Ep.2.11 来未 Ex.選択

 突然、低い唸り声のようなものが聞こえた。

 気のせい、かもしれない。

 ありもしない都市伝説の話をしているから、その気になってしまってるのかもしれない。

 そう言い訳してもいいほど、遠くから聞こえた。

 だけど、身体中に言い知れぬ恐怖が過ぎった。

 理由が明確ではないのに、死を身近に感じる。

 駅のホームの端に立つような、建物の屋上の縁に立つような、一歩先に死を直面してる気がする。

 唸り声の主が、私を殺すのだ。

 それがはっきりと理解できた。


「どうした、来未?」


 私は今どんな表情をしてるのだろうか?

 私の様子が余程おかしいのか、滴は目を丸くして驚いている。


「今の聞こえた? 何かの唸り声みたいな」


「唸り声?」


「うん、唸り声だと思う。滴、聞こえなかった?」


 もう一度、低い唸り声が聞こえた。


「やっぱり、聞こえる。ねぇ、聞こえたでしょ、滴も」


「き、きっと、風か何かの音だよ」


 滴は少し戸惑う様子で、首を横に振った。

 戸惑ってるのは私の様子がおかしいからか、ありえないと思ってた都市伝説に真実味が出てきたからか。


「違うの、私、わかるの」


「わかる、って?」


「私を殺しに、何かが、向かって来てる」


「何かって……」


 言いかけて、滴は突然、私のスマートフォンを奪った。


「何するの、滴!?」


「そ、その元カレに電話しよう。は、話が本当なら、た、助けてもらうしかない」


 嘘だと笑い話にしようとしていた、織田翔が持ち出した都市伝説に現実味を感じ出している。

 まだ私しか実感していないだろうこの恐怖が、何故か滴にも伝播してしまっていた。

 滴は震える手で、私のスマートフォンのロックを解除していく。

 互いに秘密を持たないと、教えあった事が間違いだったとは今は思いたくない。


「助けてもらうって、それじゃあ翔が死んじゃうよ」


 嘘みたいだと信じていなかった話なのに、自分に迫る死を感じられただけでその全てを理解できた気がしている。

 私に死が迫るのなら、選択する側の織田翔にも感じ取れるものがあるのだろうと、わかってしまう。


「そうじゃなきゃ、来未が死ぬことになるんだろう!? 彼は覚悟を決めたんだ。やってもらうしかない」


 何故か滴の言い方に、織田翔への理解を感じなかった。

 きっと、滴は織田翔の事をこの都市伝説の解決方法程度にしか思っていないのだろう。

 使わないと損するぞ、とクーポン券のような扱いみたいに思えた。


 また、唸り声が聞こえた。

 続いて、足音。

 さらに、続いて悲鳴が聞こえる。

 防音処理のしっかりされた高級マンションだというのに、家の外からハッキリと悲鳴が聞こえる。


「モ、モンスターは標的を殺すまで周りを巻き込んで殺すらしい。来未、躊躇ってる暇なんて無いんだ。聞こえただろ、今の悲鳴が!?」


 滴はがたがたと震える手で、私のスマートフォンを操作していく。

 その電話が、私と翔の命を決めようとしている。

 私はその電話を――


→止めた。

 止めなかった。


 滴から電話を奪い返した。


「な、何をするんだ来未。状況がわかってるのか!?」


 いつも温厚な滴が血相を変えて、私を怒鳴りつけようとせんばかりだ。


「……わかってる。私のせいで翔を殺すところだった」


「私のせいで、って。ヒーロー・チェーンが本当なら原因は彼の方だろう? 彼が君を想うばかりに……」


「そう、想うばかりに夢を捨てて私を守るために帰ってきた。そんな翔に私は死んでくれだなんて電話、できないよ」


 唸り声、足音、悲鳴。

 響く音がよりハッキリと聞こえてきた。

 マンションを登って来ているのだろうか?

 声が、音が大きくなる度に、私の震えも私の意思とは関係無く増していく。


「出来ないって言うなら、代わりに僕がするさ!」


「死ねって宣告するようなものだよ? 人殺しだよ? そんなの黙って見ていられないよ!」


「人殺しって……男の気持ちもわかってやれよ!」


「わかってる、わかってるから! だから……」


 私はそんな気持ちに応えられないのに。

 助けると言ってくれた織田翔じゃなくて、今目の前で怒鳴りだした佐波滴を選んだのだ。

 甘んじて受け入れるなんて、出来るわけない。


「だったら、勝手にしろ! 僕は死ぬのは嫌だからな、死ぬ気だって言うならこの部屋を出てってくれ」


「……え?」


「巻き込まれるのは嫌だって言ってるんだ。さぁ、出ていけよ」


 滴は今まで見たこともない冷徹な顔をしていた。

 他人事と決め込んだのだろうか。


 もちろん巻き込む気なんて最初から無かった、けれど――。


 選択肢は二つしか無かった。

 私か、翔か。

 死んで欲しくなくて、死にたくなかった。

 そんな考えは、甘いのだろうか。

 何でこんな理不尽なことになってしまったんだろうか?

 私が何をしたというんだ。


 冷めた目で滴が私を見ていた。

 出ていくのを監視しているのだ。


 唸り声が近づいてくる。

 足音が近づいてくる。


 もう、助けを呼ぶ時間は無い。


 私は部屋を出た。

 これで、翔も滴も助かるのだ。

 そう言い聞かすしか、この涙を止める術はなかった。

 

 私は、誰を愛していたのだろうか?

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