
「さて、始めるか」
僕は気合を入れ直し、パソコンを立ち上げる。
そして、マウスを動かして画面上のアイコンにカーソルを合わせた。
クリックすると、新しいウィンドウが開き、データが表示される。
僕はそれを一つ一つチェックしていった。
最初は戸惑ったが、すぐにコツを掴むことが出来た。
元々、仕事は早い方だという自負があったし、実際に早かったと思う。
しかし、それでも時間はかかった。
時計を見ると既に夜中の十二時を回っていた。
「そろそろ帰るとするかな」
社内にはもちろんもう誰も残っていなかった。
会社が注意喚起してる過剰な時間外労働をしてまで、人から仕事を奪おうとしてるのだと思うと何をしてるんだと嫌気がさす。
前任者である佐々木部長は、僕への引き継ぎ完了後違う部署へと異動するらしいが、それはこのマーケティング部とは違い出世コースから外れる道だ。
何故社長が――父親が僕をまた出世コースへと引っ張り出したのかはわからなかった。
仕事としての成果は挙げれなかったと、この八年間で証明してしまっていたのに。
今さら家族としてのお情けだろうか。
父親も年老いてきて丸くなったのだろうか。
正月に実家に帰った際には、最近は引退も考えていると仄めかしていた。
引退し社長の座を兄に明け渡すつもりなのだろう。
ああ、なるほど。
その為に僕を兄の補佐として置いておこうというつもりなのだ。
僕はあくまで兄の為の部品だということだ。
結局未だに僕は父親の駒のひとつでしかないのだろう。
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