.3 屋上テラス

 入社二年目。

 そろそろ慣れてきたかな、という頃に僕はひとりの女性と出会った。

 彼女は、総務部に所属していた。

 一年目の終盤で行われた新入社員合同研修で一緒のグループになり、そこから仲良くなった。

 名前は、小鳥遊たかなし優希ゆうきさん。

 小柄で可愛らしい容姿をした女性で、性格もよく一緒にいて楽しかった。

 彼女とはプライベートでの交流も増えていき、二人でご飯を食べに行ったりするようになった。

 僕は彼女に惹かれていったのだが、彼女の方は僕のことを異性としては見てくれていないようだった。

 それでもいいと思えるくらいに、楽しい毎日を送っていた。


 そんなある日、いつものように昼食を取ろうと会社の社員食堂へ行った時のことだった。


「あ、あの……」


 長テーブルの端っこ、一人席に着こうとしていた時に後ろから声をかけられ振り向いた。

 そこには彼女――小鳥遊優希が立っていた。

 社内でわざわざ声をかけてくるのが珍しくて戸惑った。

 彼女は以前、社内で付き合ってると噂されるのを毛嫌いしているような素振りを見せていたからだ。

 父親の会社が社内恋愛禁止という時代遅れのルールを設けていたわけではないのだが、入社一年目にして恋愛沙汰に没頭してると思われることを嫌がったんだろう。

 僕は会社でわざわざよそよそしく装うのも煩わしく思っていたが、小鳥遊さんが言ってきたので素直に従っていた。

 そんな彼女がわざわざ業務時間外、休憩時間に話しかけてきたので何事かと僕は驚いたのだ。


 振り返りよく見ると小鳥遊さんは頬を赤らめ、上目遣いでこちらを見上げてきていた。

 その姿はまるで学生が校舎裏で告白をするかのような雰囲気だった。


「話があるから、食事の後、時間作れない?」


 何を言われるのかと構えていた僕は、メールで済みそうな用件に唖然とし、ああ、と短い返答で済ましてしまう。

 僕の返答を聞いた小鳥遊さんは頷いた後、足早に去っていってしまった。

 そもそも彼女は弁当持参派なので、食堂に用は無かったはずだ。

 アレを伝える為だけに来たのかな?

 一体、何の話なんだろうか?


 話の内容がなんであるのか気になって、社員食堂のB定食をかき込むように食べた。

 焼き魚や豆腐、漬物を味も分からぬまま口に詰め込み、味噌汁で流し込んだ。

 早々に食事を済まし、時間を作ることには成功したのだが、肝心の何処で会うのかを聞いていなかった。

 結局、メールで集合場所を確認する。

 休憩時間に解放されてるビルの屋上テラスだった。


 リラックスルームの役割を持つ屋上テラスは、人工芝が敷き詰められていてその上にウッドデッキが設置されている。

 雨避けと屋根代わりに防音ガラスで囲まれていて、日差しをしっかり取り入れつつも街の喧騒を遮断出来る気持ちのいい場所であった。

 実家で暮らしていた頃の父親の印象からは想像できなかったが、会社経営のための福利厚生として設けたのだろう。


 屋上テラスのあちらこちらに日差し避けの白いパラソルとウッドチェアーがセットで置かれていて、休憩時間にはそこで昼寝してる人もチラホラいるらしい。


 僕自身は実はあまりこの場所を利用したことがなかった。

 社員食堂で食事を取ったあとは部署に戻り、自分のデスクで残りの時間を過ごす日々だった。

 抱えた仕事を進めてる時もあれば、ただボォーっとしてる時もある。


 屋上テラスに着いた僕はすぐに小鳥遊さんの姿を見つけた。

 彼女もすぐに僕を見つけ、手招きした。

 僕は周囲を見ながら小鳥遊さんのもとへ小走りで駆け寄る。

 どうやら、早めに食事を済ませたのが功を奏したらしい。

 他の社員はまだ訪れていないようだった。


「私……本当はずっと前から、好きでした!」


 そばに近寄ると、すぐにそう告白された。

 真っ直ぐに見つめられる。

 恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、視線を逸らすように俯き、体を震わせている。

 その姿はいじらしく、思わず守ってあげたくなる。

 僕も彼女のことが好きだし、こんな可愛い子に好意を寄せてもらえるのは願ってもないことだ。

 だけど――


「ごめんなさい」


 頭を下げて、謝る。

 その言葉に、目の前の彼女は泣きそうな表情を浮かべた。

 どうしてか、答えはすぐに出た。

 僕は、兄のような人間になりたいのだ。

 優秀だからという理由だけで、何も言わずに父親の後を継ぐ兄の姿に憧れたのだ。

 だからこそ、彼女に想いを伝えることは出来なかった。

 それに、今はまだ兄の背中を追いかけたかった。


「えっと……うん、わかったよ! じゃあね!」


 精一杯笑みを作って、その場を去る。

 彼女の背中を見送りながら、胸の奥がズキズキと痛んだ。

 きっとこれは、罪悪感だ。

 僕はこれから、彼女を泣かせることになるのだろう。

 わかっていても、その感情を押し殺すことはできず、ただ後悔するしかなかった。


 その日を境に、僕と彼女の関係は疎遠となっていった。

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