#30 曜子の事情、彼の住む町

 外の寒さに耐えかねた僕らは、駅の構内へと戻った。最終列車まではまだかなりの時間があったが、改札前コンコースの人影はすでにまばらで寒々しい。しかし、たとえ雰囲気は寒々しくても、気温は外よりずっとましだった。


 コンコース中央の巨大なツリーの前に佇み、空調の温風を浴びながらイルミネーションを眺めた。さて、これからどうするのか。この際「城の崎にて」でもいいから、雑居ビルの中の古いカラオケ屋へ行くか。

 しかしみんな、暖かな空気に包まれて、思考が一時停止していた。

「一郎さん」

 明滅する七色の電球を、焦点の合わない目でぼんやりと見つめていた僕の肩を、誰かが叩いた。

「おう」

 瞳のピントを合わせた先には、白滝がいた。

「ほら、あれ。見てください、曜子さんが」

 白滝が、改札口のほうを指さす。そこには、列車の発車案内表示をじっと見つめている、曜子さんの後姿があった。

 改札上に設置されたフリップ式の表示器には、「普通 19時32分 鉢中行 0番線」の文字が並んでいた。


「そう言えば、さっきも鉢中店がどうとか言ってたな、曜子さん。鉢中に何かあるのか?」

 首をひねった僕は、地下鉄の車内で白滝が言いかけていたことを思い出した。

「そうか、例の『事情』って奴だな。そうだろう?」

「ここだけの話、ですけどね」

 再び曜子さんの様子をうかがってから、白滝はそう言ってうなずいた。

「昔、うちのバイトにいたっていう、沖田さんて覚えてますか? 四回生の」

 極度の小声で、白滝は言った。

「ああ、いたな。確かバイクが大好きな。準ナイスガイ、くらいのランクの微妙な男前で、一部の女子に少し人気があった」

「実はあの人に片思いしてるらしいんですよ、曜子さん。ゼミも同じらしくて。それでその沖田さん、鉢中に住んでるんですよ」


「そうやったんや!」

 突然背後で、阿倍野の声がした。いつの間にか、近付いてきていたらしい。振り返ると、彼は好奇心で目を輝かせていた。

「あの曜子さんが、恋してるなんて。すごいことやんか」

「しっ」

「声が大きい、馬鹿」

 白滝と僕は、同時に阿倍野を黙らせる。

「本当なのか? 何でお前がそんなこと知ってる?」

 僕はさらに声を落として、白滝に訊ねた。

「沖田先輩の弟が、うちの大学の同じ二回生で、一緒に何度か夕食に行ったことがあるんですよ。沖田カモメっていうんですが」

「へえ、そんなつながりがあったのか」

「ええ、実はそいつ女装が趣味で。結構かわいいんで、行けるかな、と思って何度か誘ったんですが、結局ダメでした。友達でいよう、ってことでして」

 白滝は平気な顔で、想像もしていなかったことを言い出した。さすがは失恋の達人、相当に守備範囲が広い。しかし、そこに突っ込んでいては話が無限に脱線してしまう。


「で、そのカモメの話だと、彼と沖田さんが校内で一緒にいる時に、曜子さんに出会うことがやたら多かったらしいんですよ。食堂とか、図書館とか、もう至る所で。偶然じゃあり得ない頻度で」

「うーん、それだけじゃ、根拠としては薄いな」

「それが、これは妹に見える弟だと紹介されると、露骨に安心した様子で、浮き浮きとスキップしながら去って行ったらしいんですよ。どうも彼のことを、沖田さんの彼女じゃないかと心配して様子を探ってたらしくて」

 なるほど、それは普通ではない。

「でも、どうも沖田さん自身は、曜子さんの気持ちには全く気付いてないらしいです。兄貴は鈍感で困るよ、ってかわいく言ってました、あいつ。ああ……ならば僕の気持ちも分かって欲しかった、カモメちゃん!」

 白滝は嘆くが、それはまあ、どうでも良い。


「じゃあ、その沖田さんいう人には、彼女は居はらへんわけやね」

 阿倍野が、脱線しかけた話を元に戻す。

「らしい。今日は鉢中駅前の喫茶店でバイトだって。彼女がいれば、イブの夜はバイトなんかしないでそっちに会いに行くだろうよ」

「そんなら、今から行きましょうか、鉢中。ちょうど列車ももうすぐ出ますし」

 突然、阿倍野がそんなことを言い出した。唐突な提案に、僕らは目を丸くする。

「行って、どうするんだ」

「曜子さんを、その準ナイスガイの沖田さんに逢わせてあげましょう。クリスマスの奇跡、いう奴ですわ」

「そりゃいいな! 人助けで、聖夜に功徳を積もうってわけだな」

 白滝が瞳を輝かせた。どう見ても面白がっているだけだし、そもそもクリスマスと功徳という組み合わせも妙だ。


「しかし、曜子さんに何て言うんだ。沖田さんに会わせてあげるとか、まともにそんなこと言ったら、こっちも無事では済まんぞ。雲の彼方で虹を見ることになる」

「実はいいカラオケ屋があるんだとか何とか、その辺りはうまく言いますよ」

 白滝が自信ありげに言う。

「よし、じゃあそれで行くか」

 僕はうなずくと、口を半開きにしてイルミネーションに見入っている大沢さんに近寄り、肩を叩いた。

(#31「遥かなる『0番線』から」に続く)

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