#31 遥かなる「0番線」から

「そんな遠い所のカラオケ屋? この寒いのに今から?」

 鉢中まで行こうという白滝の提案を聞いた曜子さんは、仏頂面になりながらも、先ほどの発車案内表示にちらりと目を遣った。

「わたしは、やめとくよ。あんたたちだけで行って来たら?」


「いや曜子さん、さっきも言った通り、鉢中って別にそんなに遠くないですよ。それに、鉢中行きの列車がちょうどもうすぐ発車するんですよ」

 白滝がなだめる。

「最近、ニュータウンとかできて発展してるからな、鉢中地区は」

 大沢さんが、もっともらしく調子を合わせる。この計画について話すと、面白がって乗り気になってくれたのだった。

「市の鉢中支所も、近い内に区役所に昇格するという噂を聞かないでもない」

「今や、郊外の新都心ですよね。下手にこの駅前をうろつくより、かえって便利かもしれません」

 白滝が調子を合わせる。

「カフェとか、ケーキ屋さんとかも色々できてるらしいですわ」

 阿倍野がうなずく。


「ふーん。そうなんだね。じゃあ、まあ、行ってみてもいいけど」

 曜子さんのすまし顔は、しかしどことなく嬉しそうに見えた。

「そんなら、僕がみなさんの切符買ってきますわ」

 阿倍野が急ぎ足で、券売機へ向かう。

 彼が五人分の切符を買っていると、構内アナウンスが、

「鉢中行をご利用のお客様、ホームまでお急ぎ下さい」

 と我々を急かした。

「まだ発車まで、時間は充分あるはずだけどな」

 大沢さんが、首を傾げた。


 波丘駅のホームは8番線まであり、それらは地下通路でつながっている。しかし、先を行く阿倍野は、「8」の表示を越えてもさらに前進を続けた。

 すぐに突き当りになって終わっているように見えた通路だったが、実は直角に曲がっているだけなのだった。そこからさらに、息の詰まりそうに狭く低い通路が、どこまでも続いている。終わりは見えない。


 この向こうに、本当にホームが? と思わずたじろいだ一行だったが、先頭の阿倍野が全速力で迷わず歩いて行くので、仕方なく一列縦隊でついていく。

 長い長い通路は、最後に急な上り階段となって終わっていた。階段を登り切るとそこは地上で、つまりは「0番線」に到着したというわけだった。

 そのプラットホームは、羊羹のように狭く短かった。周囲には、無数の線路が平行して走っており、「0番線」はその狭間にぽつんと浮かんでいた。遥か彼方で、駅ビルの前に整然と並ぶ8番線までのホームが各々輝きを放っている。もしも駅ビルが太陽ならば、ここは冥王星のまだ向こうくらいに当たるだろう。

 普通のホームを発車して来た特急が、すごいスピードで目の前を通過していく中、裸電球の弱々しい光に照らされた四人は、呆然と立ち尽くしていた。


 やがて、その場所にあまりにも似合いの、もの哀しげな警笛が響き渡った。警笛の主は、目玉のような二つのヘッドライトを光らせた赤い機関車だった。騒がしいディーゼルエンジンの音と共に、0番線を目指して徐々に近づいて来る。

 ホームに停まったのは、機関車の他には青い客車がたった一両だけだった。車体の波打った鉄板には無数の鋲が打たれ、その多くが赤く錆びている。最後尾は大昔の豪華列車のような、手すりのついたオープンデッキになっていた。ただし、手すりが錆だらけで今にもぽきぽき折れそうなのが、当時の展望車と大きく違う点である。


 これに乗ったが最後、二度とこちらの世界へは帰ってこれないんじゃないか、と僕は思った。この平成の時代に、こんなものすごいおんぼろ列車が存在するわけがない。銀河の果てとか幻の国とか、そう言う類の場所へ連れて行かれる展開だ、これは。そして翌朝、ホームのベンチで凍え死んでいる我々を駅員が見つけるのだ。固く握った手のひらから正体不明の切符が見つかる。乾いた雪が、白い顔をした死体の上に舞い散る。


「なあ、阿倍野」

 大沢さんがやっと口を開く。

「これなのか、俺たちが今から乗るのは」

「これですわ、もちろん」

 阿倍野はさっさとオープンデッキに乗り込み、ホームで躊躇している白滝の袖をつかんで引っ張った。

「さあ、早よ乗らんと発車するよ」

「そう言や、今日は友引だったな」

 とつぶやきつつ、白滝はふらふらと列車に乗り込む。それを見た僕も、仕方なくデッキに足を踏み入れた。曜子さんは興味津々という表情で、ホームとデッキの間にできた隙間を飛び越える。


 最後に大沢さんが乗りこんだ途端、再び警笛が哀しげに響きわたり、列車はゆっくりと動き始めた。阿倍野は座席を確保すると言って、さっさと客室に入って行く。僕ら以外に乗客がいるはずもないと思うのだが、あいつがそう言うのだから、何か乗っているのかもしれない。

 残された僕ら四人は未練がましくデッキに立ち、去りゆく駅を見送った。列車はほとんど速度を上げないまま、単線の路線に分け入っていく。

 駅前のビル群が遠ざかると、沿線はたちまちのうちに郊外の様相を呈し始めてた。民家の灯りがぽつぽつと流れていく。


「なんかすごい週末になっちまったなあ」

 大沢さんがため息をつく。

「もうたくさんだ、ここで降ろさせてくれ!」

 白滝が突然そう叫んで、デッキの手すりを掴み、身を乗り出す。

「たくさんも何も、今乗ったばかりじゃない、そういう台詞はシベリア鉄道の四日目くらいに言いなさいよ」

 曜子さんは笑う。

「こんな列車で、淋しい山の向こうまで行くってんですからね。心細くもなります」

「て言うか、鉢中って新都心で、発展してるんでしょ? 淋しくないんじゃなかったの?」

 思わず僕らは、一瞬黙り込んだ。


「鉢中の人口が急増してるのは間違いない。区役所設置の噂も、庁内のトイレで確かに耳にした。まあ、俺は実際に行ったことはないんだがな。店とかも、色々できてるんだよな? 白滝」

 逃げを打った大沢さんは、白滝にバトンを渡した。

「いや、新都心とまで言うとちょっと大げさかもしれないですが」

 白滝は青くなった。

「それなりに店とかあるはずです。ほら、阿倍野君がそう言ってましたから」

「新都心てのは、あんたが言ったのよ。まあいいけど、この列車気に入ったし」

 そう言って彼女は頭上を見上げる。六等星さえ見えそうな、盛大な星空である。すでに辺りはすっかり闇の中だった。レール彼方の空だけがわずかに明るい。


「しかし、たった数分走っただけでこれか。俺らはなんちゅう田舎に住んどるんだ」

 僕は嘆いた。

「本線沿いの方だともうちょっと市街地続いてるんですけどね。波丘は21大都市の一員、だとか言ってもルート外れたら所詮こんなもんですよ」

 と、白滝が訳知り顔をする。

「その『21大都市』ってのが大体無茶だ。21個も大都市があってたまるもんか。うちの市だけだぞ、そんな言葉使ってるの」

 大沢さんがぼやいた。


(#32「銀河鉄道的な夜」に続く)

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