.8 重圧
入社七年目。
海外事業部の部長となって一年が過ぎた。
首の皮一枚繋がっている、そういう居心地のまま一年が過ぎていった。
本当なら同族経営の身内びいきと捉えられてもおかしくない出世は、しかしながら海外事業部が業績を悪くしていたことは周知の事実だったことから同情票が多く集まった形になった。
それは僕の下につくことになった先輩方に多くみられ、非常に業務に尽力して頂いた。
僕もかつての戸塚部長の様に、海外事業部が抱える全ての事業に関わっていた。
以前のような失敗をもう二度としないように、監視している感じもあった。
また同じ様な失敗を繰り返した場合、単に僕のクビが飛ぶだけで済まない話だろう。
尽力してくれる先輩方や、部長補佐として支えてくれてる寺尾さん、これからを期待されている若手達の将来も閉ざされる形になりかねなかった。
部長という役職は、こんな責任を抱えていたのかと今さら痛感している。
その日は朝からずっと雨が降っていて、とても憂鬱な日だった。
今日は午後から海外事業部のメンバーと直接顔を合わせての会議がある。
海外事業部の今後の方針を決める大事な会議で、ここで今後の方針を決めておかないと、後々大変なことになる。
そのため、絶対に外せない重要な会議だ。
だが、今から気が重い。
何故なら――
「……失礼します」
僕は会議室に入ると、挨拶をして中に入った。
そこには海外事業部の主要メンバーが揃っている。
他にも海外事業部の社員が十数名いるが、彼らは基本的に資料作成やデータ集計など裏方に徹してくれている。
僕達は席に着くと、早速ミーティングを始めた。
まず最初に議題となったのは、やはり業績悪化についてだ。
海外事業の部長を務める身としては、一番に話し合わなければならない内容だった。
「現状、我が海外事業部の業績は悪化の一途を辿っております。特にここ二年ほど低迷しており、このままでは近いうちに赤字転落もあり得る状況です」
資料を見ながら、僕はそう切り出した。
皆の表情を見ると暗い顔を浮かべていた。
無理もない。
僕だって辛いのだ。
だが、これは現実であり目を背けることは出来ない。
「そこで、今回の会議において改めて方針を定めようと思います。皆さん忌憚のない意見を出してください。何か案のある方はいますか?」
すると、一人の社員が挙手をして立ち上がった。
「藤崎部長、よろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
彼は現在、海外事業部のグループリーダーを務めている男だ。
年齢は僕より六つ下の二十五歳。
元々は営業部にいたらしいが、海外事業部へ異動になった経緯がある。
彼の仕事ぶりは優秀だと聞いており、実際、彼が提案した案はどれも素晴らしいものだった。
僕自身も何度も助けられている。
ただ、悪い噂もあることを僕は知っていた。
何でも、女性関係でトラブルを起こしており、社内で問題になっていたという噂があった。
真偽は不明だが、異動してきた時期を考えるとタイミング的に怪しいとも思っていた。
「海外事業の失敗の原因は、藤崎社長が求めるクオリティの高いサービスを提供できなかったことが原因だと考えています」
「なっ……!」
あまりにも直球過ぎる言葉に、思わず声が出てしまった。
しかし、当の本人は気にした様子もなく、淡々と話を続ける。
「そして、それこそが我が社の最大の問題点でもあると考えました」
「どういう意味ですか? 質の良いサービスを提供することが何よりも大事ではないですか。それを最大とするのであれば、他の事業は全て失敗となる。そんなことあり得ません」
僕はつい語気を強めてしまう。
父親が求める仕事内容のハードルの高さはわかりきってることだ。
それで成り立っている会社であるのはわかりきってることだ。
それを貶めるような発言は看過できない。
「いいえ、違います。そもそもこの国で高品質の商品やサービスを提供している企業は少ないんです。海外では当たり前の品質であっても、日本ではまだまだ足りていないんです」
「だからと言って、それで良いわけがないでしょう」
「勿論、そんなことはわかっています。ですが、それが事実なんです。事実を受け入れなければ何も変わりません」
「受け入れろって言うのか……。そんな無茶苦茶な……」
僕は頭を抱えたくなった。
一体何を言っているんだ、こいつは。
「私は、我が社で提供しているサービスの質がまだまだ社長の求める質に足りていないからこそ、競合他社に負けるんだと思っています。つまり、我々が提供できる最高水準のサービスをお客様に届ければ、きっと会社も立ち直れるはずです」
「待ってくれ。じゃあ、今までやってきたことやってきた施策は何だったんだ! あれは全部無駄だったと言うつもりなのか!?」
あまりの物言いに、思わず激昂してしまう。
これまでやってきたことは何だったのだろうか。
「無駄ではありません。ただ、もっと高いレベルを目指さなくてはならないということですよ。そうすれば、必ず会社は良くなる。そう信じて我々はここまで頑張ってきたんじゃないですか」
「それはそうだが、今以上の高みを目指すなんて簡単に言わないでくれ。そんなことは不可能だ」
僕は弱々しく反論する。
確かに彼の言う通り、このままではいけない。
だけど、今以上に高くすることは至難の業だった。
「不可能じゃない。私達なら出来るはずだ。それに、我が社はこのままでは間違いなく倒産しますよ。そうなったら困るのは誰なんですか?」
「そ、それは……」
「だったら、やるしかないんですよ。大丈夫、私がついていますから」
彼は自信満々に答える。
その表情を見て、僕はあることに思い当たった。
彼の顔には見覚えがある。
確か、前もこんなことがあった気がした。
いつのことだったろうか。
思い出そうとするのだが、何故か頭がぼんやりとして上手く考えられない。
「わかりました。やってみましょう」
僕の口から勝手に言葉が出てきた。
考える前に、身体が動いていたのだ。
何故だ。どうしてだ。
自分で自分の行動がわからなかった。
ただ、この時、僕は確信していた。
絶対に失敗すると。
そして、理解した。
彼の顔に見覚えがあると思ったのは当たり前だ。
彼は、まさしく僕と同じ顔をしていたのだから。
父親の期待に応えようとする兄に憧れて真似しようとした僕そのものだった。
いや、本当はそんな奇妙なことはないのだけど、きっとこの重圧にやられてしまっているのだろう。
頭を振ってみたら、彼が僕とはまったく違う顔をしていると、そんな当たり前のことを確認できた。
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