.2 海外事業部

 入社一年目。


 父親が代表取締役を務めている会社に入社した。

 家でも父さんから社長に呼び方が変わった。

 と言っても、元々父親のことを呼ぶことなどあまり無かったし、大学在学中には家を出て一人暮らしを始めていたので、社長と呼ぶ機会などほとんど無かった。

 父親の職場など見学する機会も無かったので、入社希望を考えた際に初めて訪れることになった。

 九階建てのビル、その各階に別々の業種が入っていた。

 全て別の会社が入っているのかと思っていたが、どうやら父親の会社があれやこれやと手を出した結果らしい。

 総合商社ほど大きな会社では無いが、手広くやっている父親の会社は、中小企業の中では大きめな会社となっていた。


 希望動機は、父親の会社だから、という訳では無い。

 兄が入社した会社だから、というのが大きい。

 八つも歳が離れているせいで、兄がどれだけ優れた人間であるかというものを間近で見ることが出来ていなかった。

 学生時代の栄光は人伝いに聞いた出来事であったし、普段家にいる兄とべったりと一緒にいれるわけではない。

 僕は兄を尊敬しているのだが、実際この目で兄の素晴らしさを見れてきたわけではなかったので、同じ会社に就職して見させてもらおうと考えた。

 そしてそれが、父親の会社だったことは兄が真っ直ぐ父親の後を引き継ぐつもりだったからだ。

 敷かれたレールというやつに文句一つ言わず突っ走る兄は、従順というよりも爽快と言っても過言ではない。


 兄の後を追う、というのも簡単なものでは無かった。

 優秀な兄にも血筋を理由に簡単に役職を明け渡さなかった父親は、僕の入社に対してもコネなんか使わしてくれるわけもなく、大企業一歩手前となる父親の会社は入社希望者が殺到するような好条件の会社だった。

 百人近い入社希望者は、三十人程のグループに分けられ筆記テストを受け、更に四、五人のグループに小分けされ集団面接を受けた。

 その中には大学で見かけた顔もあり、コネ入社があるんじゃないかと影でやっかみを受けた。

 こちらとしては八年前から備えてきていたので、そんなやっかみなんかに構ってる隙はなかった。


 無事に採用されて出社する。

 面接時に好印象になるようにと散々人格を盛ったので、その齟齬を擦り合わせていくのが大変だった。

 配属されたのは、海外事業部だった。

 僕の面接の際に、人事部の人間と並んで面接官としていたのが海外事業部の部長だったらしい。

 面接日から数ヶ月経っていたので、当日の面接官の顔をよく覚えていなかった。

 面接官はグループ毎の交代制らしくて、その時担当になった各部署の部長がかなりの権限を持っていたらしく、僕を採用へと繋げてくれたのも海外事業部の部長――戸塚とづか部長のおかげだった。


 英語はそこそこといったレベルでしか出来なかったが、仕事をやっていけば嫌でも覚えるものだよ、と戸塚部長に言われた。

 とはいえそれを鵜呑みにして、仕事だけで英会話を覚えていくには無理があるなと思ったので、英会話教室を探したりした。

 基本的には努力なんて苦手なんだけれど、この会社を辞めることになっては困るので、最低限出来ることはやっていこうと思う。


 同期である寺尾てらお聡美さとみさんと共にグループを組むことになった。

 何かとグループ分けが好きな会社だ。

 五十人程で構成される海外事業部は、五つのグループに分けられていた。

 そのひとつのグループ、十人で成り立つグループに新人として入ってきた二人が割り振られるだなんてどういう采配なのかと頭を傾げたが、どうやらグループリーダーであるたいら先輩が優秀なのだそうだ。


 優秀な人間だからといって新人を二人も押し付けられて大変だなと、他人事みたいに思ってしまった。


 一年目は平先輩の指導のもと、仕事内容を身につけていく日々となった。

 優しさと厳しさを兼ね揃えた平先輩の指導で、社会人としてのマナーなども学んでいく。

 自分の名刺が用意されて嬉しくもあったが、それを受け渡しする作法とかがあって、煩わしくも感じた。

 社会人になったんだな、と少し間抜けな感想を抱きながら日々を過ごしていた。

 英会話教室は二ヶ月通っていたが、だんだんと足が遠くなってしまい解約した。

 戸塚部長の言っていた通り、仕事中に培った英語力だけでも支障なくそれなりに業務を行うことが出来た。

 メールなどのやり取りは都度調べたり、ソフトを使ったりでなんとか誤魔化し、会話も拙い文でもどうにか伝えれたりしていた。

 

 そうやって仕事になれる事に忙殺される日々だったので、兄の仕事ぶりを見る余裕など無かった。

 マーケティング部で部長をしているのだとはわかっていたが、新人が別部署の部長と関わるようなことは無かった。

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